花祭り2
見るものすべてが目新しく、そして心を浮き立たせる。
ライナは初めての人混みに戸惑いながら、手を引いてくれているグレイとジュネスに遅れないよう足を進めた。活気と熱気はロットウェルに初めて来たとき、馬車の中からも感じていた。けれど、今はこの限定された空間での賑わいで、人の密度も相当なものだった。
訪れた人々それぞれが、楽しそうに声を上げている。悲しそうな顔をしている人は見当たらない。それはライナにとって、とても貴重で幸せな気分にさせてくれる場面。幸せそうな家族連れを見つけて、心が痛まないわけではないけれど……いまは両手を繋いでくれているグレイとジュネス。二人と一緒の風景がみれることが嬉しかった。
珍しい草花の展示コーナーでは、見たことも無い色の花があったり、不思議な香りのする木の実もあった。苗木が売っていて、グレイがライナのために買おうとしていたが、持ち運ぶのが大変そうなので遠慮した。
宝石とアクセサリーのフロアには、貴族階級だけでなく、普段見れない宝飾品に興味津々な若い娘たちも大勢いた。ほとんどは一般階級の人々だろう。ガラスケースに並べられた輝くアクセサリーたちに釘づけだ。
ふと目に止まったのは、小さな赤色の花のモチーフに、金色の台座が蔦のように絡みついている髪飾り。その蔦には色とりどりの宝石が散りばめられ、赤い花の傍に寄り添うように、一番のポイントである大きなダイヤモンドが鎮座していた。
「ライナ、気に入ったものがあれば買うよ」
「!」
周りの娘たちと同じようにガラスケースを覗き込み、アクセサリーを見ていたライナはびっくりした。ライナはアクセサリーも見ていたが、その値札を見て瞬きしていたのだ。だがグレイはそう思わなかったのだろう。さも当然と言ったように声をかけてきた。驚いたのはライナだが、隣で商品を見ていた娘たちもあっさりと投げかけられた言葉に目を見開いている。そして、思わず振り返り目に入ったのだろう、グレイの美男子と言って差し支えない造形に固まっていた。
「グレイ様、雑技団の演目の時間が迫ってます」
「そうか。行こうかライナ。気になるようだったら、またあとで来ようね」
「……」
すかさず割って入ってきてくれたのは、ジュネスの機転だと思う。ようやく分かってきたが、グレイはライナの事になると金銭感覚が狂う傾向にあるらしい。ちょっとでもライナが興味をひくものがあれば、なんでも買ってしまいそうになる。それを断るのはライナの役目で、意識を別に向けて気をそらすのがジュネスの役目になっていた。
「ライナは雑技団初めてなんだよね。楽しみだね」
満面の笑みを浮かべ、人混みの中を進んでいく。足がもつれそうになるたびに、グレイが優しく手を引いてくれた。
――― この人は、なんなんだろう。
正直、素性もわからないだろう他国の娘を、なぜここまで大切にできるのか。ライナ自身にもさっぱりわからない。自分に価値があるとは思えないし、ドルストーラ国に対しての対抗策としての利用価値もないだろう。ただ【精霊士】の娘という価値しかない。しかも声は出ないし、教養も足りてない。貴族の屋敷の別館を与えられるほどの何かをしたわけでもない。
なにもしていない。そう自覚している。けれどグレイはライナを構いたがる。時間があればライナの顔を見に来る。なにか困ったことはないかと聞いてくれる。そんな彼の瞳の中にあるのは、ただ慈愛と労り。どこにも疚しいものが見えないのだ。精霊たちもグレイを守っているし、信頼しているのを肌で感じる。
一途に守ろうとしてくれる、そんな人がずっと傍にいて―――心揺さぶられない筈がない。
暫くは家族のことを思い、毎晩泣いていた。今でも悲しくて泣いてしまうことがある。だが、それを癒すように護るように見守ってくれる人がいる。それは天涯孤独となったライナが縋ってしまうには充分なものだった。
――― お兄ちゃんが二人できた、感じかな?
しかし今のライナはまだ、グレイの事も過保護で甘い『兄』の一人という気持ちだと決めつけていた。美しい髪をした華奢な婚約者がいることを承知していたからだ。
――― 初めて会った日から、あの人は見かけないけど……。
ライナは手を引かれながら、雑技団のことなど忘れていた。違うことを考えていた。だから気が付けば、グレイとジュネス二人で繋いでいた手の力が弱まってしまっていたのだろう。
「雑技団のエースだ!」
わぁっ!という歓声が聞こえ、周りにいた人々が一斉に駆けだす。その瞬間、ライナは繋いでいた手が離れていくのを感じた。慌てて手を伸ばすが、一瞬立ち止まってしまったのがまずかった。四方からの人波に押され、一気に方向感覚が狂う。すでに伸ばした手の先には、見慣れた後姿は見当たらない。人々の歓声と熱狂で自分を呼ぶ声も聞こえなかった。
――― どうしよう!
人々が向かった方向に足を踏み出したとき、大きな手が肩を掴んだ。グレイかジュネスだと思ったライナは、ほっとして振り返り……顔を強張らせた。
見知らぬ男がそこにいた。
「ライナ、か」
帽子を目深にかぶった男の表情はわからない。ただ、鋭い眼光と歪んだ口元が見えるだけだ。薄汚れたコートは長く、裾には汚れが付いている。決して裕福層ではない。ライナがロットウェルに来てから知り合ったのは、バーガイル伯爵家の人々と、その家令たち。あとは城にてファーラルとガーネットそれ位だ。あとは少し顔を合わせた程度で、顔と名前が一致する人は少ない。そして少なくとも、ここにきてから一般階級の市民と知りあう時間はなかった。まして、このような胡乱な目をした男は絶対に知らない。
「―――っ!」
ライナは手を振り払おうとして体を捻るが、男は意に介した様子もなく、肩を抱く手も離さなかった。さらに嫌がるライナを男は無言で引きずっていく。
全身が恐怖で震えた。男に連れ攫われる恐怖は、すでに経験している。
声が出れば悲鳴も上げることが出来た。叫んで助けを呼べる。だがライナにはそれが出来ない。声が、出せない。
肩を抱かれ、ずるずると引きずられるように建物の陰に連れられて行くライナだったが、周りの人々は雑技団への興味でライナたちに注視してくれることはなかった。
――― 怖い!!
全身から吹き出す汗。震える体。潤む視界。伸ばした手は男が捕まえ、身動きもとれなくなった。恐怖で体が動かない。
遠くでグレイとジュネスの声がしたが、ライナはその声に応えることも出来なかった。
「ディロの娘で間違いないか」
「!?」
男の口から出てきた父の名前に、ライナは激しく動揺した。勢いよく顔を上げ、思わず男の顔を正面から見つめてしまった。特徴的な容姿ではない。ただ目に宿る昏い光に悪寒が走った。
びくりと体が震えたのが伝わったのだろう、男は満足げに笑みを浮かべるとライナを見下ろした。
「間違いないようだな。よし、これはいい……」
建物の陰に連れこまれ、地面に叩きつけるように振り払われたが、ライナは震えて男を見上げるしかなかった。
「予定より早いがいいじゃないか」
何を言っているのか全く分からない。ライナの心はただ恐怖だけが支配していた。
「お前はいい金になる」
ぞっとする声が耳元に届き、それに呼応するかのように風が舞い上がった。精霊たちがライナに反応して風の膜で守ろうとしてくれている。
「ちっ、なんだ……!そうか、精霊……っ」
「そこで何をしてらっしゃるの!」
男が怯んだその時、凛とした女性の声が割り込んできた。ライナは思わずその声の主を見た。
ピンクゴールドの髪。華奢な体。すっと伸びた背筋と鋭い視線。瞳の色と合わせた水色のドレス。それは紛れもなくグレイの婚約者アンヌだった。
「ちっ」
男は淑女の登場と、風に煽られたこと。そしてその風の異常性に注目し始めた人々のざわめきに気付き舌打ちをしつつ背を向けて去って行った。
「ロージィ、後を追って」
「かしこまりました」
アンヌは傍に控えていた従者に厳しい声で言いつけると、ロージィと呼ばれた執事らしき姿の男はその場から素早く姿を消した。
「立ちなさい。愚図ね」
アンヌはすたすたとライナの元まで歩いてくると、地面に座り込んでいるその姿を先ほどの男と同じように見下して吐き捨てた。その声は確かに棘があった。だが、ライナはそんなことどうでもよかった。嫌われていようが、見下されようが、先程の男よりよほど安心できる存在だったのだ。
「風も止めなさい、まったく忌々しい」
巻き上がった風が、その声と同時にぴたりと止まる。ライナの安堵した心と同時に精霊たちは風を止めてくれたのだ。
「人攫いに合うなんて、なんて鈍間なの。伯爵家で生活しているのなら、こういう危険があるのだと常日頃からわかってなさい。なにかあれば、バーガイル家に迷惑がかかるのよ」
「……」
ライナはぽかんとアンヌを見上げてしまった。人攫いに合いそうになった人間に対して、労りではなくここまで辛辣なことを並べられる淑女はそういないだろう。いや、ミラビリスなら同じことを言うかもしれないが。
「お嬢様、申し訳ござません。馬車で北へと立ち去り見失いました。更に追いますか」
「放っておきなさい。ただの下っ端よ」
素早くアンヌの隣に戻ってきたロージィが報告するが、アンヌはすでに興味を失っているようだった。
「癪だけどグレイ様にお知らせしてきて。愚図な娘が裏の林に座り込んでいるってね」
「かしこまりました」
再び姿を消したロージィは、今も探してくれているだろうグレイとジュネスを呼んできてくれるようだ。だが、それまで合流するまで暫くはアンヌの嫌味を聞くことになりそうだ。
「なんの役にも立たない小娘がグレイ様の隣に堂々といて、そして手を引いて貰って……わたくしはお前のことなど認めてませんからね」
連れ去ろうとした男とは別の意味で、アンヌの瞳はこわかった。
「それにしても……」
アンヌは足音も立てずに近寄ると、少しかがんでライナの首元に指を突き付ける。冷たい指が喉に突き刺さるようだ。
「声が出ないのですってね。咄嗟に助けを呼べないなんて、わたくしだったら恐ろしくて部屋から出ることもできなさそう……ふふ」
「……!」
息を呑んだライナを見たアンヌは、笑みを消し鋭い視線をさらに鋭利に尖らせた。
「大人しく屋敷に籠ってなさい。そして身相応を知り、自ら屋敷を出ていくがいいわ」
すっくと立ち上がるとライナに背を向け、裏の林から姿を消した。その後を追いように、グレイとジュネスのライナを呼ぶ声が近づいてきた。けれどライナはただ声もなく泣くしかなかった。
ライナの周りが不穏になってきました




