第5話〜恥辱
前書き
仕切りも壁もない、ただの「溝」。
男装女子・アルトに突きつけられた、軍隊生活最大の試練。
知恵とハッタリを総動員した、前代未聞の隠密作戦がスタートします!
本文
「……嘘、だろ」
目の前に広がる光景に、私の思考は完全に停止した。
コンクリートの床に、ただ一本の細い溝が通っているだけ。そこには仕切りはおろか、カーテン一枚すら存在しない。文字通りの「プライバシーゼロ」空間。
そして何より最悪なことに、すでに先客たちがいた。
「おい、アルト! お前も今からか?」
「今日の訓練、まじでキツかったよなー!」
上半身裸のむさ苦しい男たちが、並んで用を足しながら平然と雑談を交わしている。
その中に、ハンスの姿もあった。彼は私に気づくと、人懐っこい笑みを浮かべて手招きしてくる。
「アルト、こっち空いてるぞ! 隣で一緒にどうだ?」
(い、一緒にするかァァァァァ!!)
一歩でも近づけば、すべてが終わり、私の社会的な死が確定する。
限界を迎えた下腹部が「今すぐ妥協しろ」と悲鳴を上げるが、女子高生としての最後の尊厳が、全力でブレーキを踏みちぎっていた。
ここで引き返せば怪しまれる。だが、このまま突撃すれば男装がバレる。
冷や汗が全身から吹き出す中、私の脳細胞は人生史上最速のフル回転を始めた。そして、ひとつの「ハッタリ」を導き出す。
「……ハンス。悪いが、僕は『自分の美学』に反することはしないタチなんだ」
私はわざと冷徹で、影のある声を絞り出した。
「美学……? トイレにか?」
ハンスがポカンと首を傾げる。周囲の男たちも、怪訝そうにこちらを振り返った。
「そうだ」
私はフッと自嘲気味に笑い、あえて彼らに背を向けた。
「僕の故郷の一族には、厳しい掟があってね。……『用を足す姿を他人に見せることは、魂を売り渡すことと同義』。だから、誰かと並んでこれを行うことは、僕のプライドが許さない」
一瞬、静寂が訪れる。
あまりに突飛で、中二病全開の嘘。普通なら「何言ってんだこいつ」と一蹴されるところだ。
しかし、ここにはハンスがいた。
「……魂の、掟……!」
ハンスの瞳が、これまでにないほど眩しそうに輝き出す。
「そうだったのか! アルト、君のその気高さ、ストイックさの理由はそこにあったんだな! 馴れ合わず、常に自分を律する……なんて孤高の戦士なんだ……!」
(よし、引っかかった!!)
ハンスの勘違いは大伝染し、周囲の荒くれ者たちも「ほう、名家の掟か……」「やっぱりタダ者じゃねえと思ってたぜ」と、なぜか納得の表情を浮かべ始めた。
「みんな、アルトの神聖な儀式を邪魔するな! 外へ出るぞ!」
ハンスの号令で、男たちはそそくさと小屋を出ていく。
「恩に着る、ハンス……!」
「気にするな、友よ!」
ハンスは誇らしげに親指を立て、最後にパタンとドアを閉めてくれた。
「……ふぅぅぅぅぅ!!」
完全に一人になった瞬間、私は崩れ落ちるように溝へと駆け寄った。
勝った。ついに、最大の危機を乗り越えたのだ。ハンスの脳天気さに、これほど救われる日が来るとは夢にも思わなかった。
だが、安堵の息を漏らしたのも束の間。
ガタ、と小屋の裏手から、かすかな物音が響いた。
「……おい。そこで何をしている、アルト」
背後から聞こえてきたのは、ハンスのそれとは違う、低く冷徹な声音。
この部隊で最も恐れられている、氷の副隊長の Augustの声だった。
(終わった。……いや、まだだ、まだ死ねない……!!)
アルトの防衛戦は、まだ始まったばかりだった。
後書き
第5話をお読みいただきありがとうございました!
ハンスの超解釈のおかげで、なんとか「男だらけの包囲網」を突破したアルト。
しかし、安堵した瞬間に現れたのは、部隊で一番鋭い副隊長……!
果たしてアルトは、この最大のピンチをどう切り抜けるのでしょうか!?
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次回「背後の視線と、決死の言い訳」、どうぞお楽しみに。




