31 やればやる奴と結婚
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美織のノー残業デーはいつも外食しているが、この時ばかりは有難かった。
生徒会も体制が代わり、由樹も多忙を極めていた。旧役職である美化委員長の引き継ぎと、選挙で掲げていた公約のひとつ——〝自習しやすい環境の整備〟として、空き教室の確保調整や教師陣への企画提案、生徒へのヒアリングなどとやるべきことに追われていた。幸か不幸か、以前から副会長の業務は横で見ていたので、引き継ぎなしですんなりと受け入れることができた。
疲れ切った脳や気力に、ファストフードとドリンクのジャンクな旨味、そして美織の存在が染み渡る。
「無事勝たせてあげたんだし、別に公約は実現しなくていいんじゃない?」
「……やるっつったし、やります。あと多分、海地は公約を全部実現する気ないし、俺が全部やり切れば目にモノ見せてやれるかなって」
「矜持だねえ、由樹くん」
「あとラーニング・コモンズは俺が欲しい」
——空き教室のラーニング・コモンズ化。
由樹が具体案として今、企画書を書こうとしているものだ。
図書室のような静かな環境と違い、カジュアルな利用と能動的な教え合いを是とする空間。机は移動可能、キャスター付きの小ホワイトボードを備え、数人での利用を想定。もちろん会話は推奨され、飲食でさえ許可される。現在、大学を中心に広がりつつある文化だった。
由樹は休み時間や放課後に、黒板だのルーズリーフだのを使って教え合う生徒がいるのを知っていた。しかし教室では机が狭く、チャイムや施錠までの限られた時間しか使えない。そこで自分なりに調べた結果、この案に辿り着いた。
「ホワイトボードは予算が下りない、って言われました。はあ」
「大きなコピー用紙でもいいんじゃない?」
「そうですよね。一旦それで逃げて、成果出すしかない」
選挙活動以降、由樹は周囲から〝やる時は本当にやる奴〟だと思われている。演説会での暴走をはじめ、無効票の回答掲示、教師への質問や調整、劣化した備品をわざと叩き折って交換させるなど、とにかく何でも実行に移し完遂する人間だと噂になっていた。
由樹はあぐあぐとハンバーガーを口に押し込む。ポテトを口に頬張り、炭酸飲料を啜った。塩味と甘味と油分の暴力は、家庭料理では到底味わえない贅沢だ。
「美織さんは、うまくやれてますか」
「まあまあかな。こないだの飲み会は『美織ちゃんも早く結婚しろ』とか言われて面倒だったなあ」
鬱陶しそうな顔をしながら、美織もアイスティーを呷る。
「したいですか? 結婚」
「そりゃね。このまま独り身は困るかな」
「……18になれば出来るんだっけ……」
ゴボ、と溺れたときのような音を出して、美織は強く咳込んだ。
「ゲホ、ゴホ——由樹くんっ!」
「大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないよ、もう!」
美織は涙目になりながら真っ赤な顔で、由樹を睨みつける。普通に独り言として言ったつもりの由樹は、ただ心配するしかできなかった。
結婚。
ぼんやりと交際のゴールだと思っていたが、具体的に人はなぜ結婚するのだろうか、と疑問に思う。今度父と連絡を取るときに、さりげなく訊いてみることにした。
パソコンを立ち上げ、苦心して作ったCADデータをメールで送る。長い送信時間を待てば、ふうと由樹はため息をついた。それから温かい紅茶を淹れネットサーフィンに励んでいると、不意に携帯が鳴る。父からだった。
「もしもし?」
『由樹! 送ってくれてありがとうな! やり直しだ』
即座の差し戻しに、由樹はズルリと椅子から落ちた。
『そもそも線が繋がっていない。適当なファイルを、例えば1つ目のやつを拡大してみろ——』
電話を繋いだまま携帯を左肩で挟んで支え、フィードバックや修正事項をメモしていく。
「難しすぎるって」
『そうか? うちの新人よりはずっと上手くできてたぞ』
「そういうことは先に言って」
由樹の口下手さは父譲りかもしれない。明るく朗らかな性格をしているだけで、喋る順番はめちゃくちゃだし、語彙もあまり多くなさそうだった。
言われるままにおぼつかない操作で線分を引いていく。相手に画面は見えないので、見える範囲を実況しながら、またうまく伝わらなさにやきもきしながらレクチャーを受けていた。
一時間ほど教えてもらいながら修正をしていると、確かに見栄えの良いデータができる。他のデータも同様に修正し、後日送ることにした。
『よし。他に聞きたいことはあるか?』
「……お父さんって。なんでお母さんと結婚したの」
『急だなあ』
確かに脈絡のない質問だったかもしれない。だが父は深く気にすることもなければ、茶化しもせずに大真面目に答えた。
『お前の母さんな、よく笑うんだ』
「……それだけ?」
『それだけ』
あまりに単純な理由に拍子抜けする。いや、他に理由があるのかもしれないが、日本語が達者でない父に聞いたせいでロクな情報を得られないだけかもしれない。ええ、と声をあげると、父はそのまま続けた。
『男なんてな。バカだから、それくらいでいいんだよ』
それについては一理あるな、少なくともこの男とその息子なら。そう由樹は思った。




