花祭り
すいません。昨日投稿した文章そのままで再掲載です。
間に1話、挟み忘れておりまして…ずれました。
誰も見ていなかった、ある日の夕暮れ―――
「おばさま。わたくし最近グレイ様のお顔も拝見できていないのです……」
豊かなピンクゴールドの髪が、俯いた顔に影を落とす。そして水色の瞳に浮かぶのは、紛れもなく涙だった。
「グレイ様、こちらに戻って来られたのに、いつもご不在ばかり。わたくし婚約者として思われていないのでしょうか……」
潤んだ瞳を正面に佇む女性―――ミラビリスに向け、公爵家の娘アンヌの涙は頬を滑った。ころりと転がった涙は、床に落ちて砕けた。
可愛がっているアンヌのそんな悲しげな表情に、ミラビリスは心を痛め、最近自分を蔑ろにしている夫や息子、そして前乳母だったニーナに対しても、胸の内で怒りの炎を燃やす。
「アンヌ。あなたは間違いなくグレイの婚約者です。あなた以外の誰があの子の隣に並べるというの。わたくしが保証するわ」
「信じています、おばさま」
泣き顔に微笑を浮かべ、アンヌはミラビリスに抱き付いた。その華奢な体を抱きとめたミラビリス……。夫も息子も、屋敷の者たちも以前のようには動かない。あのグレイが連れてきた少女が現れてから、ミラビリスの計画は狂い始めたのだ。
「……公爵家の血を継承するにふさわしいのは、グレイしかいないじゃない」
ぽつりと零れたその言葉は、しっかりアンヌの耳にも届いていた。アンヌは顔を上げないまま、口元に弧を描いていたのだった。
暖かな日が続いたある日、グレイは珍しくそわそわと落ち着きなくライナが来るのを待っていた。9時少し前、ニーナに連れられて現れたライナは、いつものようにグレイに引き寄せられ、頬に軽く口付けを落とされた。そしてライナも軽く口付けを返す。
「グレイ様……朝の挨拶は先程お済ませになったでしょう?」
呆れきった声の主はニーナだ。授業の前に食堂で、グレイはライナに朝の挨拶を済ませている。
「ニーナ、さっきのは頬を触れ合わせただけだ」
「……挨拶は普通そういうものでございます」
ぽつりと呟かれた言葉は、小さすぎてライナには届かなかった。
以前グレイが『挨拶するときは、相手の頬にキスするんだよ』とライナに教えたところ、素直なライナはそれを見事に実行した。グレイにだけでなく、ジュネスやファヴォリーニに対しても。それを間近で見て自分の作戦失敗を悟ったグレイは方針を転換することにしたのだった。
『知り合いとか、友達とか……あとはそう、家族には頬を触れ合わせるだけでいいんだよ!でも特別な人には、あとで時間を取って今まで通り口付けるものなんだ。いい?あくまで特別な人限定だから間違ったらダメだよ。だから俺には食事の後、授業の前に今まで通り挨拶しようね』と意味不明なことをのたまい、貴族というのはそういうものなのか受け入れたライナは、戸惑った顔をしつつも受諾したのだった。
「ぼっちゃま、いいですか。ライナお嬢様に今以上の事をなさるようでしたら、わたくし本当に見損ないますよ。がっかりさせないでくださいませね!」
「するわけないだろ」
ニーナの言葉は、グレイのストッパーになっているのか疑問だが、あっさりと返してきたその表情にふざけた雰囲気はなく真顔だった。そして毎日の事なのだが、信じますからね。と念押しして勉強部屋を去っていく。が、扉は閉めてもらえなかった。
「ライナ。今日は授業の前に伝えたいことがあるんだ」
「?」
机の上にメモを書き留めた紙の束と、黒板とチョーク、借りていた本を並べていたライナはきょとんとグレイを見返した。
「明日から1か月間、中央都市公園で“花祭り”があるんだけど、ライナ行ってみたくない?」
グレイからの突然の提案に、ライナは意味が分からなくて首をひねった。まず中央都市公園がわからないし、“花祭り”もわからない。意味不明で?マークが頭上を飛び交っている。
〔花祭りってなに?〕
黒板に書いた文字をグレイに見せつつ、再度首をひねる。丸かった文字はすこしシャープになり、子供っぽさが抜けて大人びる様になってきた。
「ごめん、そうだ知らないよね。“花祭り”っていうのは、この時期に毎年している、花に関する大きなお祭りなんだ。珍しい花の展覧もあるし、花壇いっぱいの色とりどりの花。あと、花をモチーフにした髪飾りとか、アクセサリーも売ってる。珍しい旅の吟遊詩人とか、雑技団なんかも来るって言ってたかな。とりあえず、花に関する色々なものが集められて、国内外からいっぱい人が来るんだよ。俺とジュネスは警備とかの仕事があるんだけど、開催の中頃にでもなれば人出も落ち着くし、休みがもらえる。せっかくロットウェルに来たんだから“花祭り”を体験してもらいたくて。ライナ、興味ないかなって」
グレイの説明にライナは胸躍らせていた。聞いているだけで楽しそうな内容だ。しかも吟遊詩人!?雑技団!?人から聞いた話の中でしか知らなかった存在が、実在するという興奮。昔、村にいたころ大きな町に出かけた人が言っていた。
『人の人生を歌にして歌ってた』
『雑技団の猿回しが面白かった』
『この村にいたんじゃ一生見れないものだ』
面白おかしく聞かせて、村の外に興味を持たそうとしていたその人は村長さんと父に怒られてから、二度とその話はしてくれなくなったけれど。
ずっとずっと記憶の中にあった単語だった。それがみれるチャンスだという。ライナは瞳をキラキラと輝かせ、満面の笑みで大きく頷いた。
「よかった」
喜んだ顔のライナを見て、グレイはほっと息をついた。
「ずっと屋敷の中だし退屈だろうと思ってたんだ。勉強とレッスンの繰り返しだし……きっとうんざりしてるんじゃないかなって。根詰めすぎるのもどうかと思うし、少しでも気分転換になればいいと思うよ」
そう言って優しく微笑むグレイは、不思議と22歳より年上に見えた。しっかりした大人の男だと分かっているのだが、ライナが絡むとどうしても行動も言動も子供っぽくなる。あの黒い『護り石』の影響だと分かっているが、その力はファーラルにより弱体化されたはず。そのためジュネスの過保護は少し改善されたので、効果は間違いないだろう。だがグレイが戻らない。戻るどころか、悪化している。ライナが絡まない時は、今まで通りの無関心・冷徹・鍛錬の鬼らしい……のだが、ライナの前にいるときは、それが一つも当てはまらない。確かに体格はしっかりしているし、腕もいいのだろう。【魔法士】としても一目置かれているという。いま目の前でライナの反応を嬉々として待っている男は、本当に同一人物なのだろうか。
などと疑問を持ったところで解決しないし、意味がない。ライナは黒板に文字を綴り、それをグレイに見せた。
〔その日は授業もおやすみ?〕
「もちろん。一日全部休みだよ。クレールのマナーレッスンも、ジュネスの教養もね」
ぱあっと顔色が輝いたライナの様子が嬉しくて、グレイも顔が緩みっぱなしだ。
「会場で屋台も出てるし、ご飯もいつもと違うものを食べよう。ああ、そうだ。花の蜜を使った焼き菓子が出るって言ってたな」
〔食べたい!〕
「会場の見取り図で、どのあたりに屋台があるか確認しておくよ」
花の蜜を使った焼き菓子?いったいどういうものなのだろう。全然想像もつかない。ライナは心躍らせ“花祭り”を待つことになった。
結局、グレイとジュネス二人の休みは“花祭り”の後期に差し掛かってからだった。そして前期と後期で出店している屋台が変わると知ったのは、まさに会場に到着したその日だった。
「ごめんライナ……」
〔大丈夫〕
華やかなゲート前で項垂れたグレイに、ライナは力強い文字を黒板に書きつけた。グレイは確かに会場の見取り図を確認していた。そして目当ての屋台の場所も確認済みだった。けれどそれは“花祭り”前期の地図であった。まずグレイ自身が今まで“花祭り”に縁もなければ興味もなかった。そのため、長期間開催のため、出し物が一部変わるという“花祭り”の常識をまったく熟知していなかったのであった。
『グレイ様とライナだけを行かせることは出来ません』と強く宣言したジュネスも、グレイ同様の生活を送ってきていたので、当然だがそういうものに疎かった。
「代わりに、バラのジャムを使ったお菓子の屋台があるみたいだ」
祭り後期用の地図を見て、グレイはライナに声をかける。本当に気にしていなかったのだが、グレイは相変わらず過保護で世話焼きだ。そして、過保護脱出と思っていたジュネスも、そう思ったのは間違いだったのかと思うほど、今日は過保護だった。
「ライナ、暖かいと言っても夕刻は冷えますからね」
そう言って、邪魔になるのに薄手で暖かいショールをもってきていた。自分のものだから自分で持つと伝えたが持たせてくれない。代わりにジュネスがずっと腕に掛けている……邪魔だろうに。
「さぁ、ライナ行こうか。まずはどこから見て回る?」
グレイは入場ゲートに向かって歩き出した。小さな右手を包み込むように握って。そして小さな左手は、融通の利かない過保護な兄役に捕まっている。少し恥ずかしいけど、けれど胸の奥が温かくてライナはその両手を握り返した。
―――“花祭り”楽しみ!
今日のためにとニーナが用意してくれたのは、小さな花柄の刺繍が施された、ふんわりとしたピンク色のワンピースドレスだった。本格的なドレスは動きにくいだろうというニーナの配慮らしい。そこに不釣り合いないつものショルダーバックを斜めに掛け、初めての“花祭り”に3人は駆けだしていった。
「グレイさま……っ」
そんな3人の姿を見ていた公爵家の娘。
「あれが、例の娘か?」
柱の陰からピンクのワンピースドレスを目で追っていた男。
彼らはそれぞれの存在に気付かないまま“花祭り”ゲートをくぐった。
お見苦しいことで申し訳ございません…っ




