出発
お待たせしましたです。
「では、いってきます」
バーガイル邸の正面玄関には、旅支度を済ませたグレイとジュネスが並んでいた。見送りの家族とライナ。その両隣にはニーナとクレールが出立の二人を見つめていた。さらに後方に使用人たちが並ぶ。
「お気をつけ下さいね、グレイ様」
ニーナが不安げに眉を寄せて言うが、当のグレイはそんな心配など杞憂だと言わんばかりに声を上げて笑った。
「ははは、ニーナは今でも心配性なんだな。大丈夫、今回は本格的な任務の下準備だから10日もあれば帰って来るよ」
「危険が無ければいいのです。体調を崩されないように気を付けて下さいませ。あと生水にも気を付けて下さいませね」
「わかってるよ」
乳母として幼少を育てたニーナにとって、グレイは我が子のように可愛くて大切な存在なのだ。グレイもその気持ちが嬉しいし理解できるから、多少しつこいほど言われても穏やかに流すことが出来た。
顔を上げたところで強い視線を感じ、無意識に顔を向けていた。鋭い視線で息子を見ているファヴォリーニと目が合う。
「グレイ、内容はファーラルから聞いている。気を抜くなよ」
「はい」
今回の作戦内容は、ファヴォリーニだけには伝えてあった。その他には漏らしていない。無用な心配を掛けさせないため―――巻き込まないための策だ。
「一旦戻ってきた際に、ご相談することもあるかもしれません」
「わかった」
「あなた、グレイ。難しい話は昨夜さんざんしていたでしょう?」
鋭い空気を切り裂いたのは、年末辺りから肌艶の良くなったミラビリスだった。ライナとアンヌの一件があって以来、ミラビリスはファヴォリーニとよく話すようになった。早朝に散歩もクレールに代わって付き添いをする日もあるほどだ。いつも自室に引き籠っていた女主人は、今では活発に交流を深める貴婦人と変貌を遂げていた。それが良い方向へ向かったのだろう、ミラビリスの健康状態も肌艶の状態も頗る良い。
「ライナ、おいでなさい」
「……」
手招きされたライナは小走りで近寄ると、抵抗なくミラビリスの隣に並び立つ。その様子が嬉しかったのかミラビリスは満面の笑みだ。だが、ライナは隣の笑みに気付くことなく、恥ずかしそうにしながらグレイに何かを差し出した。
「……これは?」
差し出されたのは革で作られた巾着袋だった。以前ライナがくれたハーブが入った巾着とよく似ている。触ってみると中に何か固いものが入っているのがわかった。
「ライナ、まさか……」
内側に存在している物について、グレイは一つだけ思い当るものがある。それはライナ以外、誰のものにもならない大切な品。
「開けてもいい?」
その言葉にライナは小さく頷き、グレイがゆっくりと開封して中身を確認していくのを見守っていた。そして、出てきたのは―――ライナの護り石。
やはり、と思った。想像通りのライナの宝物の1つだ。グレイは少し屈んでライナと目線を合わせると、護り石を差し出して首を振った。
「ライナ。気持ちは嬉しいけどこれはダメだ。これは大切な形見じゃないか」
「そうだよライナ。お父さんの残してくれたものだろう……」
〔グレイとジュネスを守ってくれるようにお願いしておいたよ〕
あらかじめ書いておいたのだろう、差し出された黒板にはすでに文字が書き込まれていた。そして手早く文字を消し、素早くチョークを走らせた。
〔帰ってきたら帰してくれればいいの〕
「ライナ……」
〔わたしの宝物だから、絶対返してね〕
ライナは両手に黒板とチョークを持ち、決してグレイの差し出す巾着を受け取ろうとしない。隣でジュネスも困惑の表情だ。どうしたものかと助けを求める意味も込め、グレイは庇護者たちを見渡したのだが―――
「……」
どうやら全員が『ライナの意思』を尊重することに合意しているようで、グレイとジュネスの願いは無言のままに却下された。
〔わたし、その石をグレイに渡されてからいい事ばかりなの〕
「そ、そうかな……」
〔怖い思いをしたりもあったけど、全部いまに結びついてると思うから必要なことだったんだと思えるもの〕
目の前に出された黒板。そこに書かれた丁寧な文字。
ロットウェルに来てから起こった怖かったことも不愉快なことも、全部『現在』を形成するために必要な出来事だったのだと笑って受入れ、自分の中で昇華できている少女。消して目立つ存在ではないけれど、やはりその心根は誰よりも強く穏やかだ。
改めてそう気づくと、不思議なほどすんなりと手の中にある『宝物』を受け取れる気がした。そうなれば再びその気持ちが揺るがないよう、グレイは決断し、ライナと目を合わせて微笑んだ。
「……ありがとうライナ。これ、借りていくよ」
「!」
グレイが巾着をぎゅっと握りしめて告げると、ライナは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見ただけで胸の奥がじんわりと暖かくなる。そして無意識に伸びていた腕は、そのままライナを柔らかく抱きしめた。
まだ標準よりも小さくて細い体。髪は伸びて肩を超え、背中に届くほどになっている。その小麦色の髪を指先で一房絡め取り、唇を寄せる。
「離れてしまうのは辛いけど、すぐに帰って来るからね」
「〜〜〜〜!!!」
「あれ、どうしたのライナ」
甘い声と極上の笑顔。さらにそれを間近で攻められた事により、さすがのライナも顔を真っ赤にして体を硬直させてしまっていた。だが、グレイはきょとんとして、そんなライナを不思議そうに見つめている。真後ろでジュネスが主の手の速さにぽかんとしていることも気づかずに。
ライナは顔を真っ赤にしつつ、じたばたと手足を動かしてグレイの抱擁から逃げ出そうとするが、訓練と実地で鍛えたグレイの腕の中から逃げられるはずもなく。
「このまま一緒に連れて行ってしまいたい……」
「〜〜〜〜!!!」
ぽつりと耳元で呟きつつ、頬を摺り寄せライナを抱きしめて離さないグレイは、その後我に返ったファヴォリーニに殴られ、クレールとジュネスに説教をされつつ屋敷を後にしたのだった。
「……まったく。たかが10日の先行任務だというのに大袈裟な奴だ」
呆れた溜息を吐きだしつつも、グレイとジュネスの乗った馬車を見送った後は、ファヴォリーニも少し不安げに見えた。
そう、たった10日の事前潜入。この10日の間にグレイたちはマーギスタでの活動拠点と足がかりを作らねばならない。ある程度の下準備は済ませてあるが、本格的に潜入となった時は長期滞在になることは間違いない。
「……」
10日経てば、とりあえず一旦は帰ってくると言っていた。だが、ライナは屋敷中の精霊たちが悲しげにしているのを知っていた。悲痛なものではないが、寂しさと悲しさは確実に感じる。
―――もしかしたら、長い別れになるのかもしれない。
直感がそう告げる。
―――グレイも何かを感じていた……?
怖くなって不安になって、グレイとジュネスが無事に帰ってくることだけを願って、父親の形見である護り石を手渡した。目いっぱい、ライナにできる限りの能力を込めて、二人の安全をお願いしておいた。
―――わたしは屋敷に守られているけど、二人は違うもの。
ライナには何もできない。ただ守られるばかりで役に立たない。けれど、あの護り石はファーラルすら欲そうとしていたと聞いた。特別な力があると言っていた。それならば、加護の対象をライナからグレイとジュネスに変えてしまえばいいと思いついたのだ。
―――どうか父さん。わたしを守ってくれた二人を守って。
その願いは風に乗り、遠くマーギスタまで届くだろう。
いつもありがとうございます。
これにて、しばらくライナの出番はしばらく無しです。
グレイたち中心でマーギスタ編進めますー
後半になったらすったもんだになる予定なので、頑張ります。




