現地散開
場所は国境警備兵舎の一室。面会室と呼ばれている比較的清潔感のある部屋だ。実際はほとんど面会などないため、指揮官クラスの会議室として使われているのが現状だ。
その室内で顔に傷のある熊のような男が声を上げていた。
「国境警備終了の褒賞としてもらえる2週間の休み。俺はその休みをここで過ごすことにした!と、いうわけでおまえ達とはここでお別れだ。議長たちにはうまく言っておいてくれ」
「なにが、というわけなのか全然わかりません……」
マクルノの前の席に座らされた副長らしい男は頭を抱えて唸っていた。
突然作戦に参加すると勝手に決定した男は、あっさりとその懐に入り込んできた。国境警備部隊は連続勤務となるため、任務後は纏まった休みがもらえることになっている。大よそ2週間が基本だ。功績によってその期間は短縮・延長があり得るが、特に交戦地帯でもない警備のため、基本通り2週間が妥当だろう。
「し、しかしマクルノ隊長。奥様がお帰りをお待ちですよ」
「むっ」
副長の男が告げた言葉一つで、それまで笑顔だったマクルノの表情が固まった。そして眉間の皺が深く刻まれていく。
「キティに子供が生まれそうだと手紙が届いていたではないですか」
「むむむっ」
ちなみにキティは飼い猫だ。
「まずは無事な姿を見せてから、それからでも。でしょ隊長」
副長の男は、なんとかこの猪突猛進な隊長を連れ帰らねばならない使命を抱えていた。マクルノの奥方に出発前からそれはもう花咲くほどの満面の笑みで言われたのだ。『気絶させてでも連れ帰ってくださいませね』と。
―――怖かった。小柄で短髪が似合うマクルノの奥方。年の差12の大恋愛の結婚。しかし奥方は嫉妬深かった。強面で女心など理解しようともしないマクルノが浮気などという高等技術を行使できるはずもないのに(それ以前に威圧感がありすぎて女が寄ってこない)奥方はそれはそれは心配しているのだ。心配は杞憂だと告げているが、逆に『わたしの旦那様に魅力がないとでもいうの』と研いだばかりの包丁をちらつかせて凄まれたのは新しい記憶。
もちろん連れ帰りたいところだが……正直、こちら側が気絶させられることはあっても、この熊のような隊長が気絶してくれるような優しさは持ち合わせていないと知っている。
つまりマクルノが気分を変えてくれない限り、奥方の命令は反故が決まっているのだった。
「妻には会いたい。キティにも会いたい。だが、俺はここでやらねばならないことが出来た……俺を信頼して託してくれている男たちがいるんだ。俺がそれを断れば、奴らに合わせる顔が無い……」
マクルノは顔を伏せさせ、胸元で強く拳を握りしめ苦しそうに声を吐き出した。全身から謎の『男たち』への信頼が溢れている。
そんな様子を黙って見ていたが突然伸びてきたごつごつした大きな手が、副長の両肩に置かれ力強く揺さぶられた。
「愛する家族には手紙を書こう。それをどうか、届けてくれ……」
「隊長……」
近年見ることが無くなっていた隊長の真剣な視線に、副長は気づけば首を縦に振っていたのだった。
マクルノは手早く妻とキティに向けて手紙を書いた。ちなみに妻には2枚。キティへは3枚だ。猫は読めないので無駄ですよと何度言っても、猫好きなマクルノはつい書いてしまうのだと言い紙を消費する。その手紙を読むのは奥方だと本人もわかっているのだろうが、それでも妻より多くの文字数を愛猫に中てて書き連ねている。
撤収部隊が帰るのに合わせ、グレイも手紙を認めた。
当初予定では10日ほどでいったん帰宅予定だったのだが、それはすでに実行不可能になってしまった。下見などを済ませて10日間みていたが、読みが甘かった。ここまでくる段階で8日間も消費してしまうとは痛恨である。
ファヴォリーニ宛と、ファーラル宛と、ライナ宛の計3通を一つの大きな封筒に入れて託す。届け先はバーガイル邸。中身を確認したクレールが仕分けをし、ファーラル宛の文書は確実に届くよう手配してくれると信じての事だ。任務終了の1兵士が―――たとえ隊長クラスといえど―――議長であるファーラルにそう易々と面会が許されるわけがない。となれば、ファーラルへ経由している間に、グレイの託した手紙は心無い何者かに握りつぶされてしまう可能性もある。そのための処置だった。
「手間をかける」
「いいえ。伯爵邸へお届けいたします」
グレイの言葉に、手紙の束を懐に収めた副長の男ははにかんだ。
部隊の撤収準備は以前から進められていた為か、前任者たちは素早く後任者たちにその場所を明け渡した。
そうしてグレイが国境警備地帯に到着して9日経ったその日、マクルノを残した前任者たちは隊列を組んで中央都市に向けて出発していったのだった。
グレイはその晩、現在部隊を率いている隊長(仮)に初めて任務内容を打ち明けた。と言っても、あくまでマーギスタの都市での秘密裏な作戦行動としか伝えず、ファーラルからの要請とも伝えていない。言わずともそれなりに付き合いの長い部下なのだから、察している部分もあるだろう。
パーティスとロックに関しては、急病のため帰還部隊と共に中央都市へ戻したということにしておいた。一気に4人もの人間が姿を消すことは、あまりにも不自然だからだ。ロックはともかく、パーティスに関しては同僚たちから毎晩遊び歩いていた報いだとからかわれていた。
一旦帰還部隊とともに離れた二人は、二日ほどのちにその帰還部隊から離れて別ルートでマーギスタに入ることになっている。言い訳は何にしようかと考えていたグレイだったが、パーティスは『口八丁でなんとでもしますよ』とあっさりと請け負った。隣でうんざりとした視線を向けていたロックには気づいていたのか、いないのか……。
「マクルノ隊長も一緒に行きましょう」
軍服から着替えたグレイは、同じく軍服を脱ぎ捨て私服になったマクルノに声をかけた。だが、そんな言葉に首を振る。
「いいや、俺は別行動する」
「え」
まさか想定していなかった返答に、おもわずグレイは言葉を失くした。
「しかしマクルノ隊長……」
「おまえ達はお前たちで予定通り行動しろ。俺は俺で勝手にやる」
「勝手にって……それは困ります」
あまりにも無責任な発言に、さすがのグレイも表情を改め目を眇めた。この作戦には自分とジュネスだけでなく、ロックとパーティスという二人の命運も預かっている。なにか問題が起これば、それは国際問題に繋がりかねないのだ。それはマクルノも理解しているだろうに、発せられた言葉はあまりにも飄々としておりグレイの琴線に触れた。
「まだ形のない作戦です。実際に入り込んでみないと動きが分からない。ある意味とても繊細な潜入になると思います。それなのに勝手な別行動は……許可できません」
「許可とはまた大きく出たな」
「今回の作戦の全権は、ファーラル議長より俺に委ねられています。マクルノ隊長も手伝ってくれるというのであれば、俺の指示に従ってもらいます」
マクルノの冷やかすような言葉も受け流し、グレイはきっぱりと言い放つ。後ろでジュネスが若干ひやひやとした顔で二人を交互に見ているようだが、そちらにまで意識を向けている余裕はない。
「正直、マクルノ隊長の手伝いは有難いです。俺では見れない状況もあると思いますので。けれど―――」
「硬いんだよ、お・ま・え・はっ!」
さらに言い募ろうとしたグレイの言葉を大きな声で遮ると、ずいっと体を寄せて顔を合わせた。グレイの身長は決して低くないのだが、マクルノはそれより軽く頭一つ分はとびぬけている。身長も高く、体格も大きく、頬には大きな刀傷。まさに見た目だけは手負いの熊と言われても仕方ない容貌だ。その顔が凄みをきかせて目の前にあるのだから、さすがにグレイも半歩引いた。
「お前の親父もそうだが、堅苦しい!もっと楽に行こうぜ、な」
「楽にと言われても……」
マクルノがいう『親父』というのは、間違いなくファヴォリーニのことだろう。息子として父親がどんな勇士を刻んできたのか直接に見たことはないのだが、いままで軍に在籍してきた中で、悪し様に言う人物に会ったことが無く、逆にあまりにも早い引退劇を惜しむ声は幾度となく聞いてきた。そしてマクルノはそんなファヴォリーニの一番の部下だったはずだ。その男から言われた『堅苦しい』の一言に、グレイは反応を返せない。
「お前はお前のしたいことをしろって言ってんだよ。俺は俺で勝手に動く。もちろん悪いようにはしないし、なにかあればどうにかして連絡も取るさ。だからグレイは責任者として役目を果たせ。俺の事は保険程度にとどめておけばいい。いや、いっそ忘れろ。俺はマーギスタにいないと思っとけ」
「……マクルノ隊長……」
ここまで言われ、ようやくマクルノが何が言いたいのか理解できた気がした。
彼は―――助けに入れないファーラルの代わりに、なにかあればフォローに入ると言ってくれているのだ。
しかし、これは甘えに繋がるのではないかという気持ちもある。だが、そんなグレイの心情を察したのか、マクルノはいつもの軽快な笑いを見せた。
「先の見えない作戦行動なんだから、使えるもんはなんでも使えよ」
それだけ言うと、マクルノは着替えを詰めた手荷物一つを肩にかけ、大股で室内から姿を消した。ちらりと見えた耳が赤くなっていた気がする。存外照れ屋なのかもしれない。
「グレイ様」
「ああ」
扉が閉じられ、室内からマクルノの残した気配が霧散したのを見計らったように、ジュネスが傍に来た。その手には飾り房の付いた細身の帯剣がある。今回の任務の為に用意したグレイの護身武器だ。いつも使用している剣に比べて細く薄い。心許ないが、身軽な貴族として潜入するためすこし華美なデザインで、実用性を感じさせないものが選ばれたのだった。その剣を受け取り腰に穿く。慣れない軽い剣の感触に違和感は拭えないが、慣れるしかない。
「マクルノ隊長は徒歩で都市にはいるようです。こちらの馬はいつでも行けます」
「わかった」
パーティスとロックは帰還部隊と離れた後、隠しておいた箱馬車でマーギスタに入ることになっている。とりあえず潜入後に郊外の拠点で落ち合うことにしている。無事に合流できれば第一段階クリアだ。
「ジュネス、行くぞ」
「はい」
グレイは着慣れない貴族らしい装いに身を包み、慣れない軽い剣に内心辟易しながらも、それでも顔を上げて潜入作戦への一歩を踏み出した。
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次回は「無声の少女〜閑話休題〜」の更新予定です。




