庇護者たち
グレイとジュネスが現場に到着した時、案内してくれていたロージィはすでに姿を消していた。けれど、駆けつけた二人はその事を気にする余裕もなかった。ライナがいるであろう場所近くには、軽く人だかりが出来ていてなかなか先に進めない。焦れたグレイが思わず声を荒げて『どけっ!』と怒鳴り声をあげたほどだ。低く苛立ちを込めた声に、やじ馬たちは本能的に場所を明け渡したのだった。
今日のためにと用意していたピンク色のワンピースドレスは泥で汚れ、小麦色の髪は乱れていた。聞き慣れた声に顔を上げたライナの頬には、幾筋もの涙の痕があり、グレイはもう何も考えられずただその震える体を抱きしめるしかなかった。
「ライナ、離れてごめん。ごめん」
震える体をきつく抱きしめると、彷徨うように伸ばされた腕がグレイの上着をしっかりと握りしめた。その手も細かく震えている。
「会場入口に馬車を用意してきます」
「いい。俺も一緒に行く」
隣に並んだジュネスからの言葉に、グレイはすぐに返事を返した。興味津々な人々の中に居続けるほど酔狂ではない。グレイはいまも震える小さな体を横抱きにし、その顔を周りから隠すように自分の胸元に押し付ける。そして厳しい表情のまま、素早く身を翻しその場から立ち去った。
その様子を少し離れた物陰から見ていた執事がいる。
「お嬢様。グレイ様が帰ってしまわれましたが、本当によろしかったのですか」
その言葉の中には『姿を見なくても』『声をかけなくても』『少女を助けたのが自分だと名乗らなくても』というすべてを含んでいた。お嬢様と呼ばれたアンヌは、その言葉の意味を正しく素早く理解し、口元に弧を描く。
「いいのよ。お姿はこっそりでも見られたし、お声も聞けたわ。それに、あの小娘を助けたのがわたくしだという事実は、もっと効果的に使うのよ」
「さすがお嬢様です」
「ふふ。…………グレイ様もあんな怒鳴り声を上げたりなさるのね」
―――あの子に関する事ならば。
ぽつりと零れた言葉は、少し寂しげな響きが混ざっていた。
急ぎ屋敷に戻ったグレイたちは、扉を蹴破る勢いで玄関ホールに駈け込んで来た。慌ただしいというより、乱暴なほどの荒々しさで帰ってきたことを不思議に思いながら出迎えたニーナは、グレイの腕の中で震えるライナを見て立ち竦んだ。
「お嬢様!!」
悲鳴のような声を上げたニーナは、そのままグレイの腕にいるライナに走り寄った。震えるその姿は痛々しいとしか言いようがない。思わず手を伸ばしたニーナだったが、その伸びてきた手に怯えるかのようにライナはきつく目を閉ざした。そしてグレイの服を強く握りしめた。まるでここにしか安全な場所はないのだと示すかのように。
「ニーナさん、すぐに部屋の用意をお願いします」
手を避けられたニーナは衝撃を受けていたようだが、その事に構っている暇はない。ジュネスはいつもより厳しい声で指示を出す。そのころようやくクレールが騒ぎを聞きつけてやってきた。車いすに座っているファヴォリーニを連れている。ファヴォリーニの庭歩きを補助していたのだろう。
「この騒ぎはなんでしょう。……ライナ様はどうされたのですか」
「ライナ!」
クレールは顔を伏せ、グレイにしがみ付いているライナを見て声を潜めたが、ファヴォリーニは違った。いつも表情を崩すことないその顔に浮かんでいたのか驚愕と焦りだ。そしてグレイに対して怒りのような視線を向ける。
「どういうことだ、グレイ」
「後でお話しします。いまはすぐに医者を呼んでください」
「すぐ手配いたします」
唸るような父の声に、グレイも苛立ちを含んだ声で対応した。今は一刻も早く、ライナを『安全な場所』で休ませてやりたい。クレールは二人の当主に目礼すると、すぐにその場を離れ早馬を手配しにいった。
「アン!すぐにお湯を沸かせて!リリー!お嬢様の着替えを手伝ってちょうだい!ココットはタオルと氷嚢を用意して!」
ニーナはてきぱきとメイドたちに指示をだし、自分はライナの傍にぴたりと寄り添い別館の寝室までついていったのだった。
屋敷が慌ただしく動き出した頃、ミラビリスはその様子を遠目で眺めていた。
涙がこぼれ始めたきっかけは何だったのだろう。アンヌに厳しい言葉を投げられたからか。それとも見知らぬ男の行動が怖かったからなのか。当て嵌まるものが多すぎて、ライナはそれ以上考えることを放棄した。
ただ、しっかりと抱きしめてくれる腕を感じて、この中が『安全』なのだとすぐに分かった。涙は馬車に揺られている間に止まったが、震えは止まらず心の奥に巣食った恐怖は取れなかった。
ライナの名前を知っていた。
亡き父の名前を知っていた。
ライナは金になると言っていた。
そして立ち上った風を精霊の仕業だとすぐに理解した。
あの男は何……?
わからない―――わからない……。
渦巻く思考の海に投げ出され、気が付けば強張っていた体から力が抜けていくのを感じていた。強く抱きしめていてくれた腕が解かれ、窮屈な洋服は脱がされ、柔らかい布団に寝かされた。強制的に眠りに引きずり込まれる。
ダメ。きっとまた、悪夢を見る―――。
「鎮静剤を打ちました。目が覚める頃には落ち着いているでしょう」
バーガイル家の主治医は、気を失ったように眠るライナを確認すると、落ち着きなく処置を見ていたグレイに声をかけた。安心させるように微笑む主治医を見ながら、グレイは確信していたことがある。
―――ライナはまた、うなされる。
今までもライナはうなされたり、悲鳴を上げていることがある。ほとんどが母を呼び、ひたすら謝罪を繰り返すというものだ。その時だけ出せない筈の声が出ている。だが、それは本館から離れた別館で、さらに夜中だったから屋敷の誰も知らないことで、グレイだけが知っている事実だった。だが、いま強制的に眠らされたライナが目覚めるのはおそらく夕刻。グレイ以外の屋敷の者たちが、ライナの声が出るという事実を知る可能性につながることだ。本来出るはずの声が出ないことは、ライナ自身も気が付いていないだろう。グレイはこれから先も知らなくていいと思っている。だが、不特定多数の人間が真実を知れば、どんなに緘口令を引いたところでライナの耳に届くのは時間の問題だ。そうなった時、ライナが何らかの矢面に立たされることはないのか。ライナの心が傷つくことはないのか。それだけが心配だった。
ライナは声の喪失を、切り付けられた怪我のせいだと思っている。だがそう思っていたのに、実は心の傷が原因だと知ることになれば、ライナはその克服のため原因となった心の傷と向き合わなければならない。周りが止めてもきっとそうするだろう。そうなれば夢の中だけでなく、現実として実母に起こった出来事を思い出して傷ついて、涙を流させるのか。
そんなことは出来ない。許されない。
たとえライナ自身が選んだ選択肢だとしても、涙など見たくない。
―――ライナは俺が守る。
護り石の効力は薄まった。新たにライナを無条件で慈しむものは現れないだろう。ならばそれは、自分の役目だ。この想いが、この気持ちが護り石の影響なのかは誰にもわからない。だが一つだけ確信できることがあるとすれば……
―――守ってみせる。
思わず握りこんだ拳を胸に当て、グレイは上着が湿っていることに気が付いた。そしてふと思い出す。そこはライナの顔が寄せられていた場所だった。
小さな体をさらに縮め、ライナは丸くなって震えて泣いていた。悲しみも苦しみも忘れさせてあげたくて、楽しい事や嬉しいことを心に詰め込みたくて“花祭り”へ連れて行ったのに、またライナに涙を流させてしまった。
落ち込みそうになる気持ちを叱咤し、顔を上げるとすでに主治医もジュネスも姿を消していた。ニーナだけが労わるようにライナの頬にある、幾筋もの涙の痕を温かいタオルで撫でるように拭いてくれている。
「ニーナ、頼む」
「もちろんです」
頼りがいのある返事に、グレイは踵を返して部屋を後にした。
グレイは部屋を出ると、そのまま本館へ移動した。そしてファヴォリーニの書斎へ到着する。ドアをノックすると、返事より早くドアが開いた。
「こちらどうぞ」
クレールが内側から開けてくれたらしい。小さく頷くと入室し、椅子に座りつつ腕を組んでいたファヴォリーニに目礼した。
「クレール、ジュネスも呼べ」
「かしこまりました」
ファヴォリーニの言葉にクレールが素早くドアから出ていくと、室内は痛いほどの静けさになった。
「何が起こった」
口火を切ったのはファヴォリーニだ。だが、その問いに対する明確な答えをグレイは持ち合わせていかった。なにしろはぐれてから見つかるまで、それほど時間が経過したとは思えない。
「それが……」
とりあえず初めから説明しようとしたところでジュネスとクレールが現れた。開きかけていた口を閉じ、ドアが閉まるのを確認してからもう一度口を開いた。
「それが、俺たちにもわからないというのが現状です」
「つい手が離れてしまい、わたしもライナを見失いました。なかなか人波に逆らうことが出来ず、さらに押し寄せた人たちに流されてしまい……恥ずかしながら勢いに抗えず、最初に手が離れた位置からはかなり遠いところで人波は落ち着きました」
「……掻き分けて戻る途中でジュネスと合流したのですが、やはり見つけられなくて。それで精霊にライナを見つけてくれるように頼んだんです。見つけたら合図を送るようにとも伝えて」
「すぐにそう遠くない場所で小さな竜巻が起こりました。すぐに精霊だとわかり、二人で駆けつけている途中で―――出会ったんです」
「誰に」
ジュネスの言葉に、ファヴォリーニは鋭い声音で問いただした。その威圧感に声を失ったジュネスに代わり、グレイが言葉じりを続ける。
「ロージィです。公爵家令嬢アンヌ専属の執事。彼が、ライナの居場所を知っていると」
「どういうことだ。アンヌが犯人だということか」
「早合点はいけません父さん。もし、アンヌが仕組んだことだとすれば、ロージィを知らせに寄越すことはないでしょう」
冷静な返答を聞き、ファヴォリーニは満足げに頷いた。この人はこんな時にも息子の判断を見定めている気がしてならない。
「けれど、あの場所近くにアンヌがいたことは確かです。ロージィがアンヌと離れて行動するはずがない」
「それは確かにな」
「でも、アンヌの姿は周りにはなかった。それに、アンヌでないとすればいったい誰がライナを物陰に連れて行ったのか、ということになります」
「ライナ自身が向かったということは?」
「ありえません。あの子は雑技団を楽しみにしていた。もし手が離れてしまっても、きっと俺かジュネスを追ってきたでしょう。波に逆らって逆行することなど考えられない」
きっぱりと言い切ったグレイだったが、胸の内は湧き上がる苛立ちに似た焦燥感に苛まれていた。
「状況はある程度分かった。更に詳しいことはライナが目覚めてからにしよう。ただ精霊の風が起こったとなると、ファーラルにも話が通るかもしれないな」
「ほんの短時間でしたし、小さな竜巻でしたが」
ファーラルの名前が出て、グレイは目に見えて狼狽えた。そんな息子の姿を見つつ、ファヴォリーニは目を細めて言葉を投げつけた。
「お前はあいつの情報収集をなめているのか?」
中央都市全体に薄く広く精霊を配置し、異常を感知している男。
それがファーラルという若干29歳の化け物じみた能力であった。
ファーラルさんについては今後詳しく。
次はアンヌお嬢様が出てくるはずです。はず……




