第28話 「爆死」
捕り方たちが大挙して美吉屋宅に向かっている。
大塩父子の潜伏場所を突き止めた、と大坂城玉造口の与力宛てに通報があった。
無論通報したのは美吉屋ゆかりの者だ。
平八郎が奉行所ではなく城代を選んだのは、一戦交えて土井利位なら派手に動くと踏んだからだ。
捕縛の指揮を執るのは、土井の所領である古河藩の家老・鷹見泉石だった。
手勢は百名以上だが、それでも油断はできない。
相手は大坂を火の海にした叛乱軍の首領である。
武器もまだ隠し持っている危険性大だ。
美吉屋の店前に到着した。
鷹見は店主を呼んで尋問しようとした。
返答次第では連行する気だったが、染物屋はもぬけの殻で店主はおろか丁稚ひとりいる気配がない。
(妙だ。これは罠かもしれぬ)
鷹見は案じて、捕り方を四つに分けた。
「東西南北に分かれ、あの離れを遠巻きから囲い込んで参れ」
奉行所と違い、大坂城の兵たちは即座にそして粛々と四散して行った。
カイは床に座り込んだまま動けなかった。
何をどう考え、これから何をすればいいか全くわからなかった。
畳の上には、格之助の遺体と大塩の生首が落ちている。
胴体の方はさっき意義が裏庭に埋めているのを見た。
その庭から戻って来た意義が、背負子に積んだガラス瓶を数本降ろした。
「何やってんだよ、おっさん。こんなときに」
「まだやれること、だ」
今度は棚から甕を出してきて、中にガラス瓶の中の液体を注ぎ始めた。
カイはそれを酒だと思い込む。
「やれることってヤケ酒か?」
意義が平八郎の生首を、アルコールの入った甕の中に沈める。
「何すんだよ! それは菩提に…」
カイは意義に食ってかかった。
が、意義は返り討つようにカイの喉をわしづかみにして言った。
「これから言うことをよく聞け」
すさまじい気迫だ。
カイはただ次の言葉を待つ。
「死体がもうひとつ要る」
土井からは、できる限り生け捕りするように言われている。
蘭学者でもある鷹見は、わが主君が事件の真相を知りたいのだと考えたが
「決起の真意だと? あやつは救民などと申しておったが、救民だろうが謀反だろうがどちらでもよい。わし自身、幕府を転覆させてやろうか、と思うことはいくらでもある」
と、物騒な言葉で返した。
「それでは何故、ご主君は生け捕りをご所望か?」
「死なすに忍びない。もう一度平場で話をしてみたい。それだけだ」
こんな会話だった。
どうやら主君は大塩という男を高く買っている。
そして身内であるはずの奉行所を唾棄すべき存在と罵ってもいた。
敬うべき敵と蔑むべき味方。
えてして社会はそのようにできている。
捕り方たちの準備はできたようだ。
鷹見の感覚器は、大塩父子が潜む離れに集中した。
意義からこれからなすべき事を懇々と叩き込まれたカイは、嗚咽が止まらなかった。
意義の方は事務的に、爆薬をまるで白粉のように自分の顔に塗りたくっている。
そして、爆薬の山に導火線をつなぎ始めた。
「やる、やらないはおまえの勝手だ。だが、先生の思いは胸にしまっておけ」
言い放つ意義に、カイは駄々をこねる。
「一人じゃやだよ、一緒にやろうよ」
「一緒にやるんだ。みんなでな」
突き放すようにそう言って、平八郎の首が入った甕を見る。
それから意義は、いつかカイに貸してやった小刀と『田沼意留兄』と表書きされた書状を渡した。
「カイ。いつかおまえにも見せたかった場所がある。相良藩という俺の故郷だ。そこに行けば、俺の兄がおまえに手を貸してくれるはずだ。さあ、行け」
もう何を言っても無駄だ、と悟った。
カイは泣きべそをかきながら、甕を括り付けた背負子を担いだ。
小刀は腰に差し、書状は懐に入れた。
外に出る。
表は一分の隙もなく捕り方に囲まれていた。
抜け道はひとつしかない。
カイは裏木戸から雑木林へと脱出した。
(やっぱ、侍ってなあ大馬鹿野郎だ。クソ、クソ、クソ)
後ろを見るな、と自分に言い聞かせながらカイは走った。
ひとり残った意義は、全ての準備が整ったことに安堵の息をつく。
そしてたった今自分がしたことを振り返る。
おかしなものだな。
俺は戦場にあっても、敵は斬れなかったし撃てなかった。
俺を殺そうとした小僧もだ。
なのに、最も敬愛する人や親愛なる者の首は平気で刎ねたんだからな。
そのことを考えると、また例の霧が頭の中に噴き出してきて、いつもの闇へと俺を追いやる。
意義は思う。
死の恐怖に勝てるのは生への恐怖ではないかと。
カイは俺の事を真面目過ぎると言っていたな。
ある種の人間にとって、この現世はひたすら息苦しい。
出口のない闇。
自分はようやくそこから抜け出せる。
意義の目の前には黒い火薬が山と盛られ、十間(5メートル)ほどの導火線がつながり大きな輪をつくっている。
手元の七輪には種火となる炭と導火線の一端。
意義は赤々とした炭をとってそこに押し付けた。
点火。
時を刻むように導火線の火花は一旦遠のき、折り返して近づいてきた。
正座をして目を閉じた。
(紅蓮、か)
父が見たという相良城炎上。
そして大坂の空を染め上げた炎。
それらがいま導火線を這っている。
意義は、かっと目を見開いた。
「死よ。俺を受け入れよ!」
掌いっぱいに爆薬を掬い上げ、口の中に入れた。
意義を死へと導く小さな紅蓮が、火薬の山にたどり着いた。
衝撃が全身を襲う。
灼熱も感じた。
轟音が耳を貫いた。
だがそれらを意識する頃には、彼の顔は吹き飛んでいた。
つづく




