2 ワンルームと手料理
冗談で言ったつもりなのに、本当に家にお邪魔して、食事を作ることになるなんて、と由樹は思った。スーパーを出て5分ほど歩けば、美織の住むマンションに着く。
「昨日掃除したばっかりだから、ある程度きれいだと思う。狭いけど、ゆっくりして」
玄関を上がれば、確かにほどほどに綺麗なワンルームの景色が広がった。しかし家具に統一感はなく、シーリングライトの白色光が強く眩しい。ローテーブルに置かれた蓋の開いたままの化粧品や、ハンガーから落ちたままのジャケットが見えたが、由樹は言及しないでおいた。
「お邪魔します。……台所、お借りしますね」
「一息ついてからでいいのに」
美織が声を掛けるのも遅く、由樹はシンクでうがいをし、腕を捲って手を洗い始めた。引き出しの中の調味料と多数のインスタント、乾麺、そして冷蔵庫の僅かな材料を一通り確認して、エコバッグから野菜を出しては流れるように刻んでいく。その端正で慣れた動きを美織は尊敬の眼差しで見つめた。
「自炊して、長いの?」
「中学2年の途中からなんで、まあ。苦手なものってありますか」
「アレルギーはないよ。エビは駄目」
「大丈夫そうですね、お米はありますか」
「パックのやつが、そこに」
質問して、答えて、訊き返して。そんなやりとりをしながら、由樹は調理をどんどんと進めていく。パックのご飯を加熱している間に、ワンルームにしては珍しい二口コンロの片方の鍋に根菜類と水を入れ、火にかける。その間に大きめのフライパンにごま油をひき、ひき肉と青菜をサッと炒め、さらにご飯を入れ、調味料と卵を入れる――。
「あの、手伝えることあったら言ってね」
「ん、コップとか食器とか、どこにありますか?」
「待ってて。ええと」
堪らず、美織は声をあげた。抱えていた両膝を解き立ち上がり、皿を取って由樹に手渡す。そのついでにコップや食器をテーブルへ並べて、冷蔵庫の天然水を汲む。パタパタと動くその姿を由樹が横目で眺めていると、ふと幼い頃の美織の姿が思い出された。
「カメさん公園で、砂山とか作りましたよね」
「えっ、由樹くんが5歳くらいの時じゃない? よく覚えてるなあ」
「スコップがない! って、美織さんが焦ってる横で、俺が靴脱いでそれに砂詰めちゃって……」
「アハハ、あったあった」
あの頃は活発なお姉さん、という印象だった。きょうだいやいとこがいなかった由樹にとって、親戚のお姉さんというのは、強い憧れの存在だったのだ。まさかそんな相手に自分の手料理を振る舞うこととなろうとは――当時の由樹が聞けば、嘘だと思うだろう。
「いい匂いだね」
「出来ましたよ。簡単ですけど。炒飯と根菜のスープ、あと冷食ですみませんが、唐揚げも」
「すごー……お店、開けるよ」
「食べてから言ってください」
由樹はよいしょ、とテーブルの端の床へと直に腰を下ろして、ふうと細く息をつく。美織はその様子を見て、慌てて自分のクッションを差し出そうとするが、由樹はジェスチャーだけで受け取るのを遠慮した。
ローテーブルは二人で囲むには少し小さくて、並んで座ると肩が触れそうだった。邪魔にならないよう、高校生にしてはやや広い肩幅を狭めて食事へ向き直る。
「いただきます」
「いただきまあす」
美織が大きいスプーンで炒飯をすくい、口に含む。しかしその瞬間、大きく咳き込んだ。
「――ごほ、ごほっ!」
「大丈夫ですか!?」
「あっ、熱……ごめんね、ちゃんと食べる」
はふはふと口に空気を含ませながら咀嚼し、やがて飲み下せば、美織は少し遠い目をして、僅かに笑んだ。
「――美味しいなあ」
由樹は何も言えずにいた。なんとなく、そっとしたほうがいい気さえしていた。美織が買った品物や、部屋の様子、そして美織本人の表情から、日々の摩耗を感じ取れてしまう。どのような摩耗かは、きっと企業勤めをしたことのある人間にしか分からない。
美織はちびちびと、勿体なさそうに丁寧に味わって食べる。由樹も普段のペースで食べてはいるが、気恥ずかしさと気まずさからうまく味を感じられない。
料理が半分ほどなくなったあたりで、ふと美織が口を開いた。
「……なんか。一人じゃないご飯って、いつぶりだろう」
「大人って、飲み会とかあるんじゃないんですか」
「会社の人と行くご飯は、仕事みたいなものだよ」
クスクスと笑って、美味しい、美味しいと繰り返しながら、あっという間に美織は自分の分を食べきってしまった。自分の為にしか作ってこなかった料理が彼女の口にも合ったようで、由樹はほっとする。
「ご馳走様でした。本当にありがとう。すごく、うん、いい思い出になるよ」
「大袈裟……」
「それくらい美味しかったし、何より――由樹くんと話せて嬉しい。元気そうだったのも本当に嬉しいの」
真正面から喜びをあらわにされ、思わず恥ずかしくなって由樹は目を逸らしてしまう。その様子に美織は温かく微笑んで、由樹が食事を終えるまでの間、ずっとその様子を見つめていた。
「じゃあ、すみませんが、洗い物はお願いします」
「わかった。お母さんにも宜しくね」
「はい。また」
由樹は少し軽くなったエコバッグを抱え、頭を下げて挨拶する。玄関の扉の向こうで手を振り続ける美織が、扉で隠されて見えなくなる瞬間に、由樹は小さく手を振り返した。




