表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無声の少女  作者: けい
ロットウェル
54/145

大冒険の始まり!?

 ライナが何者かに襲われたあの花祭りから、すっかり季節は巡り替わった。秋空だった景色は冬の色を濃くし、ちらほらと白い雪の精霊も混じり始めていた。


 結局アンヌがグレイに申告した内容は虚偽だと結論付けられた。聞き込みを行った結果、ライナを引きずり込む不審な男が、来場者に目撃されていたことが分かったからだ。しかも複数の目撃者があり、そのうち数人は怯えるライナと威圧する男を見ていたという。見ていたのならその場で助けろとグレイは怒鳴ってしまいたかったが、わが身可愛さで保身に走ってしまう心情も理解できなくはない。せめてもの救いは、心配だからとこっそりでも現場を目撃してくれていたことが、今回の解決につながったということだろうか。


 アンヌはファヴォリーニにきつく叱責され、同様にミラビリスも激昂の対象となった。それは、アンヌが知っていたライナの声についてが原因だ。アンヌ自身はやはり、ライナの声を聴いたことはなかったらしい。それでは、どこから情報が漏れていたのかと言えば、伯爵家女主人のミラビリス本人からだった。本館と別館で離れて暮らしているとはいえ、自然と情報は耳に届く。それにミラビリス自身の耳で、幾度かライナの悲しい懺悔の声を耳にしていたのだった。ミラビリスは会話の一つとしてライナの声についてアンヌに語ったつもりだったようだが、庇護している側がその対象の内実を第三者に話してしまう迂闊さが問題だった。ファヴォリーニは伯爵家の家人としての常識と責任をミラビリスに考える様に伝え、彼女に教会で行われている奉仕活動への参加を強制させた。そしてアンヌには、無期限の伯爵家立ち入り禁止を申し渡したのだった。


 今朝もミラビリスは、外套を纏い侍女を2人だけ連れて教会へ向かった。最近は朝食を食べると足早に屋敷を後にする。ファヴォリーニが馬車の使用を許可しなかった為、徒歩での移動である。由緒ある伯爵家の夫人が馬車も使わず徒歩で教会に赴くというのは、傍から見ていても違和感のあるものだった。

 そんな姿を父親の書斎の窓から見送った息子は、少々非難を入り混ぜた視線をその父親に向けた。


「父さん、そろそろ寒くなってきました。母さんに馬車を―――」

「ならん」


 今回ファヴォリーニは相当に頭に来ているようだ。グレイは何度か懐柔案を提示してみたが、いつも不機嫌な一言で一蹴されてしまう。取り付く島もないというのはこういうことを言うのだろう。


「けれどもう、あれから2か月近いです。毎日教会に通ってるし、私財から寄付も続けているとか」

「……」

「母さんは決して、体が強い人ではないのは父さんだってご存知でしょう」

「……」


 グレイの言葉にファヴォリーニはむっつりと黙り込んだまま視線を合わそうとしない。何か言いたそうに口元が動いているが、結局その口は開かないのだ。


「だいたい、ライナが母さんの事を悪く思っていないのに、いつまで続けるつもりですか」


 真相を教えられたライナだったが、ミラビリスに対して嫌悪感も苛立ちも感じなかった。気を失って悪夢にうなされていた時、ずっと手を握ってくれていたのはそのミラビリスなのだ。ニーナが言うには、本当に長い時間励ますように手を握りつ付けていたという。そんな優しい心を持った人を、今回の結果を担う原因の1ピースだったとして、それを断罪することは間違いだと思った。ライナは黒板にその旨を懸命に書き綴っていた。その姿に、最初はファヴォリーニ同様怒りに支配されていたグレイも目が覚めたのだ。それでもアンヌに対してだけは、父親の判断に感謝しているけれど。


「もうすぐ新年なんですよ。気分よくライナに年越しさせてあげてください」


 最終的には『ライナのため』の発言になってしまうが、自覚していてもどうにもならないのだから、わかっていて口から言葉が流れるままにしている。そしてそれは、ファヴォリーニも同じだ。


「……そうか。ライナ本人がミラビリスを赦すというなら、仕方ないな」


 呆れたように言っているが、妻を赦すタイミングを見計らっていたのは屋敷にいる全員が感じていたことであった。とりあえずは、言質を取ったことで一歩前進したと安堵し、グレイは一礼して書斎から退室した。



 その頃ライナは、正門から歩いて出ていくミラビリス一行を、登った木の上から眺めていた。裏地の付いた暖かな外套とブーツ。首に巻いていたショールはニーナお手製のマフラーに変わった。ついでに手袋もお揃いだ。暖かみのある手編みのアイテムに、ライナは心も温かくなった気がした。


 ――― ミラビリス様、今日もお出かけなんだ。


 実はあれ以来、ライナはミラビリスに懐いていた。朝の挨拶で頬合わせもするようになったし、夕方頃にテラスで一緒にお茶を飲んだりしている。最近は教会通いの為か疲れているようで、途中で転寝をしてしまうことも多かった。ミラビリスの私室にある装飾の綺麗な絵本も借りたし、細工仕掛けのオルゴールも見せてもらった。ミラビリスはきつい顔立ちをしているが、愛らしい物が好きな可愛い女性であった。手先も器用で、あっという間に刺繍もしてしまう。ライナも真似てみたがうまくいかず、頑張れば花のように見えなくもない、斬新な出来栄えであった。手ほどきを受けているライナと、それを教えるミラビリス。ニーナは二人が交流しているのを嬉しそうに眺めていた。


 アンヌが来なくなり、ライナとの交流が増えるにつれ、ミラビリスはその違いを実感しているように思えた。


 ――― いいな。わたしも外に出てみたい。


 ライナの行動は制限されていた。屋敷の敷地内は自由に歩き回っていいとされていたが、もう探検する場所は残されていない。広い広いバーガイル伯爵家。それでもライナの興味は閉じ込められた敷地内だけで収まるものではないのだ。

 と、グレイとジュネスが揃って馬車に乗り込むのが見えた。乗り込む前、グレイが周辺を見渡していたが、おそらくライナを探していたのだと思う。思わず大きく手を振ったが、とても見えないだろうと思ったのに、グレイは気が付いたようだ。木の上にいるライナを見て驚いた顔をしている。その途端、精霊が大挙して押し寄せてきた。そして『降りろ降りろ』というように、ライナを責めたてる。けれどその程度ではライナは動じない。と、次は白い精霊が来てライナの頭の上にだけ(・・)雪を降らし始めた。すぐに頭の上に積雪が発生し、さすがのライナも大人しく木から下りることにしたのだった。その様子を見届けたかのように、二人を乗せた馬車は屋敷から出ていった。


 ここ最近は仕事の関係でジュネスの授業時間が減っている。そのためライナのスケジュールは変則気味だ。今日も昼食くらいまで時間が空いてしまった。日々積み重ねのおかげか、予習復習も終わらせているのですることがない。精霊たちと遊ぶのもいいけれどライナの興味は断然、屋敷の外へと延びていたのだった。


 ――― 門、まだ開いてる……。


 いつもなら門番がすぐに閉めるのに、今日は何故かまだ開いていた。外界に飛び出すには一番近道である正面門。ライナは素知らぬ顔でじりじりと門に近寄って行った。花壇の花を見ている風を装いながら。だが、門番はそれどころではなく、ライナには一切気づいていなかった。


「あちゃー、噛んじゃったよ」


 風に乗って聞こえてきたのは門番の独り言。がしゃがしゃと音を立て、門を動かそうとしているようだが、重厚な門は微動だにしない。視線を向けると、滑車が通るための溝を気にしているようだ。何かが挟まったために動かなくなってしまったのだろう。


「クレールさん呼ぶか」


 だが、門番は中途半端に開いたままの門から離れることに躊躇していたようだ。


「交代が来るのは3時間後か〜。……呼びに行く数分だけ……大丈夫だよな」

「!」


 ライナは一瞬で胸が高鳴った。門番が門を離れることなどそうはないだろう。これはもしかして、外に出てごらん。という思し召しかもしれない!と、ライナは信じたことも無い神様という存在を初めて感じた。

 ライナは素早く身を隠すと、門番が門を気にしつつ屋敷に走っていくのを見ていた。そしてその背中が完全に見えた時、ライナは全速力で駆けだしていた。背後からすぐに名を呼ぶクレールの声が聞こえたが、ライナはそれを振り切って駆け出して行ったのだった。



 走りを止める事無く、ライナは息を切らせて路地を走った。何かの遊びだと思っているのだろう、精霊たちもついてきている。暫く走り続け、馬車の窓から見たことのある景色が視界に映り、漸くその足を止めた。

 喉から洩れるひゅーひゅーという音が耳触りだ。心臓は激しく脈打ち、その鼓動が耳にまで届いてくるようにさえ思える。


 息を整え顔を上げたライナは、直接感じる街の活気に瞳を輝かせた。路地のあちこちで露店が広がり、威勢のいい声が行きかう。いい匂いのする屋台からは熱い湯気もあり、何人かが並んで順番待ちをしていた。朝食を食べたというのに、お腹が減ったライナはその時気が付いた。


 ――― なにも、持ってきてない……。


 いつもの鞄は置いて来ていた。なにしろ屋敷内を出ることを考えていなかったのだから。当然護り石も黒板もない。当然ながら金銭などあるはずもない。無計画に飛び出してしまったために、ライナは美味しそうな屋台で食べることも、可愛いガラスのアクセサリーを扱う露店で買い物することもできず……。


 こうしてライナの大冒険は、切なく幕を開けたのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ