13 呼び名と人でなし
文化祭は表向き、つつがなく終わる。何回かの小テストを経て、文化祭後の事務処理を終えた頃、生徒会は新体制となり会長も2年生へと交代となった。今年も立候補者がおらず、生徒指導の先生が頼み込んでやっと引き継げたらしい。もう何年もこんな調子だという。
由樹たちの殆どは役職が変わらなかった。由樹も美化委員長のまま、海地も相変わらず副会長に据え置きだ。やることはあまり変わらない。せいぜい球技大会が控えるがために、体育委員長である伊知郎が忙しいくらいか。
まだ人の揃っていない放課後の生徒会室で、海地は由樹にだけ聞こえる声で、ふとぽつりとこぼした。
「僕、会長になろうかなあ」
「へえ?」
「カイチがカイチョーだなんて、いよいよ面白いだろう?」
「……味占めてんじゃん」
まあね、と海地は穏やかに笑った。わざと肩書で呼ばれるノリは満更でもなかったらしい。
「恥ずかしいから内緒にしてね?」
「なんで俺に言うわけ」
「由樹くんならいいかなあ、なんて」
理由になっていない、と由樹は思った。よく弁当を食う仲ではあるし、仕事も時々手伝っている。海地の信頼には足るのだろう。
やがて、ぽつぽつと人が入ってくる。3年生が抜けたので、その数は以前に比べ少ない。
「やっほー、由樹! 副会長!」
「海地って呼んでよ。亜里沙ちゃん」
黙って手を上げて挨拶する由樹と、いつも通り呼び名を訂正する海地が亜里沙を迎える。英語の課題がわかんないんだけど、とそのまま海地に話しかけに行くのが見えた。由樹も暇つぶしにテキストを開く。
「お疲れ様です」
「こんちわー」
対照的な言葉がすれば、遅れて葉音と伊知郎が入ってきた。一緒に廊下を歩いて来たらしく、雑談の続きをし始める。
「で、葉音は家も遠いんだろ? よく毎日遅刻しねえよなあ」
「イッチーとは人間性の出来が違うの。一緒にしないで」
「……い、イッチー?」
由樹は耳を疑った。無意識のうちに、口から疑問が小さく漏れ出る。いや、葉音からのあだ名呼びもそうだが、伊知郎も葉音を呼び捨てになんかしていたか?
「あれ? あの二人。あんな仲良かったっけ?」
「だよねっ。ねー副会長、もしかして――」
ひそひそと話し始める海地と亜里沙を見やり、由樹は軽くため息をついた。
「……そんなんじゃないだろ」
事実、どうにも由樹は、彼らが言外に意味するところに共感できないでいた。
確かに葉音と伊知郎の距離は近く見える。海地が亜里沙を想っているらしいのは見ていて納得できなくもないが、それに比べて伊知郎と葉音はあまりにも自然体だった。伊知郎は普段よりよく喋るし、葉音も毒舌が増している。それに過去、葉音が言っていた「自分は恋心が持てない」といった言葉も、どことなく引っかかっていた。
「由樹くん。少しいい? この書類なのだけど、どこに出せばいいかしら」
「ん、それは学年主任宛。折角だし、ここの鍵返すときに小浦場さんのも俺が持っていくよ」
葉音に呼び掛けられ、由樹はそれに答える。葉音はじっと、由樹を見つめていた。
「ありがとう。由樹くん」
「……な、何。小浦場さん」
「由樹くん」
「はい……?」
不機嫌そうにじっと見てくる葉音に気圧され、思わず行儀のいい返事が出る。後方ではクツクツと笑いを堪える伊知郎が居た。
「なあ亜里沙、どういうこと? これ」
「あちゃー。分かんないんだ」
この場において、おそらく由樹だけが葉音の気持ちを分かっていなかった。
「はあ、最低な男。貴方ってば人の心が本当に分からないのね。イッチーや副会長を見習いながら、初等教育から道徳をやり直してきてほしいところよ。この間助けてもらった感謝を全て撤回したいわ」
「え、なん、何だよ急に」
とうとう外野がアハハ、と声を上げて笑った。見かねた亜里沙が意図を補足してくれる。
「由樹、あのね。葉音ちゃんは下の名前で呼んでほしいんだよ。由樹だけ呼んでないでしょ?」
「はあ?」
「……そんなことも言われないと分からないの? 無粋にも程があるわ。わたしがちゃんと由樹くんって呼んであげてるのに、仲良くしてあげようというのに。一度何らかの罪で裁かれるべきじゃない?」
「まあまあ。由樹くんは他人に驚くほど興味がないんだ。葉音ちゃんも、彼がロクでなしの人でなしだと思っておくといい」
「言いすぎだろ。副会長」
「海地ね」
とうとう葉音はむっとむくれてしまった。鞄を肩に担ぎ直し、足早に生徒会室を出ようとする。
「待って、小浦場さん」
思わず呼び止める由樹に、外野からはサイテーだの馬鹿野郎だの罵詈雑言が投げかけられる。
「もう知らない」
「ぐ、は……葉音。悪かったから」
なんとか腹を括ってその名を呼べば、やっと葉音は振り返る。ジュース一本奢りで許してあげるわ、と言いながら由樹の横を抜け、席に戻っていった。別に呼び方ひとつで何も変わらないだろうと、由樹は最後まで腑に落ちなかった。




