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大坂騒擾異聞・鼠たちのカクメイ(The Revolution of Rats.)  作者: 真夜航洋


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第26話 「大塩弓太郎」


 大坂の街中に西町奉行の札が立てられ、人だかりがしている。

 その中には、編み笠をかぶって市中の様子をうかがう美吉屋五郎兵衛の姿もあった。

 立札には「告 先の大塩の乱に与し者と其の一族を捕縛…」とある。

 五郎兵衛が読み進めていくと「大塩ゆう みね 弓太郎」という名が明記されていた。

 離縁した大塩家の妻子たちである。


(弓太郎殿はまだ三つほどの幼子のはず。そんな馬鹿な!)


 思わず叫びかけたが、その場は慌てて自重した。

 自宅に戻った五郎兵衛は、握り飯を盆に載せて離れに向かった。


「わしです。入ります」


 中には無精髭を生やし、やつれた感のある平八郎と格之助がいた。


「おお、すまぬな。いつも」


 平八郎は握り飯を取り、格之助にもひとつ渡した。

 五郎兵衛はいかにも言いにくそうにふたりに報告する。


「先生。婿殿。お気を確かに持って聞いとくなはれ」

「どうした。勿体をつけて」

「弓太郎様が……牢獄に入れられました」


 格之助は思わず握り飯をとり落とした。


「弓、坊」


 大塩父子は、来るべき時が来たことを知ったのだった。




 この数か月大坂町奉行の大牢は、大塩事件の容疑者たちですし詰め状態だった。

 座敷牢のひとつには、平八郎の実質上の妻であるゆうと格之助の嫁みねが囚われていた。

 後ろ手に縛られ、ひざの上には石板が数枚乗せられている。


「みね。ここが正念場やで」

「はい。でも、お義母さん」


 その隣の牢には、ひとり部屋に寝かされた弓太郎が泣きじゃくっている。


「かあさま。ばあさま。ゆみ、おなかすきまちたあ」


 あろうことか弓太郎は、まるで犬ころのように首に縄を掛けられ満足な食事も与えられてはいなかった。

 みねにとっては膝の上の重しなどより、ひとり息子の泣き声の方がはるかに拷問だった。


「みね。返事したらあかん。慰めたところで、わてらは何もでけん。かえってぼんを絶望させるだけなんやで」

「はい。わかってます。でも、弓太郎だけは、なんとか……なんとか」


 押し殺したみねの嗚咽は弓太郎に共鳴し、幼児はさらに泣き叫んだ。

 その光景を眉をひそめて見守る者がいる。

 西田明信という与力である。

 彼は与力の職務である咎人の取り調べを一通り終えたところだ。

 毎日毎日十数人から聞き取りをし、白状記(供述書)を作成していかねばならない。

 まことの咎人ならばともかく、みねたちのような被疑者から出てくるはずもない罪科を引き出すのは胸が痛む。

 まして西田は、平八郎が現役時代に与力職のいろはを習った後輩でもあった。

 だが、宮仕えである。

 上司に報告せねばならぬ。


  大牢の向かいに位置する町奉行の詰め所で、東町奉行の跡部に白状記を提出し報告した。

 東西奉行とは場所の東西ではなく、月番で交代する便宜上の呼び名だ。

 今月は西町だが、この大事件には東西両奉行が責任者として采配する。


「大塩の身内は吐いたか」


 白状記を斜め読みしながら、跡部が訊いてきた。


「いえ」と西田が答える。


「手ぬるいのではないか? もっと締め付けろ」


 無論西田も連日不本意な拷問に掛けて、ゆうやみねを取り調べた。

 だがふたりは平八郎と格之助から突然離縁を言い渡されて、事件の間はずっと京都の親戚の家にいた。 

 叛乱の詳細など何も知らされてはいなかった。


「おそらくは、大塩たちの居処も此度の件も知らぬものかと」

「どうしてわかる?」


 この奉行は本当に馬鹿なのか?

 大塩様は家族に累が及ばぬように、仔細は告げずに離縁したに決まっている。

 自分でもそうする。

 だが、この男は家族や人の間に通じる機微など持ち合わせてはいないだろうな。

 西田は諦めて、話を変えた。


「感心しません。幼子にまで手をかけるなど、武士のすることでしょうか」

「ほう。与力の分際で奉行に対して意見する気か」

「滅相も」

「国家に対する反逆は一族郎党にいたるまで極刑。やつらもそれは承知の上のはず。手を緩めるな」


 西田は黙り込む。

 ならば、あんたが彼らを拷問に掛けろ。

 その恨めしい目を見据えてみろ。

 この〇△××野郎が。


「大塩が与力のときも、咎人には同じ事をしたのであろうが?」


 ああ、もうこんなのと関わっては自分が毒される。


「大塩様とあなたでは、全く違います!」


 そう言い捨てて、西田は形だけの会釈をして憤然と退出した。


「そりゃそうだ。官軍と賊軍なのだからな」


 跡部はニヤニヤ笑いながらひとりごちた。


 やるせない気持ちのまま、西田は牢番を伴って牢を見回った。

 こうなったらあのアホ奉行に叱責されてもいい。

 弓太郎の縄を解いて、滋養のある粥だけでも食べさせよう。

 そう決心し、母親に心配せぬよう申し伝える腹づもりだ。


 だが西田が遭遇したのは、座敷牢の中にうなだれているみねの姿だった。


 首筋には血が流れている。

 牢番が驚いて鍵を開けたが、すでに事切れていた。

 みねは舌を噛んで自決したのだ。

 西田が飛び込んで、みねを改める。

 そのさまを、同室の義母ゆうが悟ったような目で見ていた。


「おい、与力。ほっといたりぃ。武士の嫁の当然の務めや」

「……」

「ま、こんな婆あは辱めを受けることもないやろから、うちはせいぜいきばらせてもらうつもりやけどな」


 夫の癖をなぞるようにニヤリと笑った。

 その言葉どおり平八郎の妾・ゆうは、一年間口を割らずに翌年獄死する。

 

 格之助の長男である弓太郎のお仕置きは、大坂永牢、すなわち無期懲役と決まった。




 つづく




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