第34話 「カクメイ宣言」
「ほう? これは無欲な。誰ぞに聞かせてやりたいもの……いや、聞いておるか」
家斉が忠邦と跡部を皮肉って見やる。
再び辱められた跡部が、八つ当たりのようにカイに向けて声を荒らげた。
「し……仕官でなくば、何と申す!」
カイは跡部を上目使いに見据えた。
そもそもの発端はこの男だ。
獲るべきはこいつの命か?
ひれ伏した左手の中に隠されたものは、鋭利な甕の破片だった。
その場にいる者たちがずっと彼を注視していたはずだが、平八郎の生首のインパクトが陽動になってくれた。
「御前である。申せ」
そう言った忠邦を見た。
相良藩で政の仕組みを教わった。
廻し米を弟に指示し、建議書を握り潰したのもこの男と思われる。
獲るべきは跡部を裏で操ったこの男か?
教えてくれ、先生。
カイは中段の間に置き去りにされた生首を見やる。
一瞬、カイの耳に平八郎の声が届いた……
狙うべきは……
ああ。あの時先生はなんて言ったんだっけ?
カイは破片を握り締めた。
破片が掌にちくりと刺さった瞬間、心の中に大筒の砲声が響き渡る。
「さよう。それがしの望みは……」
カイは己の半生を噛みしめながら、ゆっくりと面を上げた。
「革命!」
握り締めた破片は手裏剣となって、その手を離れた。
鋭利な武器が大御所・徳川家斉の喉仏を貫く。
家斉の意識は途絶え、ことの推移が理解できないままその場に崩れ落ちた。
一同が呆然とする中、カイは別の破片を拾い上げ目を丸くする忠邦の背後を襲った。
「てめえら! 道を開けろ」
喉元には鋭利な破片が突き付けられている。
完全に機先を制され、帯刀もしていない家臣たちはなす術もなく後退りする。
自然と道が開けた。
(ああ、邪魔くせえな)
長袴のことだ。
カイは自分の袴を脱ぎ捨て、忠邦の羽織と袴も剥ぎ取った。
「おい。なんとか老中。走ってもらうぞ」
忠邦の後ろ襟を掴んで、大広間から飛び出した。
「で、出合え。出合え。不埒者じゃ。誰ぞ!」
兄というより自分の後ろ盾をかっさらわれた跡部は、喉が潰れんばかりに叫んだ。
この跡部良弼のその後だが、大塩の乱については一切責任を問われることなく大目付から勘定奉行へ昇進。
忠邦が失脚した後も幕政に残り最終的には若年寄となって隠居。
七十歳まで生きた。
これほど無能な男がなぜ?と訝るなかれ。
我々も近年、総理大臣をかばって鼻白むような偽証を繰り返した官僚と政治家が出世していくのを見てきたではないか。
老中首座を人質に取った不埒者が松の廊下を走り抜ける。
田沼意留は雁の間に座したまま、そのあとに続く喧噪も耳に入れた。
(さて。藩邸に戻って切腹の支度でもするか)
ここまでやるとは聞いてはいない。
だが、カイを城内に引き入れたのは紛れもなく自分だ。
責任はとらねばなるまい。
もとより覚悟の上。
だがその後の田沼意留についての記録には、この年家督を嫡男・意尊に譲って引退した、としか残っていない。
健康不良が理由なのにその後二十年隠居生活を送った、という矛盾した記述まである。
幕臣たちが飛び出したのと入れ替わりに、二の丸の御殿医が大広間に駆け込んで来た。
「お、大御所様!」
血相を変えて脈を診た。
ぴくりとも動いてはいない。
御殿医は、固唾を飲んで見守る間部詮房に首を振った。
即死だ。
間部は一旦は腰を抜かし、その場に崩れた。
(こんな。こんなことが後世に残っては……)
間部は即座に官僚脳をフル回転させた。
そう。そもそも公式記録に家斉暗殺の史実などは存在していない。
家斉はこの翌年病死したことになっている。
しかしながら一年間病床の家斉に会った者はなく、家斉を看取ったこの御殿医はなぜか切腹している。
本丸から脱出しても江戸城は思いのほか広かった。
中雀門をくぐると、意留と打ち合わせた通り馬が繋がれていた。
相良藩にいた頃から調練に使っている愛馬で名は「勝」という。
鞍には革の袋がぶら下がっている。
中にあるのはリボルバー拳銃だ。
大広間を飛び出してから少し時間が経っている。
そろそろ来る頃だろうと踏んでいたが、やはり槍隊を先頭に追っ手が現れた。
馬を繋いだ樫の木に忠邦を縛りつける。
「不埒者。多勢に無勢、逃亡は不可能だぞ。おとなしく投降しろ」
忠邦がありがたい忠告をカイに投げかけた。
「まあ、いいから。そこで見てろ」
カイは中雀門の裏に身を潜めて手勢を窺う。
先鋒に槍、それに弓が続き、白兵が連なっている。
鉄砲隊はいない。
あれは準備に時間がかかるからな。
カイの想定通りだ。
「まずは、槍」
忠邦に聞こえるように言った。
数人の槍隊が門前まで来たとき、カイはリボルバーを連射した。
一発、二発……六発。
一瞬にして六人の先鋒隊が雪崩を打って倒れていった。
後方に続いていた者たちの足が止まる。
「どうだ、老中。連射する鉄砲なんて見たことないだろう?」
観客の忠邦に解説してやる。
しばらく唖然としていた槍の残兵と弓隊が、本丸に引き返し始めた。
「異国の武器か。なるほど逆賊にふさわしいな。だが、そこまでであろう。これからお主が弾を込め直す前に……」
忠邦が言い終える前に、カイは拳銃から蓮根のような弾倉を抜き取り新たな弾倉を装填し直した。
ものの五秒。
「込め直す前に、何だって?」
「……」
「さあ、次は弓!」
つづく




