訪問
グレイの仮住まいに寄り合って話し合いをしたその日、パーティスとロックは結局泊り込んだ。そして翌日もそれぞれが資料をまとめたり、今後の方針などを検討するため机仕事に掛かりきりになったのだった。
夕刻になり、パーティスたちは拠点にしているらしい宿に帰っていった。また後日行われるワムロー男爵主催の会食で会う約束だけを取り付けて。
「それにしても、進展しているのか微妙な気がするのですが」
明日に備えての身支度をしていると、ジュネスが腑に落ちないような顔をしていた。手には白いシーツを持っている。洗濯屋に出していたものが戻ってきたのだろう。
実際ファーラルから任された任務はとても抽象的で、何を持って解決とするのか判断することも難しい。確実なのは闇に紛れた奴隷市場やそれに準ずる施設などの潰滅だろうか。少なくともロットウェル内に不穏分子が紛れているということが、彼は殊の外許せないらしい。だがここは他国。どこまで派手に動いていいものかと考えさせられる部分でもある。
「まぁそう言うな。―――それとジュネス、明日の事なんだが」
「はい」
ベッドのシーツを直していたジュネスは、呼ばれて素早く振り返った。
「恐らく師匠から国境駐屯地に返事が来ていると思う。悪いが取りに行ってくれないか」
「昨日精霊で届けた件ですか」
「ああ。師匠の精霊はマーギスタに入れないからな。きっと手前までは届けてくれているだろう」
ライナが狙われている可能性が浮上したため、警備の強化などを含め精霊に言付けた。協定により闇の精霊はマーギスタに入れない。だがファーラルの事だから、簡単でも何らかの返答を送っていると思う。せめて国境付近までは。ファーラルが返事をしなくとも、ガーネットあたりが一筆書いてくれているだろう。
「わかりました。グレイ様は行かれないのですか」
「顔を出しておきたい場所がある。悪いが任せる」
「……わかりました」
グレイが一人でどこに行こうとしているのか。ジュネスは気にしないようにした。いいや、勘付いていたと言ってもいい。グレイが行くのであろう場所を明確に言われてしまえば、また反発する心が生まれるのが分かるからだ。だからあえて蓋をした。
「国境までの往復だと1日仕事になるかもな」
「ファーラル様の返事が届いていなければ、一日待ってみます」
「届いてなかったら、国境警備常駐の【魔法士】に催促を送ってもらえ」
「わかりました」
そうして静かに夜は更けていき―――穏やかな朝を迎えた。
玄関先でそれぞれ馬の準備をしていたが、国境まで行かなくてはならないジュネスのほうが先に用意を終えた。馬の首を巡らせ、馬上から声をかける。
「では、行って参ります」
「ああ、気を付けてな」
「グレイ様も」
ジュネスは旅装姿にマントを羽織っただけの簡単な姿だ。長期間の移動ではないため、これで充分だった。一応携帯食は持っているが、念のための用意でしかない。
駆けていった姿を見送るとグレイは用意していた手を止め、乾燥したハーブをポケットから取り出した。その香りに釣られるように精霊たちが寄って来る。
「どこの精霊もハーブ好きなんだな」
特にこのハーブは、以前ライナがくれた特別製だ。根拠もなく誇らしげですらある。
「言付けを頼む。ロア家へ……」
だが絞り出した声は少し重たく響いた。精霊たちは内容などに頓着しない。ただ嬉しそうにくるくると旋回しながら空に舞い上がった精霊たち。グレイはそれを静かに目で追った。
グレイがマーギスタ都市の外れにある小さな館に辿り着いた時、時刻はすでに昼を過ぎていた。精霊に言付けた返答がなかなか届かず、行っていいものか悩んでいたのだが数刻して返事が来た。
―――お待ちしています。
簡素な唯その一言だけの返事が。
敷地内に入り、門番に名乗ると事前に通告されていたのだろう、あっさりと通してくれた。玄関先まで馬で進むと、年老いた家令が現れ出迎えてくれる。
「お待ちしておりました。馬をお預かりいたします」
隣にいた厩担当の者に馬を預け、メイドに外套を手渡した。そして家令に案内されるままに屋敷を進む。
「突然の訪問ばかりで申し訳ない」
「いいえいいえ。奥様はお喜びです」
昨日もジュネスが仮住まいを所要で離れている隙に、慌てて訪問して無理を言ったのだった。あの日は時間が無くて本当に失礼なほど慌ただしく、用件だけ済ませるとすぐに暇をしてしまった。
「奥様。伯爵がいらっしゃいました」
「入っていただいて」
一つの扉の前で家令が声をかけると、中から穏やかな声が返ってくる。その声を合図に家令は扉を開けてグレイを中へと招き入れた。
「お久しぶりですね、伯爵」
「先日は失礼いたしました、メアリナーデ様」
「少しでもお役に立てたのならば嬉しいわ」
にこりと微笑む儚げな女性。
穏やかに細められたとび色の瞳。昔は濃かったのだろうと思われる髪は、今は所々白く染まり始めていた。メアリナーデ・ロア夫人。彼女こそ、ジュネスの実母である。
「メアリナーデ様の用意してくださった招待状のお蔭で助かりました」
「あんなことくらいしかお手伝いできせんもの。いつでも遠慮なく言ってくださいね」
メアリナーデはちらりとグレイの後ろを見た。だが、そこに望む姿が無いことを知り、微かに落胆の息を吐きだす。
その様子がひどく心苦しい。
「……メアリナーデ様……」
「ああ、ごめんなさい。お客様を立たせたままだったわね。今日はお時間あるのでしょう?ゆっくりして行ってほしいわ。ジェームス」
「はい」
名を呼ばれた家令は、部屋を出て行くとすぐにお茶のセットを持って現れた。どうやら準備万端で待ち構えていたらしい。
「珍しい茶葉を頂いたのよ。あなたが来ると言ってくれたから、朝から急いで焼いたケーキもあるの。甘すぎないようにしたから食べてくれたら嬉しいわ」
楽しげに微笑み、そして明るい声を出す。けれどグレイは知っている。その茶葉もケーキも、本当はグレイではない人物に食べてほしかったのだと。けれど彼は―――ジュネスはここには来ない。だから……
「ありがとうございます。是非いただきます」
だから、たとえ代わりだとしてもグレイが食べ、そしてせめてジュネスの近況を言葉で伝えるのだ。
「いつもあの子のことを報告してくれてありがとう、伯爵」
グレイはジュネスの近況を折々にメアリナーデへと精霊を介して伝えていた。彼女はそのために専属の【魔法士】を雇っているのだ。今回朝から精霊で訪問を知らせられたのもそのおかげだった。
「代わり映えのない報告ばかりで申し訳ございません」
「そんなことないわ。それに教えてほしいと我がままを言ったのはわたくしです。会食の招待状のこと、頼ってくださって嬉しかったの。少しでもあなたに恩が返せると思って」
寂しげに微笑みながら、メアリナーデは紅茶を口に含んだ。白く細い指がティーカップの淵を滑る。もともと背の低いメアリナーデだったが、肩を落した姿は彼女を更に小さく見せた。
「……以前、ファーラル様がお忍びで来られたの」
「そういえば、視察でマーギスタに来ていたそうですね」
「ええ。その期間中に合間を縫って来てくださったわ……そして言われたの」
小さく細い肩が震えている。
「ジュネスを、廃嫡してくれと―――」
「……」
グレイはぐっと唇をかみしめた。だが、何かを発することは出来ない。グレイもわかっている。ジュネスはロア家から―――いいや、メアリナーデから切り離してしまわなければならないのだと。
「早急にお返事しますとお伝えしていたのに、わたくし……まだ返事が出来ていなくて……どんなに考えても、あの子との唯一の繋がりを失くすのが怖くて……っ」
溢れる何かをこらえる様に唇を引き締め、それでも足りないと顔を覆ったメアリナーデは、声を上げる事無くただ静かに肩を震わせ続けた。
メアリナーデの出生は他に知られてはならない。もし知られれば、ロットウェル内にいるであろう王制復活を願う輩に利用されてしまうからだ。それを恐れ彼女は他国の爵位あるロア家へと降嫁し、ジュネスは自分の出生を呪い忌み嫌った。
ロットウェル最後の王―――かの愚王の父王が侍女に産ませた子供こそ、メアリナーデだった。だが、父王の正妃は自分より先に子を孕み産み落としたメアリナーデの母を決して許さなかった。出産が終わったすぐに親子ともども城から放り出され、父王には母子ともに死んだと告げたという。
当時のロットウェルは長子継承が絶対だった。正妃であろうと侍女が産んだ子であろうと、王の血を最初に受け継いだ者が次の王となる。
それが絶対の法則だった。
あの時正妃が母子を追放しなければ、もしくは王妃の報告を時の王が鵜呑みにしなれば……メアリナーデがロットウェルの王女として君臨していたのだ。そして、その直系としてジュネスが生まれていれば、彼は正当な王子としてロットウェルを継いでいただろう。
だが実際は母子は殺されこそしなかったが、ロットウェルから追放され、少ない従者を連れてマーギスタに辿り着いた。家令をしているジェームスは当時を知る数少ない人物である。
母は連れていた従者たちに僅かばかりの金銭と宝石を渡し、今までの礼を言って別れた。唯一残ったジェームスと共に必死に生活した。彼はどんなに言っても離れなかった。もしかすればそこにあったのは愛だったのかもしれないが、お互いそれを口にすることは生涯なかった。
元は侍女だったのが幸いしたのか、彼女は煮炊きも含めた仕事を厭わず行った。手が荒れても、満足に食べられなくても、子供メアリナーデだけは守り続けた。
メアリナーデの出生が知れれば、どれほどの渦中に巻き込まれるかわかっていた。王に対して愛はなかった。だが、産んだ子供に罪はない。
そうしてメアリナーデが2歳の時、母はマーギスタの商人と結婚した。爵位もなくただ必死に働いていた女を見初めて愛してくれた人に、惹かれていった。ジェームスはただ静かに微笑んでよかったですね、と言ってくれた。
それでよかったのだ。当時ジェームスはまだ20歳を過ぎた頃だったのだから。
王とは婚姻関係はなかった。だから未婚の女―――その外聞は決して良くなかった。だが夫となった商人の男は、気にしないと言いメアリナーデを本当の娘として可愛がってくれた。
そうしてメアリナーデはロア家嫡男に見初められ、嫁いだ。決して誰にも言ってはならないと母にきつく釘を刺された真実を胸に抱いて。
「生母さまは、なぜメアリナーデ様に真実を語ったのでしょう。言わなければ貴女が思い悩むこともなかったし、ジュネスが真実に触れて出生を厭うことも無かった」
グレイは真実を知っている。彼の王妃が隠ぺいしたとされる事実は、完全に塞ぎきれずに後々部分的に流出したのだ。もちろん、限定された人々だけに限られてはいたが。
「……もし、わたしたちの事が第三者に暴かれ、利用されるようなことが発生した場合……自分の意思で未来を選びなさいと、言われたのです」
旗印として担ぎ上げられたとき、その櫓の上に上がるか。もしくは突っぱねて拒否をするか。利用されるか利用するか。
その判断を自ら下し、悔いのないようにするため―――
ジュネスの出生です。
やっと書けました。




