24 罪人と罪人
息が耳に掛かる感触が、頬から伝わる美織の体温が、生々しく理性をガリガリと削り落とす。浮かされて、ぼうっとする。
だが、美織の体がカタカタと震えているのに気がついたとき、由樹は一気に冷静になった。熱を帯びたまま、身体の強張りがふっと抜ける。
「……私、ひどい大人だった。してはならないことをしていた」
美織の声が一段と低くなる。
「由樹くんをね、もっともらしい言葉で縛り付けていた。居てくれるのが心地よくて、由樹くんの気持ちを利用して、うん。……正直、どうなってもいいかな、と思っていた」
それはたしかな懺悔だった。美織は言っていい言葉だけを選んで、紡いでいた。言葉の裏に隠された意図をなんとか汲み取ろうと、由樹は一心に耳を傾けた。
「由樹くんがいなくなって。……多分、今もひどいことをしている。助長させてしまった、君のことを試し、甘えてしまった」
「……美織さん」
思わず名前を呼びたくなり、呟いてしまうが、美織は発声を咎めなかった。
「だからね。具体的な内容はわからないけど……きっと君は色々なことを私に対して思ってるでしょう」
見抜かれて、由樹はごくりと唾を呑んだ。けれど美織はひどく穏やかに、退廃的に、責めることなく続ける。
「我慢しているのが分かるから。だから全部――許すよ」
「許、す」
「うん。良いことも、悪いことも、私にだけは思ってていい。だけど絶対に口にしないで、行動に移さないで」
由樹は目を固くつむり、ぎゅっと頬を優しく押し付けた。そうでもしないと、気持ちをすべてぶちまけてしまいそうだった。
「本当に、どんなことを思っていてもいいんですか」
「……きっと、由樹くんが想像するよりもずっと、私は由樹くんに対して、とても許されないことを考えているんだよ」
やるせなさを含んだ声を聞いた瞬間、いけないものに触れた気がした。何を考えているのか知りたいようで知りたくなかった。
美織と罪の大きさや重さや数を比べたって意味がない。等しく、抱いてはならない感情を抱き、考えてはならないことを考えていた。
美織も、由樹のことを考えていてくれたのだ。
「……嬉しい……」
抽象化された感情表現は、このときばかりは役に立った。どうとでも解釈できる言葉で、表現してもよいだろうぎりぎりの想いを伝えた。
美織はこれ以上話さなかった。
ゆっくりと体が離れる。お互いの目を見つめる。美織の目は真っ赤になっていた。
「美織さん。俺」
美織は小さく頷く。
「俺――大人になります」
「……私もなるね」
それから美織は子どものようにくすくすと笑って、それからひとつ、深呼吸をした。
「答え合わせは、卒業したら、しよう。その頃にはきっと、ただの思い出になってる」
由樹は喉奥で、ん、と答えた。
久しぶりに穏やかな気持ちでキッチンに向かう。いつの間にかうるさかった耳鳴りも、頭痛も、胃の不快感もなくなっている。あれほど極彩色に歪んでいた景色でさえ、淡く明るく見えるようになっていた。
「何か食べたいものはありますか」
「そうだなあ。甘いものがいいな」
「晩ごはんの話をしてるんですけど。……大学芋? ああいや、さつまいものレモン煮とかどうですか。半分使って冷凍しっぱなしのレモンがあります」
「何それ。食べたことないかも。気になる」
由樹は今まで、美織の希望を叶えることでしか尽くせないのが歯がゆかったが、今はまるで違う。美織が安心して暮らせるように、美織に相応しくあれるように、ちゃんと一線を引いて愛そうと思った。
近づくことも、自ら触れることも相変わらず許されない。それでも、以前よりずっと穏やかで、幸福で、心の隙間に風が通っていく。
「あの、美織さん。もし好きな人ができたら、教えてくださいね」
「え。――ふふっ、好きな人、だって。久々に聞いた」
「……なんですか」
「この歳になると、好きな人って表現は聞かないから。懐かしくて、つい。彼氏彼女がいるか、なんなら結婚したかどうかだからね」
今の美織は結婚適齢期と呼ばれる年齢だ。友人の紹介や、相談所などで相手を早く見つけ、籍を入れるのが普通となる。由樹が知らない他の男性と交際関係に進むのであれば、それがきっと彼女にとっては望ましかった。
また美織としても、多感な高校生の時間を独り占めするのはよくないと考えていたらしい。
「由樹くんも、好きな子できたら是非教えてね」
「ん。……自信ないですけど」
「なにそれ」
アハハと声を上げて笑う美織につられて、由樹も静かに微笑んだ。
美織はとても綺麗な人だと思った。




