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無声の少女  作者: けい
ロットウェル
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アンヌの気持ち

 ライナとアンヌは外套を脱がされ、遊戯室と呼ばれている部屋に半ば閉じ込められた。ミラビリスが珍しいほどの笑顔で扉を閉めてしまったのだ。なにが楽しいのかさっぱりわからないが、ライナとアンヌが仲良くなればいいと思っていることは間違いないだろう。


 どちらともなくため息を吐きだし、お互いにその気配を感じて顔を合わせた。

 先に視線を逸らしたのはライナだった。自分の事を気に入らないと公言している相手に愛想を振りまくほど心は広くない。いや、正しくは公には言っていないのだから、公言とは言わないのか。

 取り留めもなく考えつつ、部屋の奥にある掃除道具入れから箒と雑巾を取り出した。元より掃除するつもりだったのだろう、バケツに水が張ってある。ライナは手に持った雑巾を見て、アンヌを見て、もう一度雑巾を見て、再度アンヌを見た。


「何よ、その汚いのは。わたくしに近づけないで。そしてこっちを見ないで」


 つん、と顔を逸らせると、アンヌはライナから距離を取って床に散らばったおもちゃを拾っていく。ライナはそちらを見ないようにしつつ、まずは箒で全体を掃き清めていく。まずは細かい砂や埃を集めていく。


「けほけほ。あーもう、埃を立てないで下さらない?」


 明らかに当て擦りで苦情を言うと、アンヌはこれ見よがしに窓を全開にした。態度も口調も気分がいいものではないが、窓を開けてくれたのは助かった。空気の入れ替えをしたかったのだが、アンヌが窓際を陣取っていて近づけなかったのだ。


 部屋全体の掃き掃除を終え、腕まくりをし、ワンピースの裾も絞って動きやすいようにする。そして雑巾を絞って床を拭き始めた。ロットウェル(ここ)に来てから掃除というものから縁遠くなっていたが、山村の村で暮らしていた頃は日課だったのだ。手際よく掃除していく。


「なっ……!レディがなんて恰好してるのよ!」


 足をむき出しにし、床に膝をついている姿にアンヌは顔を羞恥で染めて声を荒げた。だが、きょとんとしているライナには、言うだけ無駄だと悟ったのか、もしくは怒りと呆れが混ぜ合わさって感情が乱れているだけなのかもしれない。


「……掃除婦が似合うのではなくて?いっそそうして生きて行けばいいのよ」


 先程よりも幾分冷静な声だったが、十分に忌々しげだ。思わずライナもイラッとしたが、掃除婦という単語をライナは脳内に留め置いた。


 ―――掃除婦って完全裏方だよね。一人で淡々とするとか……わたしにピッタリじゃない!


活路が見えた気がしたライナは、どこで仕事の紹介をしてもらえるのだろうと考え始めていた。グレイはきっと反対する気がするので、言わない方がいい気がする。だったらジュネス?いや、クレールを頼るのが正しい選択な気がするけど。


 そんなことを考えているとは思っていないアンヌは、考え込んでいるライナを指さし、声を上げた。


「あなた自身が薄汚れていて、とても耐えられないわ。由緒正しきバーガイル家に世話になっている自覚が足りないのではなくて?」


 さすがに思考の海から脱し、顔を上げる。そうは言っても、遊戯室を綺麗にしろという指示を出したのはミラビリスだ。と、そこまで考えて思い出した。ミラビリスは『片付けて』とは言ったが『掃除して』とは言っていなかったことを……。


 ―――早合点しちゃったかなぁ。


 汚れた雑巾を眺め、肩を落しつつバケツに放り込む。そして冷たい水に手を入れて揉み洗いをしていく。そんな姿を見つつ、アンヌは口撃をやめる気はないらしい。


「居候といえど、伯爵家に住まわせてもらっている自覚がないことは問題だと言っているのです」

 ―――自覚くらいある。


「周りが親切だからと言って、それに甘えてばかりなのは問題だと思いますけれど?」

 ―――そんなこと、言われなくたって身に染みてる。


「あなたはバーガイル家に……いいえ、グレイ様の近くにいることに相応しくありませんの。声が出ないのはお気の毒ですが、もう14歳なのでしょう?自分で身を立てて屋敷から出て行く気概を見せてもよろしいんではなくて?」

 ―――だから出て行くことを考えてるんじゃない。


「わたくしは公爵家の娘として、グレイ様の妻となるべく生きてきましたのよ。後からのこのこと現れたあなたに、わたくしの何が分かるというの」

 ―――あんたにだって、わたしの何が分かるっていうのよ!!


 ライナの感情に合わせ、開いた窓から突風が入って来た。瞬時に吹き上がった風は、アンヌのピンクゴールドの髪を巻き上げた。そして、その風はそのままライナを護るように渦を巻く。


「……【魔法士】……」


 知らずアンヌの喉が上下した。うっかりこの能力の事を忘れていたのだ。無力な少女だと見下していたというのに、形勢が一気に逆転してしまった。だが、アンヌとて伊達に【魔法士】グレイの傍にずっといたわけではない。すぐに全開になっていた窓を閉めると、それ以上の風の暴走をとどめた。そして我が身を守るために素早く棚の陰に身を隠した。


「図星をつかれて能力(ちから)を暴走させるなんて、半人前もいいところだわ。グレイ様の時間を浪費して、何も身についていないのではなくて?本当に迷惑だわ!」


 そして、身を隠しながらも声を上げて挑発を繰り返す。


 ―――暴走なんて、させない……もん。


 アンヌから投げられた言葉に、ライナは歯を食いしばり、精霊たちを制御しようと教わった通りに能力(ちから)を絞り込んでいく。ずっと授業では教えられてきたが、実は実際に身をもって体験するのは初めてだった。それでも出来ないなんて絶対に許されない。アンヌの鼻を明かしたかった。

 じりじりと風の威力が落ちて行き、巻き上がっていた髪が収まっていく。気が付けば、アンヌが片付けていたおもちゃが再び乱されてしまっていた。人形なども放り投げられたように床に転がっている。その状態を見てライナは悲しそうに肩を落した。なにか声を出したかったが、出ない事実に直面して結局口を閉ざす。そんなライナをアンヌは忌々しげに見ると、隠れていた棚から出てきて声を荒げた。


「声が出ないことを最大の理由にして、いつまでグレイ様のそばに張り付くのよ!」


 その瞳が涙でぬれている。


「わたくしからグレイ様を取らないで!」


 それは心からの叫びだ。

 好きな人が振り向いてくれない。それだけでなく、自分とは別の人物に心動かされていく姿を見ていて面白いはずがない。


「憐みの目で見ないでっ!」

「!」


 鋭い指摘にライナは思わず目を逸らした。何も悪いとこはしていないのに、していない筈なのに、なぜか無性に胸の奥が痛かった。


「取らないで。グレイ様は、わたくしの―――」


 アンヌが顔を覆って泣き出した。どうすればいいのか分からず、ただライナは立ち尽くしているしかなかった。こんなにも誰かを欲するほどに、誰かを好きになったことなどない。だからライナにはアンヌがこんなにも感情乱れる理由が分からないというのが正直な感想だった。


「アンヌ」


 そんな中、遊戯室の扉を開けて入ってきたのはミラビリスだった。ゆっくり入ってくると、そのまま腕を伸ばしてアンヌの体を抱きしめる。


「つらい思いをさせていたわ」

「おばさま……」

「わたくしは、あなたにも幸せになってほしいのよ」


 細い体を抱きしめ、その涙に濡れた顔を自身の胸元に押し付ける。強く抱きしめられ、周りが見えなくなったとき、もう一つの足音が響いたのが分かった。床に打ち鳴らされる革靴の音。その音はアンヌとミラビリスを通り過ぎると、まっすぐライナに向かっていく。


 それが誰の足音なのか、見なくてもわかる。

 泣く婚約者を素通りし、一直線に―――。


「ライナ、心配したよ……」


 甘い声。自分には向けられたことのない優しい労りの声。


「……頼むから、一人でどこかに行かないでくれ」


 抱きしめてくれているのはミラビリスで、婚約者の母親で。ずっと応援してくれていた人だった。公爵家の娘を迎えることによって、伯爵家の権力をさらに増すために―――。道具でもよかった。そう思われてもよかった。

 でも、いつの間にかミラビリスの心にも変化が生まれていたのだろう。それに気づかず……いいや、気づいていたのかもしれない。だけど認めたくなくて蓋をした。

 どんな形でもよかった。


 ただ、好きな人と結婚したかった。


「う……うぅ……」


 泣かない。泣いてなんてやらない。

 負けなんて認めるものですか。負けたなんて感じることもしない。

 嗚咽すら、堪えてみせる。


「母さん。後をお願いしてもいいですか」

「ええ。行きなさい」

「お願いします」


 背後からのグレイの問いかけに、ミラビリスは抱きしめる腕を弱める事無く、そして顔を向ける事もなかった。きっと気づいていたはずだ。アンヌの力が抜けてしまっていることに。支えていなければ崩れ落ちてしまうだろう。だが、グレイの前でそんな失態は見せられないと思っていることにも気づいている。


「行くよライナ」


 二つの足音が遠ざかっていく。そして遊戯室の扉が静かに閉められた音が響いた。暫くそのまま身動きしなかったが、ミラビリスが少し力を弱めたところ、アンヌはずるずると床に崩れていった。それを追うようにミラビリスも膝をつく。


「ごめんなさい、アンヌ」

「お、おば…さま……」


 いつも凛とした顔をした淑女は、涙で顔を汚していた。


「吐き出させてあげたかったの」


 涙を拭い、もう一度抱きしめる。


「グレイを好きになってくれてありがとう」

「っ……うぅ……っ」

「あなたはわたくしの娘よ。愛してるわアンヌ」

「お、おばさ…おばさまっ!」


 好きになったことは無駄だと思いたくない。そんなのは自分が可哀想すぎる。長い長い9年間の片思いだった。一度もグレイは振り返ってくれなかった。


 ―――ううん。振り返させることがわたくしには、出来なかったんだ。


 そろそろと顔を上げ、ミラビリスと顔を合わせると思い切って口にした。


「わた、くし……グレイ様が、大好きです……」

「ありがとう。まだ好きでいてくれるのですか?」

「許され、るのなら……想っていたい……」


 グレイがライナを溺愛しているのはわかっている。気づいている。それでもずっと好きだった気持ちを消し去るなんてできない。


「アンヌの気持ちはアンヌのものよ」

「はい……」


 今でも好き。

 でもきっと実らない。

 分かっていても―――まだ好きなんです。

 

 アンヌの瞳から溢れた涙が、もう一度ころりと零れた。



もっとアンヌには激しい発言を用意していたのですが…

ちょっと急ぎすぎたかもしれません。。。

読み辛かったら申し訳ないです。

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