8 片想いと欠落
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じとじとと雨が続く頃、生徒会はだんだんと慌ただしさを増していく。体育大会が終わったばかりだというのに、秋に控える文化祭の準備をしなければならないのだ。一年生は単純作業や小間使いばかりのはずだが、唯一、海地だけは多量のタスクに追われていた。無理もない、低学年にあるまじき大きな肩書があるせいだ。
「副会長、今日も忙しそうだね?」
「海地って呼んで、亜里沙ちゃん。これくらい平気」
「平気って言ってる時点でそーとー頑張ってるんでしょ。ほらそれ貸して、あたしに任せるっ」
「いや、そんな。……ありがとう」
ずいと距離を詰める亜里沙に、海地ははにかみながらわずかに後ずさる。その様子を由樹と伊知郎、そして葉音が眺めていた。
「副会長って、絶対亜里沙のこと好きだよなあ」
ニヤニヤと零す伊知郎に、葉音は呆れた様子でため息をついた。
「くだらない。坂中くんはすぐ誰かをくっつけようとする。それしか娯楽がないの?」
「お……言い過ぎだろ。てか由樹もそう思わねえ?」
急にパスを振られた由樹は、もう一度海地を見る。普段と変わらないように思えるが、言われてみれば何となく相手の目をよく見ている……ような気がする、くらいだ。
「考えた事なかった」
「ほらね。俗なことを考えているのは坂中くんだけよ。高津くんを見習いなさい」
「はあ!? いやでも間違いねえって。あいつは間違いなく亜里沙のことが好きだし、それに亜里沙は由――」
そこまで言いかけて、急に伊知郎は口を噤む。
「……まだそこまでじゃないでしょう」
「何? そこまで、って」
「由樹は知らなくていい! な? 今日は美織さんに何を作るんだ?」
「ん、ミネストローネとペペロンチーノ」
急に美織の話にハンドルを切られ、由樹の疑問は強制的にかき消される。彼が毎夜、親戚の社会人女性に夕飯を作っていることは生徒会内の常識になっていた。生徒会役員達にとって、由樹の献立の予定は、今日の天気ばりに万能な話題のカードだ。伊知郎と葉音は本日分の答えを聞いて、美味しそうだ、具は何だと好き勝手話し始めた。
「ねえ、何の話をしているの?」
にぎやかに話す二人の背後に、いつの間にか海地が立っていた。いや正確には、葉音だけは海地に気づいていたが、まるで自分は部外者ですというように涼しい顔でスルーしていた。亜里沙はいつの間にか姿を消していた。どうやら職員室へ行っているらしい。
「お、副会長! いやな、由樹がパスタ作るって」
「海地だよ。……それで、その前は?」
「げ、聞いてたのかよ……」
伊知郎の顔が引き攣る。詰めの甘いというか、自業自得というか、だ。フフと笑う海地の目は絶妙に笑っていない。由樹は葉音にそっと身を寄せて、ぼそりと話しかけた。
「……あいつ死んだな」
「男子って本当に馬鹿」
「おい。俺を巻き添えにするなよ」
伊知郎へ無言の圧をかけていた海地は、由樹へ目線を向け直し、二、三のまばたきをする。
「由樹くんって。亜里沙ちゃんのこと気になってたり?」
「は? いや別に」
ワントーン落とした声音で問われ、流石の由樹も理解せざるを得なかった。探りを入れられている。突然変わった空気に伊知郎はガタリと立ち上がりかけ、葉音もわずかに目を丸くする。海地は由樹の答えを聞いて、黙ってひとつ頷くだけだった。
噂話を否定しないんだな、と由樹は思った。
やがて暇を持て余す由樹のもとへ、上級生が簡単なタスクを振ってくる。会計関係書類の検算だった。由樹は棚から電卓を取り、また伊知郎と葉音の隣に座ってパチパチとキーを叩き始める。
「由樹ってさあ、好きな人いないん?」
「またその話? 入学したばっかでいる訳ないだろ。伊知郎こそどうなんだよ」
「オレ? いやあ、いねえなあ。可愛い子が居たら良いんだけど! ハハ」
「……悪かったわね。私が可愛くなくて」
う、と伊知郎は言葉を詰まらせた。あまりに失言を繰り返す伊知郎が流石に不憫になり、思わず助け舟を出してしまう。
「まあその。可愛さとかは知らないけど、可愛げはないだろ。えー、伊知郎にとって、少なくとも」
「別にいいわよ。坂中くんに想われるくらいなら退学するし」
「そんなオレのこと嫌? え、あのごめん小浦場さん、何か悪いことしたっぽくて」
葉音は萎縮する伊知郎を見てクスクスと笑った。普段と変わらない調子なので、ひとつも怒っていないのだろう。単純にからかっているだけらしい。
「ある意味、羨ましいわ。恋愛なんかにかまけていられて」
「恋したことねえの?」
「無いわ」
笑顔のまま、葉音はすこし自嘲交じりの冷えた瞳で由樹と伊知郎を流し見る。
「誰が格好いいとか、ドキドキするとか、感じたこともない。多分恋愛感情そのものがないのよね。――きっと私はこのまま死んでいくのよ。いわゆる〝根暗〟なわたしなんて誰も要らないだろうし、好都合」
「……それこそ、良い奴に出会えてないだけじゃないのか」
「そうかしら」
彼女にとってこれはあまり触れられたくない話題なのか、もしくは本当に価値がないと思っているのかはわからないが、少なくともこの手の話を続けても葉音の機嫌は良くならないと二人は察した。手が止まっているわよ、と指摘され、由樹は言われるまま電卓を叩き直し始めた。




