冒険先での遭遇
曖昧な目的のまま、ライナは街を歩いていた。働き先として食堂は我ながらいい案だと思ったが、重大なことを思い出しがっくりと肩を落とした。
それは自分の声が出ないことを綺麗に失念していた事実。声が出なければ注文を厨房に届けることもできないし、接客業では当たり前の『いらっしゃいませ』も『ありがとうございます』も告げることが出来ない。それはダメだ。さすがに致命的だと思い直し、他に何かいい職がないかと屋台を冷かしながら歩いていたのだった。時々壁に貼られている求人募集を眺めるが、もちろんどれにも『声が出なくても歓迎』なんて言葉は見当たらない。いっそどこかでメイドか裏方の使用人にでもなれればと考えたが、彼らは声を出しあってコミュニケーションを取っているのを知っている。お互いがお互いをフォローし、何かあれば注意を促し、そうして仕事に取り組んでいるのをバーガイル家の屋敷で見て知ってしまった。そうなると、メイドや使用人という仕事もライナには無理そうな気がする。
――― 森で自給自足生活が確実かなぁ……。
寂しいけれど、それが一番誰にも迷惑をかけずに暮らしていける唯一の方法だと思えてきた。幸いにも、自給自足するには困らない程度の知識はある。住まいになる小屋だけでも建てるのを手伝ってもらえれば、あとはどうにかなる気がしてきた。周りに止める者がいないため、ライナは歩きながらも思考の深みにはまっていく。そうして徐々に『森での自給自足な一人暮らし』の想像が広がり始めてきたころ、ライナはふと顔を上げた。
――― あれは、保養所?それにしては古い建物だけど。
気が付けば、辺りは先程までの喧騒がなくなっていた。賑やかだった場所から少し離れた所に行きついてしまったらしい。目の前にあるのは、古い建物。元は白かっただろう壁は、塗り替えられずに灰色になっている。
――― 誰かいるみたい。
その建物から、たくさんの人の声がすることに気が付いた。怒鳴り声や悲鳴ではないようなので、興味が引かれたライナはその建物に向けて足を進める。建物の敷地内に入るための門はなく、誰でも自由に入れる状態だ。ライナは少し緊張しつつ声がしている方向に向かった。
そうしてライナがみたのは、10人ほどの子供たちが炊き出しを食べている姿だった。そして、彼らの食事を分け与えているのはミラビリスだった。屋敷ではほとんど見ることのない優しい表情で、子供たちに接している。食べ終わってもすぐにお代わりを要求する子供たちに、ミラビリスと侍女たちは乞われるままに食べ物を配っていた。
ずっと見ていたので視線に気づいたのだろう、ミラビリスが顔を上げライナに気付いた。
「ライナ!?」
突然声を上げたミラビリスに驚いた侍女と子供たちは、その視線の先を見て小さなライナの姿を見つけた。侍女二人はぽかんと口を開けた後、どうしてどうやってと騒がしい。だが子供たちは見知らぬ少女に不思議そうな顔をするばかりだ。
「どうしてここに?グレイは一緒なの?それともニーナ?」
慌てて駆け寄って来たミラビリスは、ライナの体に触れて怪我や汚れがないか確認し始めた。身を屈めて、えんじ色の外套に汚れがない事、顔にも傷がない事を確認し終えると強張っていた表情をようやく緩めた。しかし眉は顰められたままだ。
「まさか一人でここまで来たの?」
ミラビリスの少し焦ったような声に、ライナは素直に頷いて肯定するしかなかった。
「なんて無茶なことを……グレイが過保護になる理由もわかります」
美しく紅が引かれた唇から零れた声。その中には確かに非難するような響きが含まれていて、どうしても身を強張らせてしまう。ミラビリスは思わず俯いたライナの頬に触れ、顔を上げさせる。そうなれば目を合わせるしかなくなった。
「おてんば娘には罰が必要ですね」
「……」
美しい顔には、怒気がこもっていたが、ライナには避ける手段がなかった。
ミラビリスと侍女たちがいた建物は、中央都市に数か所ある孤児院の一つだった。子供は0歳児から15歳までの23人。ライナが到着した時、幼い子供たちしかいなかったのは、年長組は学校へ行っていたからだ。その間、ミラビリスが学校へまだ行けない子供たちの世話をしているらしい。
「さすがに毎日ではないのよ。いわば持ち回りみたいな感じ?こういうボランティアをしているのは、ミラビリス様だけじゃないってことよ」
洗濯の手伝いに指名されたライナは、同じく桶の中で洗濯物を踏み洗いしている侍女にそう言われた。
なるほど。そういえばアンヌもボランティアに精を出していると聞いたことがあると思い出した。貴族が慈悲を恵むように行うことに、ライナの心が少し不快に感じている。彼らのそれは、一種のステータスなのか自己満足なのか……微妙な境界線だと言えなくもない。だが、少なくとも子供たちの役に立っているのならそれでいいとも思う。
「けど、そろそろ冬も近づいてきたし、冷たい水での洗濯は勘弁してほしいわねとこだよね。あとでお湯って沸かしてくれるのかな〜どう思うライナ」
ちなみにこの洗濯がミラビリスの言う『罰』になるらしい。確かに貴族の淑女に対してであれば『罰』になるだろうが……。
冷水の為、足先が赤く色づいているのを見て侍女は身を震わせた。ライナは久しぶりの洗濯という作業を楽しんでいたが(なにしろニーナはさせてくれない)侍女にしてみればライナに同伴させられてとばっちりだったかもしれない。
「あっとごめん。わたし口調崩れすぎてるわね」
侍女は思い出したように口を押え、申し訳程度に頭を下げた。ライナはそれを見て、慌てて頭を振った。ここに来て初めて普通に接してくれた人物だ。様付けなんて自分でも似合わないと思っていたから正直嬉しい。
「ちょうど妹と同い年くらいなのよ。ついつい……許してくれる?」
少し首を傾げて照れたように言う侍女に、ライナは大きく頷いて見せた。それを見て安心したように息を吐き出すと、足踏みを再開する。
「ありがと。ついでにまた呼び捨てにしたらごめんね」
反省しているようでしていない侍女の様子に、ライナは笑顔になった。
「わたしの名前は知らないよね。リリーって言うのよ。暇な時にでも侍女部屋においで。ニーナさんにばれないようにね」
侍女リリーは悪戯っ子のように目を輝かせ、ライナに微笑みかけた。屋敷の使用人たちとはほとんど接点のなかったライナに、新しい出会いが生まれた瞬間だった。
洗濯が終わり子供たちとご飯を食べていると、俄かに孤児院の玄関ホールが賑やかになった。なんだろうと見に行くと、そこにいたのは思いがけない人物―――アンヌ・ジル・リグリアセット公爵令嬢その人だった。
「ちょ……!なぜ貴女がここにいますの!?」
目ざとくライナを見つけたアンヌは、スプーンを握ったまま顔を覗かせているライナに指を突き付け、声を張り上げた。アンヌの隣には当然のようにロージィが控えている。
「アンヌ、今日は手伝いに来てくれたのでしょう?」
だが、ミラビリスはアンヌが叫んでいるのを半ば無視し、訪問の用件を確認した。未来の夫の母親(予定)を邪険にできず、アンヌは表情筋を総動員して笑顔を作ると、背筋を伸ばしてミラビリスに向き直った。
「はい。美味しい焼き菓子を買ってまいりましたの。あと、これからの季節を考えてマフラーも一緒に用意いたしましたわ」
「素敵だわ。相変わらず気の利くいい娘に育ったわね」
「そんな……当然のことですもの」
ミラビリスからの褒め言葉と、向けられる優しい眼差しにアンヌは嬉しくて頬を染めた。が、それをライナに見られていると思うと、無性に恥ずかしくなってしまう。どれもこれも、グレイの妻として認められるため。ファヴォリーニの印象は悪くなってしまったが、ミラビリスはまだ慕ってくれている。以前と変わらない優しい声と雰囲気に、これから巻き返すためにもなりふり構わぬ決意をしていた。
「おばさま、わたくし何をいたしましょう」
意気揚々と仕事を買って出る。やる気に溢れたその姿に、ミラビリスは顎に手を当て、考える仕草をする。
「そうね。洗濯も終わってしまったし……ああ、奥の遊戯室を片付けてきてくれるかしら」
「お任せ下さい」
「ライナと一緒にね」
「…………え」
驚きすぎると思考も体も固まってしまうものなのだろう。アンヌは視線をミラビリスに向けたまま微動だにしない。
「ライナと一緒にね。ロージィは窓拭きを手伝ってちょうだい」
繰り返し言われ、さらにロージィには別の仕事を言い渡された。ロージィは反論しようと身を乗り出そうとしたが、ミラビリスの目が笑っていない笑顔を直視させられ、顔を背けてしまった。
「か、かしこまりました……」
「ちょっとロージィ!!」
小さな声ながら了承の返答をしたロージィに、アンヌは声を荒げ手を伸ばそうとしたが、その手を素早くつかまれた。びくりと身を震わせ、自分を掴んでいる腕の出所を辿ると―――それは当然ミラビリスだった。
「遊戯室の片づけをお願いねアンヌ。年下のライナに、しっかり教えてあげるんですよ」
「……は、はい」
拒否権はない。
そしてライナはライナで、嫌そうな顔を隠しもせずにそのやり取りを眺めていたのだった。
――― 最悪……。
あと1話で大冒険は終わる…はず!




