33 息遣いと怯え
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冬休みが明けて、胡散臭く三年生0学期が謳われるようになる。裏腹に、生徒会は多少落ち着きを取り戻し、由樹もまた概ね仕事が落ち着きつつあった。
ラーニング・コモンズ計画はやっと企画書が通る。予算は殆ど下りなかったものの、教室の利用許可だけは早々に勝ち取ることができた。試運用として、受験期真っ只中である三年生のクラスに近い空き教室でまず始めることとした。
成功するか、空き教室のまま終わるか。生徒会と教員たちが動向を見守る中、誰も予想だにしない方向へと発展を遂げる。
最初の一週間は誰も利用した形跡が見られなかった。時々中を覗く生徒はいたらしいが、誰も入りはしないでいた。
しかし二週間経ったある日、後ろの黒板にザビエルと与謝野晶子の落書きが自然発生した。海地はそれを消そうとしたが、由樹はなんとなく彼を止めた。……すると、だんだんと落書きが増えていった。ただの物理の公式から、流行りの洋楽の歌詞、果ては下品な語呂合わせの古語まで。たまに本当に内容のない落書きがされるが、何故か翌日には消されていた。
一ヶ月後、教員の何者かによって、ドアに〝今週の1問〟が貼られるようになった。またコピー用紙しか置いていなかったはずなのに、こちらも何者かによって様々な用紙が増やされていた。ルーズリーフに始まり、原稿用紙、方眼紙、白地図……果てはトレーシングペーパーから五線譜までも。
相変わらず中で人の利用はないものの、たしかな生徒の息遣いを由樹は感じていた。
目安箱には、リスニング対策用のCDプレイヤーや電卓、さらには当初計画にあったホワイトボードの設置要望が届いていた。そして、〝下級生が本当に三年生クラス近くのラーニング・コモンズを利用していいのか〟という意見も届いていた。
それから由樹は数日に一度、下級生を含む生徒会の何人かと一緒に、活動場所をラーニング・コモンズに移す日を設けてみた。興味深そうに見てくる下級生の視線を感じながら。
二月も末になった頃。
朝一発目の授業でノートを取ろうと筆箱を開ければ、由樹のものではないシャープペンシルが入っていた。妙に品の良い、高そうな木目のそれはよく使い込まれている。
教室で誰かと貸し借りした記憶がないので、恐らく生徒会の誰かのものだろう。しかし学年末考査が控えるため、今日から部活動や生徒会活動が禁止される。そのため、放課後に役員に訊いて回ることができない。
少し悩んで、由樹は放課後、こっそり生徒会室の机に置いていくことにした。幸い、鍵を借りずとも戸を開ける方法は熟知している。
放課後になれば予定通り、由樹は生徒会室へと足を運んでいた。しかし、部屋の電気が点いている。誰かが活動禁止期間を忘れて入っているのだろうか。
ドアに手をかけようとしたそのとき、中からガタガタと机の揺れる音と、声がした。
「——や、めろ……! お前、ら、いい加減にッ——」
伊知郎のものだ。揉めているのか? 由樹はノックもせず、ガラガラとドアを開ける。
——複数人の男子学生に囲まれた伊知郎が、長机へとその上体を押さえつけられていた。
ハ、と怯えた目をしていたのを由樹は無視する。
「誰?」
由樹はとりあえず、率直な疑問を投げかけた。他人から由樹はよく知られるようになったが、由樹が関わりの浅い他人を知っている訳がない。
「あっ、高津くんじゃん!」
「おー! 副会長の! なあ聞いてよ。伊知郎さ、肩触っただけで『ヒャッ!』って言ってんの」
「そんで擽ってみたらよ? コイツ、勃ってやがんの! ホモじゃん、って! ウケるくない?」
「……だから、誰?」
死ぬほどどうでもいい話を聞かされて、由樹はただ質問を繰り返した。本当につまらなかった。そういうノリが好きではないとか、ダサいとか、そんな次元ではない。政治経済の話ほどに興味が起きない。
だが、伊知郎の表情だけが妙に引っかかった。
「友達だって。同じクラスだもん。な? 伊知郎」
「生徒会じゃないだろお前ら。勝手に入んなよ」
「えー。高津くん、お固くない?」
「邪魔。施錠するから出ていってくれ」
怒るでもなく淡々と由樹が言えば、仕方なくといった様子で男子たちが出ていく。見えなくなるまで由樹が見届けていると、ドサリと音がした。
振り返ると、伊知郎は冷えた床の上で蹲り、真っ赤になった顔を膝と両腕で覆い隠していた。
由樹は何も言えないまま、ただ立ち尽くす。
「……由、樹……」
震えて掠れた声が伊知郎の膝の隙間からする。
伊知郎の緩められたベルトのバックルが、カチャリと響いて床に落ちた。




