3 生徒会室と昼飯仲間
◇
ブーッ、ブーッ、と二回右ポケットの中が震えた。
由樹は生徒会室の前でいったん立ち止まり、弁当の入った袋を小指に引っ掛けて、片手でポケットの中から携帯を抜いて開く。母親から、昨日送ったメールの返事だった。
『ゴメン! 連絡忘れてました。明日帰るよ。他に何かいるものがあれば何でも言ってね!』
由樹の母親はよく、できることはなんでもする、欲しいものはなんでもあげる、と言う。とはいえ、由樹が中3のときに「もう少し帰る頻度を増やしてほしい」と言ったときには、母親は困りながらごめんと笑うだけで、さして生活は変わらなかった。
それからというもの、生活費の督促や学校行事くらいでしか、母親を呼ぶ口実を作れなくなっていた。
『ありがとう。待ってます』
それきり書いて送信ボタンを押し、携帯を仕舞う。弁当の袋を持ち直して、生徒会室の扉をガラガラと開けた。
春の光がたっぷりと窓から流れ込んでおり、照明をつけなくてもよく明るい部屋。くたびれたパイプ椅子と長机が狭い空間にひしめき合い、机上には書類が散らばっている。その最奥にただひとつ備えられた、座面が柔らかなキャスター付きの椅子。それを占領した同級生の男子が既に弁当を食べ始めていた。由樹の顔を見るなり、片手を上げて挨拶する。
「やあ、由樹くん」
「おまたせ。副会長」
「ちゃんと名前で呼んでよ。僕には百崎海地って立派な名前があるんだから」
「カイチもフクカイチョーも似たようなもんだろ」
高校一年生にして図々しくも生徒会室に入り浸っている海地は、眼鏡越しの柔らかい目元を更に緩めて、そのまま食事を進めた。由樹は彼の隣のパイプ椅子をギッと引いて座り、自分の弁当を広げる。
「一年生で副会長とか、本当よくやるよ」
「先輩たちがやる気なさすぎるだけだから。由樹くんだって、僕より先に手を挙げていればなれたでしょ?」
「俺はそーいうの、パス」
由樹は手を合わせて、小声でいただきますと言ってから、弁当箱の蓋を開けた。野菜炒めと焼き鮭と卵焼きのシンプルなおかず。
「由樹くんこそ、毎日ご飯とか作ってて凄いよ」
ん、と喉奥で返事をする。しばらく食器が触れ合う音と咀嚼音だけが響いて、そのまま二人同時に食べ終えた。
「てか副会長さ、なんで昼休みに生徒会室入れんの? 毎日鍵借りてる訳?」
「あれ、知らない?」
海地は口元を拭いながら立ち上がり、生徒会室から出る。由樹も後をついていき、廊下側からガラガラとその扉を閉めた。
「見てて。こうやって――」
おもむろに海地は鍵の差込口を掴んでは、持ち上げる方向に力を込め、ガチャガチャガチャ! と強く揺する。突然の大きな音に由樹が思わず身構えれば、扉の内側から、カチャン、と音がする。彼は差込口から手を離し、代わりに扉を開ける方向に取っ手を数度軽く引いて、しっかり開かなくなったのを確認した。
「――って感じで」
「駄目だろ。直せよこの鍵」
フフと海地が笑うと、また差込口を掴んで持ち上げ、ガチャガチャガチャ! と揺すり、鍵を開ける。二度目となれば由樹も流石に驚かなかった。
「どうやって見つけたんだよ、こんなの」
「会長に教えてもらった」
生徒会というのは、どうやら品行方正な集団ではないらしい。生徒会室に再度入れば、空にした弁当箱を持って出て、そして改めてけたたましい音とともに扉を施錠する。
「明日の体育祭の準備だけど、由樹くんは来る?」
「ごめん。お母さんが帰ってくるから」
「それは邪魔できないね」
悪い、と会釈して、そのままお互いの教室へ向かった。食事後のあくびを何とか噛み殺しつつ、適当に雑談しながら、廊下を抜けて階段を上っていく。3階に上がったあたりで、海地は手を振った。
「お先に」
「文系はいいよな。下の方の階で」
「健康にいいじゃん。じゃあまたね」
由樹は気怠そうに手を振り返して、そのまま自分の教室へと戻っていった。
午後の授業は酷く眠たい。つまらない訳ではないが、ぽかぽかとした室温と空気の薄さが気力を奪っていく。
「――ですから、イギリスは紅茶文化が有名で――」
ふと教師の言葉が耳に入る。紅茶か。母が帰ってくるなら、何かちょっといい紅茶でも買おう。そう思い、由樹はノートの端にメモを取って、その上から他教科のワークを広げて内職をし始める。
中間考査が近い。課題が溜まる前にコツコツと消化してしまうのが、学生生活をうまくやっていくコツだ。




