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大坂騒擾異聞・鼠たちのカクメイ(The Revolution of Rats.)  作者: 真夜航洋


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第27話 「切腹」


 その日は天保八年五月一日と記録されている。

 場所は、平八郎と格之助がひと月程潜伏していた美吉屋の離れである。


 カイを別室に控えさせて、意義は主人の五郎兵衛に以前平八郎と示し合わせた計画の内容を話した。

 これには五郎兵衛の協力が必要だったからだ。


「ほうですか。先生はそこまで。なら門弟のわては、従うほかおまへんな」


 快くではなかろうが、五郎兵衛は了解したようだった。


「せやけど、ひとつだけ問題がおます。今の婿殿に、介錯は無理やないかと」


 格之助の身に何かあったようだ。

 五郎兵衛によると、まだ三つになったばかりの弓太郎が捕らわれ入牢した、と聞いた時からおかしくなったと言う――格之助はしばし呆然としていたが、やがて大笑いしたかと思ったら今度は熊のように吠えた。


「あんたのせいや! 弓坊に何かあったら、俺はあんたを斬る!」


 五郎兵衛の見ている前で、格之助は刀を抜いて平八郎に襲いかかったのだ。

 すんでのところで、平八郎が刀をよけ養子の足を払った。


「格! 静まれ。しっかりせい!」


 一喝され我に返ったのか、格之助はその場にうつ伏せたまま泣き出した。


「父上。俺は自分の命やったらいつでも差し出しますわ。けど弓之助は、俺の宝や。あんたは、さすがの奉行も子どもにまでは手を出さん、言うてたやないか」と、地団太を踏んだのだ――という。




「そのとき限りの事やったら、そらしゃあないと思いました。しやけど、その後も先生が寝てるときに、思い出したように首を絞めたりするそうですわ」


 格之助の気がふれた。

 意義は信じることができなかった。


(まさか。実の父子以上に仲の良かったふたりだぞ)



 

 意義とカイが引き戸を開けて中へ入ると、畳の上に、正座し切腹の準備をしている平八郎と、柱に縛りつけられている格之助の姿があった。

 意義はすべてを察して土間に座ったが、カイはその異様な光景に立ち尽くしたまま動けなかった。


「おお、意義。間に合うてくれたか」


 平八郎が明るく言い、その明るさが意義の胸を締め付ける。


「お聞き及びかと思いますが、例の建議書はやはり水野忠邦の手で握りつぶされた模様です。一方私が兄に渡したものも、城中の噂にも上っておりません。恐らくはわが兄・意留は事の重大さに変心したものと思われます」


 意義は、その場に膝をついて土下座した。


「力足らずで、お詫びの仕様もございません」


 しばらく沈黙があったが、平八郎が取り繕うように言った。


「ええんや。あれはあくまで保険やった。すべての責任はこのわしにある。わしは間違うてた。跡部や鴻池屋なんぞを、的にしてはあかんかったんや」


 カイも意義も言葉を失う。平八郎が遠くを見る虚ろな目をしていたからだ。


「狙うべきは、てっぺんやった……一生の不覚」


「田沼殿。私の戦術も間違うておりましたわ」


 あとを引き継ぐように格之助が続ける。

 どうやら今日は、格之助が荒れることはなさそうだ。

 意義は柱に繋いだ縄を解いてやる。


「二百年も前の木筒で幕府と張り合おうなど、暴挙どころか滑稽ですわな」


 人が変わったように気弱な大塩父子に、カイは複雑な面持ちだ。


「先生。オイラは納得できねえよ」

「カイか。お主には何も教えられんかったな。ただただ、みっともない武士の姿をさらしただけや。すまんなあ」

「まだ……まだやれることあるだろ。教えてくれよ」

「あとのことは、この田沼意義に聞け。ええな」


 平八郎が意義を一瞥する。

 二人の間で暗黙の了解があったようだ。

 カイだけが疎外感のようなものを感じていた。

 だが、それはおとなたちの配慮でもあるのだろう。


「では、急ごうか。まもなく捕り方が来る」

「畜生。また密告か?」

「違う。わしがここの家人に命じて、大坂城に知らせさせたんや。もうこれ以上の迷惑はかけられへん。意義」


 意義が太刀を抜いて介錯の準備をはじめた。

 先に格之助が前を開き、小刀を手に取る。


「父上。お先に参ります」


 平八郎はただ頷いただけだった。

 事情を知っている意義には、最後の最期で自分の養子がまともであることにほっとしているようにも見えた。


「田沼殿。よろしくお頼み申す」


 まるで日常の些事かのように、格之助は淡々と腹に小刀を突き立てた。

 誰も何も言わぬ中、ぶすりと刃物が肉を貫く音だけが響いた。


「ゆみ、たろう……」


 格之助は断末魔にそう吐き出し、目に涙を浮かべた。

 意義はなるべくその目を見ぬように、粛々と格之助を介錯した。

 ついこの間まで同じ目的のために戦った同志。

 それも自分の人生を変えた大恩ある男が、兄弟のようにも慕った男の首を平然と刎ねた。

 カイにとっては悪い夢でしかなかった。


(これか? これがおっさんが言っていた、窮屈な侍のしきたりなのか?)


 だとしたら、次に消えるのは大塩平八郎?

 オイラだってこれまで何人かの命を消してきた。

 なのに、仲間が仲間を斬る。そんなものはもう見たくない。

 カイは空ろな目を天に向けた。


 だが、時間は進む。田沼意義が平八郎の背後に立った。


「焙烙(爆薬)が床下にある」


 平八郎は独り言のように呟いた。


「承知つかつりました」


 意義もまた風のように返す。


「お主には最後まで世話をかけるな」

「水臭いですよ。先生」


 意義はつとめて微笑んだ。


「参る」


 平八郎が、小刀を腹に突き立てる。

 そしてやはり彼も、心中を吐き出した。


「カイ!」


 最期に自分の名を呼んだ? 

 なぜ? 

 カイは呆然と、しかししっかりと師の言葉を聞き漏らさぬよう全神経を集中させた。


「わしらは捨て石や。お主ら若者は……しかと、見届けよ」

「……?なにを?」

「……時代」


 意義は万感の思いで介錯した。




つづく



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