14 〝好き〟と類語
「由樹くん。ご機嫌ななめでしょ?」
「そんなわけ……」
「えー? 普段よりちょっと味が薄いもの。もちろん美味しいけどね」
豚の生姜焼きなんて特に難しくはない。普段通りに作ったはずなのだが、集中して口にすれば、確かに薄味寄りになっているのが分かる。でもこれはミスというよりも、由樹好みの味つけになっただけだ。無意識のうちに醤油の量をセーブしてしまったのだろう。
「なにか悩みでもあるの?」
「……友達への呼び名が親しそうじゃないって、生徒会のみんなから怒られました」
「あー。一人だけ名前で呼んでないじゃん! みたいな?」
「なんで分かるんですか」
ふふん、と美織は得意げに笑った。そんなに自分はわかりやすい人間だったかと由樹は自問自答する。
「第一、呼び名で何か変わるんですか。嫌いってわけじゃないのに」
「うーん。極端な例だけど。私が君を〝おい〟って呼ぶのと、〝由樹くん〟って呼ぶのとじゃ、大切にされてるな〜って感覚が違うでしょ」
「……でも、名字と名前って、どうせ同じ氏名じゃないですか。信頼はしてますし」
「そうだよねえ。きっと、由樹くんはその気持ちが会話じゃなくて、行動に出るんだ」
よく聞けば、会話で相手への信頼や親しさ度合いを測るのはよくあることらしい。こと女子同士の交友においては。誰かと同じ言葉を使う、その場の誰もを不快にさせない意見を言わない、直接的な言い回しをしない――そういった文化が暗黙の了解として存在する、と。呼び名もそのプロセスの一部に含まれるだとか。
具体例を聞くたびに、由樹は面倒そうな顔をした。
「見えない部分まで気を回して配慮って……無理。女子とか死んでもなれない」
「あはは、そうだよね。……ならこれはどう? 他者は違う思考回路を持つ生き物だから、明示的に言わなければならない、って考えるの」
「どういうことですか」
「ネガティブなことでないなら、口に出してもいいと思うんだ。呼び方ひとつで変わらないだろ! で終わったらひどい奴だけど、だけど俺は友達だと思ってるよ、を続けたら悪くない。でしょ?」
「なるほど?」
普段通り米の一粒さえ残さず食べきる美織は、そのまま礼儀正しく手を合わせた。出会った頃を思い出せば、少し頬のあたりがふっくらしてきたように思える。
「練習してみようか。私のことどう思ってる?」
「……えーと。好きです」
「ンッ、ゲホッ、そう〜……だけど……もうちょいある? よね?」
思いついたことをそのまま言うと、美織はむせ込んで真っ赤になった。意図を問い直され、由樹は真剣に首を捻る。子どものような表現しか出てこない。
「美味しそうに食べたり、毎日頑張ってたりして、良いなって思います」
「ああ。由樹くん、致命的に語彙がないのかも」
額に手を当てて、美織は納得した。別に現代文は苦手ではないはずだが、そういうことではないようだ。
「面白い話があってね? 心の感じ方って、自由に扱える語彙の量が影響するんだってさ」
「というと」
「つまりだよ。気持ちを表す言葉をいっぱい知っていれば、自分の気持ちも、もしかしたら他人の気持ちも、よく分かるようになるかもしれない。……例えば、〝好き〟って言葉はどう言い換えられるか調べてみて」
「類語ってことですか」
そういうこと、と美織は口元を拭った。
家に帰った由樹は、暗いリビングの明かりを点けるついでに、パソコンの電源も入れる。少し眠い目を擦りながら、のんびりとブラウザを立ち上げた。
「えっと……『好き 類語』……これでいいか」
何万件とヒットするうち、一番上の結果を開く。
〝好ましい〟〝慕う〟——いずれも共感できるが、たしかにパッと出てくる言葉ではない。
〝恋〟〝愛する〟〝惚れる〟――よく同級生から聞く表現だ。
〝傾倒〟〝執心〟――こんな表現もあるのか。初めて見た訳ではないが、意味を説明しろと言われると難しい。
ひとつひとつを目で追いながら、由樹は見ていた世界があまりに狭かったことに驚く。このような言葉たちを自在に扱える人は、一体どれほど細かい粒度で感情を捉えられるだろう。
恋愛感情ひとつとっても、盲目になったり、ときめいたり、切なくなったりするらしい。緊張して熱っぽくなるだけだと思っていた。
美織は本当に物知りだと思った。自分より遥かに豊かな人生を歩んでいると思った。でもそれ以上の表現が出ず、未熟さを痛感する。
ふと、スクロールする指の動きが止まる。
その言葉に、あまりにも身に覚えがあった。
その言葉に、美織の影が映った。
その言葉に、由樹は息を呑んだ。
「——〝魅了される〟」
誰もいない家の中で、由樹はひとり呟いた。




