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大坂騒擾異聞・鼠たちのカクメイ(The Revolution of Rats.)  作者: 真夜航洋


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第30話 「歴史に残らない生き様」


 江戸城の密室の中で権力闘争が繰り広げられている頃、市井では「大塩生存説」なるものが流布していた。

 これは、美吉屋の離れから発見された大塩父子の焼死体とされるものが、爆裂によって判別不能になっていたこと。

 また事件関係者の数が膨大で、奉行所の吟味が遅々として進まず、公開処刑などのお仕置きが一年以上できてなかったこと。

 さらには庶民たちの願望が合わさって生まれたものだ。



 大塩の乱に触発された越後国(現・新潟県)柏崎では、同じ陽明学者である生田万による乱も勃発し、連鎖反応のように全国で一揆や打ちこわしが始まった。

 さらに同年に起きたのが「モリソン号事件」。

 これは日本の漂流民を港に届けに来た米国の商船モリソン号を幕府が領海侵犯として砲撃したという事件だが、これに絡めて「幕府に恨みのある大塩と米国が黒船に乗って復讐しに来る」という突飛な話まで登場した。

 こんな戯言がまことしやかに噂された背景には、やはり大塩一党への同情と幕府への反感が根深くあったということだろう。


 事態を重く見た幕府は、一年以上も経ってから事件の関係者を晒し首にした。

 天保九年(1838年)の事である。

 晒されたのは大塩父子をはじめ、乱当日に死んだ者や評定ののちに刑死した者の首など合わせて三十以上に及んだ。

 これ以外にも牢死したり自決した者もおり、その数も五十を超えている。

 特に平八郎や格之助といった首謀者は、塩漬けしたその遺骸を改めて磔にかけてから晒しものにされた。

 傍らに『首謀者・大塩平八郎』の札が立てられたが、その顔は爆発で焼け落ちている。


「なんだ、ありゃ。大塩だか誰だかわかんねえぞ。別人じゃねえのか?」


 見物人たちは白けた目で見て、結局この晒し首はむしろ大塩生存説に拍車をかけることになった。

 その見物人の中には、侍のいでたちをしたカイの姿もあった。

 平八郎の首、ということになっているそれの正体を知っているのは彼だけである。


(おっさん、わりい。もう少しそこで辛抱してくれ)


 編み笠を目深に被り、その奥でカイは目礼をしてから場を去った。




 美吉屋を離脱した後のカイは、意義の言いつけ通り遠江相良藩の陣屋に向かった。

 もちろん最初は門番に咎められ、中に入れてはもらえなかった。

 何度か日参したあと門番に意義の小刀と文を預け「藩主様に見てほしい」と言伝て宿の名を告げておいた。

 それから数日して、使いの者が宿を訪れカイを駕籠に乗せた。


 意義の実兄で、幕閣の一人でもある意留との面会。

 意留の正面に置かれた遺品の脇差の柄には、田沼家の家紋である七耀星が刻まれている。

 さらに文には、兄弟でしか知り得ないことが書いてあった。

 おそらく意義は意識的にそうしたはずだ。

 そのことが意留に、どこの馬の骨とも知れぬ若造との対面を決心させた。


「その方が、意義の最期を看取ってくれたのか?」

「はい。その場に居合わせました」


 馬の骨を観察してみる。

 不思議な少年だった。

 出自は武士ではなかろう。

 侍には幼少から染みついた姿勢がある。

 髷の結い方もどこか不自然だ。

 だが、凛々しさも漂っている。

 戦を潜り抜けたかのような強靭さも垣間見える。

 

「お主は文を読んだか?」

「いえ。オイラは下々の身分ですが、礼儀は教えてもらいました」


 大塩平八郎に、と言いかけたがやめた。


「ここに、その方のことを親身に扱うよう書かれておる」


 ああ、おっさん。

 有難迷惑だぜ。

 なんて答えりゃいいんだよ。


「勿体ないことです。弟君、意義殿は……」


 生前の意義を語ろうとした時だった。

 意留は、文を丸めて傍らの火鉢にくべ始めた。


「ちょ、な、何してんだよ!」


 愕然と、そして憮然とした。


「田沼家の歴史に残すわけにはいかんのでな」

「歴史?」

「とんだ犬死にだ。まして反逆に手を染めるなど、末代の恥」

「い、犬死に? 恥?」

「せめてもの救いは、勘当しておいたことか」


 あれ以来条件反射になっているのか、火を見るとカイの腹から何かが沸き上がる。


「ふざけんな!」


 立ち上がっていた。

 同時に襖が開いて、藩主の護衛三人が刀の柄を握ったまま入室する。

 ひとりが意留の前に立ちはだかり、ふたりがカイの体を拘束した。

 羽交い絞めされ両の足まで掴まれていたが、構わずカイが叫ぶ。


「あのおっさんはな、自ら進んで犬死にしたんだ。あの人はオイラたちなんだ!」


 この小僧、妙なことを言う。

 ここに通す前に検分はしてある。

 寸鉄も帯びてはいない。

 意留は護衛を手で制した。


「離してやれ。続けろ」

「そりゃあ、大塩平八郎や格之助の名前は歴史に残るかも知れねえ。あんたの親父、田沼意正や意次公の名前もな」

「馬鹿者。賊軍と田沼家を一緒にするな」


 口ほどには怒っていない。

 もっとこの少年の話を聞いてやろう、と思う。


「だが田沼意義はな、名前なんて残らねえ、残しちゃならねえ仕事に命を賭けたんだ!」


 昂ぶり過ぎたか、目から悔し涙が落ちる。

 

「格さんから教えてもらったよ。歴史ってやつを。でも出てくるのはお偉いお侍だかお公家様の名前ばっかでよ。だけど、その下とか裏には名前なんか残らない人間だっていたはずだ。だから、だからあの人は、オイラたちなんだ!」


 込み上げるものを抑えられない。

 涙が止まらない。

 なんでオイラはこんなムキになってるんだ?


「ほう。泣いてくれるのか? あれは、そういう死に様をしたのだな?」

「死に様じゃねえよ。生き様だ」


 と、その場に座り込んでうなだれる。

 意留は、少年をじっと見る。

 あれもそうだった。

 何かに打ち込むとすぐムキになり、できないことがあると呆れるほど悔し泣きした。

 文には、事を成したあと炮烙で自決すると書かれていた。

 私は、弟がこの煩雑な現世から逃げた、と早合点してしまったようだ。


「私はあれに、吉次郎に負い目があってな……」


 吉次郎は意義の幼名だ。

 久しぶりに口にする。

 若い頃、家のために汚い仕事を押し付けたこともある。

 約束した建議書も握り潰されてしまった。

 最後くらいは、遺志くらいは聞いてやるべきかもしれぬな。


「お主らの企て、いま少し思案させてくれ」


 カイが無言で頷く。


 意留が庭を見ると、鈍色の空にまっさらな小雪が舞っていた。




つづく





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