大冒険は続く
「ライナ様っ!」
えんじ色の小さな姿が、正面門の外へ駆けだしていく姿を目に留め、クレールは礼儀など吹き飛ばして大声を出していた。聞こえていないのか無視したのか分からないが、その姿はあっという間に玄関からは見えなくなる。
「え、いまのお嬢様ですか!?」
慌てた声で門番が叫んだのと、ライナの名前を聞いてニーナが走って来たのは同時だった。
「クレールさん!何かありましたか」
「あ、あの……お嬢様が、外に、走って行って、しまわれて……」
クレールが答えるより早く、門番の男は顔色を悪くしてたどたどしく答えた。
「なんですって!」
ニーナの声が玄関ホールに高々と響く。その声は遠く裏の洗濯室まで聞こえるほどだった。
今現在、このバーガイル家で一番大切にされているのはファヴォリーニでもグレイでもミラビリスでもなく、間違いなくライナだ。グレイは最初から完全に甘やかしていたし、ファヴォリーニも大袈裟にはしていないが、明らかに甘い。そして最近まで最後の難関だったミラビリスまで籠絡させたライナは、自身が気づかぬうちに使用人たちの人気も急上昇していたのだった。一番の功績はミラビリスの件だろう。屋敷にいても引きこもり、ほとんど家族とも使用人とも接点を持とうとしなかったミラビリス。唯一はアンヌの訪問だったが、グレイが避けているのを使用人たちも知っていたため、彼女の訪問はあまり―――ほとんど歓迎されていなかったのだ。だというのに、ここにきてライナはなにをどうしたのか、ミラビリスの中にあった壁を打ち破ったのか、乗り越えたのか、はたまた壁すら気づかなかったのか、あっさりとその懐に入ってしまった。
ミラビリスが最近私財でお菓子を買い集めているのは、教会や孤児院への寄付の分もあるが、ライナとお茶をする時のおやつの分も含まれていると、周りはみんな気が付いていた。冷たい氷のようだった屋敷を、たった一人の少女が暖かな場所に変えていく。ライナが住まうようになった当初こそ、使用人たちの目は猜疑的ですらあったが、いまではすっかり屋敷に住まう一員として見守っていたのだ。
「ニーナ、お嬢様はどんな格好をしていた」
「今日は、えんじ色の外套で中は薄紫のワンピース。それと茶色のブーツ。マフラーと手袋はわたくしが編んだピンクです」
耳を欹てて聞いていたのか、玄関ホールは多数の使用人たちがいるというのに怖いほど静かだ。そんな使用人たちに向け、クレールは迷いを振り切るように声を上げた。
「手が空いている者は手分けして捜索を。グレイ様にも早馬を出すように。厩の者は全員でいってくれ。わたしはここに残る。ニーナもいなさい。旦那様にご報告を……こら!使用人全員が出て行っては屋敷が空になるだろう!」
我先にと捜索に駆け出して行った使用人たちの後姿に、クレールは呆れるような溜息を吐き出した。だが、すぐに気を引き締める。
「クレールさん、どういたしましょう……っ」
「とりあえず、まずは旦那様に報告します」
軽く30人はライナ捜索に駆け出して行った。早馬も出した。今できることは他にはない。ちらりと見れば、門番の男は俯いて唇を噛んでいた。
「おまえは門にいてくれ。ライナ様が帰って来たらすぐに教えてくれ」
「……はい」
責任を感じているのであろう。その肩はがっくりと落ちていた。
屋敷でそんな騒動が起こっているとも知らないライナは、物珍しさで足取り軽く通りを闊歩していた。見るものすべてが目新しい。いつも馬車で通り過ぎる大通りではなく、あえて庶民の買い物客で賑わう小道に向かった。威勢のいい呼び声が耳に響き、楽しそうな笑い声や、子供たちのはしゃぐ声が留まることなく聞こえてくる。故郷の村もここまで賑やかでは無かったけれど、小さな個人商店の並ぶ市場は毎日賑わっていた。ライナと母の内職で作ったハーブ入り巾着を置いている雑貨店では、若い娘たちが楽しげに顔を寄せ合っていた。村の中心の社には、男衆が集まってみんな賑やかに、時には喧嘩をしながら助け合って生活していた。
賑やかな喧騒の中にいて、そんなことを思い出してしまうのは、まだまだ感傷的な証拠だろう。思わず、足を止めて考えた。
――― 村はどうなったのかな。
誰もいなくなったあの村は。
空を見上げれば、すっかり冬の色だ。そういえば前の年の冬は、雪下ろしが不完全で潰れてしまった家屋があった。今年雪が降れば、さらに故郷の家々は潰れていくのだろう。そうしてどんどんと荒れて行き、最初から何もなかったかのように何もかも消えていくのだ。
――― 帰りたい。けれど怖い。
誰もいなくなってしまった故郷の村を確認することは、ライナには到底出来かねることだと心が悲鳴を上げる。どんなにここ最近の毎日が満たされていたとしても、たった数か月前離れざる得なかった故郷を忘れることなどできない。いつか帰りたい。いつか一目だけでも。そう思っているが、思ったそばから『本当に帰りたいの?廃墟の村を見たいの?』と問いかける自分の声が上がる。どちらも本心なのは間違いない。だが今の段階では、どちらの心の声を優先したいと思っているのかライナ自身が分からない。
――― せめて、母さんを埋葬してあげたい……
きっと捨て置かれただろう遺体を思うと心が悲鳴を上げた。自然と涙が浮かんできてしまうのを頭を振って何とかこらえ、ライナは止まっていた足を進めた。
泣きそうになって頬と鼻も目元も赤くなってしまったライナだったが、見渡せば周りの人々も寒さで顔を赤らめていた。それに安心して、顔を上げるとさらに歩みを進めていった。
――― 感傷的になっちゃうのは、わたしのダメなとこ。
いつまでもいつまでも、くよくよと考えて泣いてしまう自分が嫌だった。起こってしまった現実をいまだに引きずっている弱い自分が嫌だった。早く独り立ちして、一人でも生きていける様になりたいと思っていたけれど、ここには自給自足をするための森も川も無い。精霊が見えることに対してメリットも無ければデメリットもない。後できる事があるとすれば、狩りくらいだろうか。だが、野生の動物を弓矢をもって追いかけるような場所ではないくらい、ライナにもわかっている。つまり、いままでの生き方が通用しないのだ。
――― ジュネスからしっかり学んで、クレールさんにマナーも教えてもらって、そうすればどこかの下働きにでも雇ってもらえないかな。
【精霊士】としてどこかに仕事を求めることは最初から諦めているので選択肢にはない。いまは甘んじてグレイから精霊について学んでいるが、母が『精霊が見えることは他言しない方がいい』と言っていたので、精霊に関した仕事(何があるのか分からないけれど)は探す気もなかった。
――― できたら住み込みがいいな。14歳じゃ部屋を貸してくけるところもないだろうし。そうだ。食べ物屋さんだったら、ご飯も分けてくれるかも。
ライナが屋敷から飛び出した目的は、自由に街を見て回りたいという思いと、バーガイル家を出て行く算段を始めることだった。
「ライナが出て行った!?」
屋敷からの早馬の知らせに、グレイは椅子を蹴り倒して立ち上がった。傍に控えていたジュネスも驚いた顔を隠そうともしない。
「は、はい。門番が目を離した隙に出て行ってしまわれたと……」
「門番が門から目を離すな!」
思わず使者に怒鳴ってしまうが、すぐにお門違いだと気が付いた。だが内心の焦りは消えそうもない。
「すまない」
どうするべきかと焦るばかりで頭が回転しない。使者からの一報を聞くまでは年初めにある健闘試合についての打ち合わせをしていたというのに、プログラムの内容が全部どこかに飛んで行ってしまった。
「グレイ様。すぐに精霊を飛ばして捜索を。ファーラル様にもお願いしてみてはいかがでしょう」
「……ダメだ。師匠はいまマーギスタに行っている」
「……マーギスタに……?」
グレイの口から飛び出した国名に、ジュネスの声が固くなる。声だけでなく表情も強張った。その理由は分かっているが、いまはそれに頓着している時間はない。
「すぐに精霊を飛ばせる。ジュネスも思い当るところを探しに向かってく
れ。俺も街に出る」
「はい」
すっと表情を引き締めたジュネスは、掛けてあった外套を掴むとグレイに一礼して素早く部屋から飛び出していった。内心マーギスタの名前に動揺しているだろうにそれを見せない強靱な精神力。しっかり育ったものだと、わずか5歳しか離れていない相手にしみじみ思ってしまう。
だが、今の最重要項目はジュネスではなくライナだ。彼女は自分が誘拐されかかったことを忘れているのではないだろうか。いや、きっと忘れている。あんなに怖い思いをして魘されて泣いていたというのに、切り替えが早いにもほどがある。
そこまで考えて、グレイは歩き出そうとしていた足をピタリと止めた。
――― もしくは恐怖よりも突き動かされる原因があるとすれば……?
――― それはとても面白くない。
なぜだか、激しく面白くない。ライナの恐怖心を上回り、屋敷を飛び出すほどの行動力の要因が思い当たらないが、思い当らないことがまた面白くない。
「くそっ!」
グレイは乱暴にドアを開け放つと、外套に袖を通しながら兵舎の通路を早足に進んでいく。そしてグレイの苛ただしさと呼応するかのように、精霊たちが一斉に街に向かって散っていった。




