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大坂騒擾異聞・鼠たちのカクメイ(The Revolution of Rats.)  作者: 真夜航洋


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第25話 「星の下」


 大塩の乱からひと月ほど経った夜。

 田沼意義は大坂天満の洗心洞跡に向かった。

 提灯を照らし、かつて屋敷の土間であった瓦礫の中を覗き込む。

 奉行らによって爆薬や武器の類は持ち去られていて、残っている物は焦げた家具調度品くらいだ。

 意義は小刀を使って土間の最奥にある床板を引き剥がした。

 床下にはアルコール漬けの魚やらトカゲやらが入ったガラス瓶が数本、焼けもせずに安置されていた。


(残っていてくれたか)


 ガラス瓶を引き揚げて背負子に括り付けていると、背後でカチリという音がした。

 背負子を床に隠してから慎重に振り返ると、暗闇の中で拳銃を構える人影が立っていた。


「引き金を戻せ。カイ」

「おっさん、か?」


 意義は返事の代わりに提灯を自分の顔に照らした。

 カイも銃を下ろす。


「俺もおまえも先生たちとはぐれてしまったな。あれからどうしていた?」


 尋ねると、カイは眉をしかめた。


「他の仲間に聞いたら、ひと月逃げてろって指示があったらしくて、オイラもねぐらを転々としてた。先生は格さんとふたりでどっかに潜ってるらしい」


 自分が連れて行ってもらえなかったのが不服らしく、苦々し気に言った。


「そうか。たぶん、あそこだな」

「知ってんのか?」

「うむ。しかし、もうひと月経つのだな」


 ふたりは壁も屋根も焼け落ちた屋敷跡に座った。

 意義がまじまじとカイを見て言った。


「おまえ、いい経験をしたようだな。目が生き生きしている」


 自覚があるらしくカイは照れながら言った。


「俺もカクメイしたのさ」

「革命?」

「俺はもう前の俺じゃねえ。大筒の音が腹ん中にずしんと残っているんだ」


 決起の事を言ってるのかと思ったが違うようだ。

 「いのちをかえる」革命のことだと意義は理解した。


「あの音が残っているうちは何が起きても負けねえ、って気がするんだ」


 少年の声は清々しかった。


「ふ。羨ましい限りだな。こっちはあの一件で、自分の情けなさを思い知っただけだ」

「あん? さっきの仲間が言ってたぜ。蜂起は失敗したが、渡辺良左衛門っていう恐ろしい剣豪が役人どもを撫で斬りにして幕府側を震え上がらせてた、って。あんた、ここじゃワタナベなんだろ?」

「撫で斬り、か」


 意義は太刀を抜いて、刀の表面を提灯に照らした。


「見ろ。どこに血脂が付いている? 俺はな、ここぞという大舞台でも人を斬ることなどできなかったのだ。その者が見たのは峰打ちに逃げた俺だ。刀だけじゃない。中筒で敵の砲術隊長を狙ったときも……」


 思い出す。

 相手はこっちの虎の子・木筒の射手を狙っていた。

 ここだけは死守しなければならなかった。

 意義は砲術隊長の眉間を捉えたはずだった。

 だが、引き金を引くときに一瞬のためらいがあった。

 結果、外した。


「あんた、真面目過ぎんだよ。オイラは斬られるくらいなら、やっぱ斬るけどな。なあ、おっさんはなんで洗心洞に入ったんだ。もう、なくなっちまったけどよ」


 カイは、講堂だったであろう焼け跡を見渡しながら訊いた。 


「俺は若い頃、家名に泥を塗る悪さをしたんだ。盗みを働いて、あまっさえその金を賄賂に使った。その時は正義だと思ったんだ。俺の祖父にあたる田沼意次は賄賂を黙認していた。そのおかげで幕府の財政を立て直すことができた。だが権力者が代替わりすると、あれは悪だったと掌を返された。すると今度は景気が悪化して財政がひっ迫した。また贈収賄が横行した。俺はその時流に乗って賄賂を贈った。失脚した田沼家を再興したいと思ったからだ。そのおかげでわが父は側用人という重職に就くことができた。だが、あのひとはそれを辞退すると言い出した。正義のない出世などする気はないと。納得いかなかった。すると父上は切腹をしようとした。涙を流してな」


「……」


「俺は自ら、父上に勘当してくれと願い出た。己を罰してほしかった。番所に自訴した。そして、こんなものを入れられた」


 意義は左の片袖をまくって見せた。咎人が彫られる青線の刺青だ。


「ああ。だからあんた、いつもひとりで湯屋に行ってたのか」

「所払い、と言ってな。咎人はしばらく江戸から追放されるんだ。俺は頭の中が整理できないまま、ここ大坂に流れ着いた。そして大塩先生と出会った。先生に訊いた。正義とは何なのか、と。先生は仰った。『正義とはただの言い訳や』とな」


 言い訳。オイラもこのおっさんに言ったことがあるな、とカイは思い出す。


「それからこう仰った……与力をしていると諍い合っている双方の言い分を聞く。どちらも自分が正しいと思っている。この現世(うつしよ)はそのぶつかり合いで、しまいにゃ力で解決しようとする。だから国家権力という力で双方を止めるしかない。ところが国家権力さえも悪に走ることがある。正義面していたものがころっと悪に鞍替えや……」


 ちょうど、平八郎が弓削の違法無尽を捜索していた頃だった。


「わしは、力の暴走を知ってしまった。知った以上目を背けることはできんのや。お主もわしの仕事を手伝え。さすれば『正義』の端っこぐらいは見えてくるかもしれん。『悪』だの『正義』だの言葉だけを転がしても何も見えては来ん。知れ。そして行動せい……そう仰ってな。俺の中でようやく霧のようなものが晴れた気がしたんだ」


 意義は、その後洗心洞で学び平八郎の右腕となって様々な捜索の手伝いをしたのだと続けた。

 カイは思う。

 このおっさんは大塩先生に導かれ、オイラはおっさんに導かれた。

 あのまま人斬りを続けていたら、オイラは人じゃなく狂い犬のまま野たれ死んだんだろうな。


「だが、俺はまだ何も成し遂げてはいない。不甲斐ないよ」

「あ~あ。やっぱおっさん、真面目過ぎるわ」


 意義は苦笑しながら夜空を見上げた。

 無数の星が輝いていた。




つづく





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