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放課後を捧ぐ  作者: 緑紗
§ 2年6組 高津由樹
34/34

34 普通と諦め

 由樹は少し悩んで、生徒会室のドアをカラカラと閉め直す。そして静かに伊知郎の前まで行って、手を差し出そうとした。


「おい。立てるか——」

「——触んな!」


 涙声で拒絶され、由樹はびくりと身を引いた。今迂闊に刺激すべきではないか、と考えその場を離れようとすると、伊知郎が小さく喋った。


「……いだろ……」

「ん?」

「キモい、だろ……やめとけよ。……オレと居る、の」

「……そう?」


 伊知郎は膝をぎゅうときつく抱え直す。いつものようになのか、今回ばかりは仕方ないのか、言葉の意味を由樹は判りかねていた。


「何されるかわかんない、だろ。オレはこういう奴なの。分かっただろ。……オレに変なことされるかもしれねーって、嫌じゃ、ねーの」

「ああ……」


 そこで由樹はようやく察しがついた。正確には伊知郎の言葉を理解するために、一年生の時の文化祭を思い出していた。


 あの日、伊知郎は倒れた葉音の——異性の体へ躊躇なく触れられ、抱きかかえることができた。腕を強く握られても、純粋に心配だけをしていた。

 そして葉音がいつか言った、『〝普通であるように〟、誰よりも死ぬ気で努力している』という言葉。その記憶の数々に説明がつき、納得がいく。


 だからこそ由樹は不思議だった。葉音や亜里沙と同じように、由樹とも仲良く話してくれることが。


「……別にお前、俺のことタイプじゃないだろ」

「え?」

「いや、なんていうの。あいつらみたいにイケメンじゃないし、背も高くないし。筋肉もないから」


 いつも通り、由樹はつらつらと思いついたことを口から滑らせた。思わず顔を上げた伊知郎は、ぽかんと口を開けている。


「……まあ……そうだな……?」

「だろ」

「亜里沙を泣かしたまま生徒会に来ず、いつもスカしてクールぶってるような奴は、流石にちょっと……」

「あの。そんな言う?」


 ハハ、と伊知郎は力なく笑った。初めて見る、〝お調子者〟らしくない嘘偽りなさそうな笑顔。彼の額はぐっしょりと汗ばんでいた。


「……キモくねえの。由樹。オレのこと」


 伊知郎は再度問う。由樹は思ったことをそのまま答える。


「良くわからん」

「そっか」

「俺には美織さんだけだし」

「……そーかよ」

「仮にお前が俺をどうこう思ってたとしても、亜里沙みたいにフるだけ」

「ひでーな。やっぱ人でなしの道徳なしだわ」


 クスクスと優しく笑えば、伊知郎は由樹の手を借りることなく、一人で顔を拭い、立ち上がって身なりを整えた。パンパンとズボンの裾をはらうと、やっと由樹の目を真っ直ぐ見た。


「何しにきたん。由樹」

「……あ、シャーペン返しに来たんだった」


 言われて、やっと目的を思い出す。由樹は鞄を開け、筆箱から木目のシャープペンシルを取り出した。


「——オレのだ」

「マジ? 丁度良かった」

「ああ。これ、姉ちゃんから貰ったやつなんだ。オレもさっき、これ探しに来ようとしてて……そしたらあいつらがなんか、着いてきて。勝手に生徒会室に入れて悪い」


 シャープペンシルを大事そうに仕舞う伊知郎を見て、案外普通の人間なんだな、と思った。テレビやネットではその存在が面白おかしく映されるが、目の前の人間はあまりに自然だった。それは伊知郎が特別だからか、普通だからかは分からないが、少なくとも伊知郎は伊知郎だった。


 彼はゆっくりと深呼吸をして、澄んだ目を窓の外へやる。掘り返す気はなかったが、念のため、ひとつだけ確認する。


「お前のこと、他に知ってる奴は居んの」

「葉音だけ。家族も、生徒会の奴らも、他の友達も知らねえ」

「分かった」

「……由樹でよかったよ」

「どうも」


 由樹と伊知郎はどちらからともなく鞄を担ぎ直し、忘れ物がないかそれぞれ確認する。互いの準備ができたことを確認して、由樹が先に生徒会室を出ようとすると、声をかけられる。


「由樹!」

「ん」

「オレ——由樹のこと応援したい!」


 振り返れば、鞄の持ち手を握りしめた伊知郎が、真剣な顔をしていた。


「……恋愛とか、そもそも頑張ることとか、もう色々諦めちゃってるから。だから由樹が美織さんと結ばれるように、誰より願ってる! 由樹が困ったときにいつでも前向けるようにって、オレ、出来ることは何でもしたい!」


 普段の伊知郎らしくない、不器用で真っ直ぐな、茶化さない言葉だった。あまりにも自分の境遇を、由樹の恋愛に重ね合わせているのがバレバレだ。由樹はフッと笑って挑発する。


「そーいうのが一番、キモいから」

「——はっ、はあ!? 死ね!」

「ハハ、それ亜里沙にも言われた」


 今日一番に顔を真っ赤にして、思わず伊知郎は大声を出す。ずんずん歩いて由樹の脇を通り抜けようとしたとき、由樹はそっと零した。


「お前に応援されなくても、やるしな」

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