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大坂騒擾異聞・鼠たちのカクメイ(The Revolution of Rats.)  作者: 真夜航洋


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第24話 「史実」


 踏み潰されて喚く者もいる。

 運よく門外に出ても、後方からの追手の声にパ二くって濠に飛び込む者もいる。

 通りには数百名の捕り方が待機しており、網をかけるようにひとりの叛乱者を数人で囲い込んでいった。

 カルバリン砲は結局一発も発射されないまま、集団は四散し完全に解体されていった。


「ほら。張り子でも、虎に見えたら役に立ちまっしゃろ?」


 坂本が本多に得意顔を見せる。

 本多は二百年前のこの大砲が発射しないのを知っていたので、持ち出すことに反対していた。

 だが坂本は、大塩側のフランキ砲もハッタリなのだからこっちもかますだけかまそう、と進言したのだ。

 効果は絶大、もはや完全な勝ち戦。

 坂本は逃げていく一党の中に、自分と中筒で撃ち合った者を探した。


(ああ。あっこにおる男前や)


 意義は囲い込む捕り方たちに刀で応戦していた。

 中筒はもう役には立たないので捨てた。

 刺股を小刀で受け、突棒を太刀で払って役人たちに斬りかかる。

 十数名はやり過ごした。

 だが敵は多勢。

 きりがなくなり息も上がり、退路を確保することしかできなくなってきた。


(先生は? 格さんはどこだ?)


 平八郎と格之助が他の塾生たちに守られながら退却して行くのが垣間見えた。

 大将が無事ならここはもう退くべきだろう。

 意義は大小を鞘に納め、脱兎のごとく駆け出した。


 カイは途中まで平八郎に張り付いていたが、格之助と合流したあと袋叩きに遭っている農民を救おうとしてその場を離れた。


(くそったれ。ここでも侍どもは弱いモンいじめかよ。こいつらは丸腰だぞ)


 ペッパーボックスを抜いた。

 だが、興奮し過ぎていて照準も何もない。

 ただ乱射して、農民たちを逃がすくらいしかできなかった。


 記録によるとこの叛乱は、結果的にはわずか八時間で鎮圧されたことになる。

 大坂城代の土井利位は、乱鎮圧の功を讃えられ京都所司代を経て老中に就任する。 




 夜になって大坂は、昼間の襲撃の残り火が各所で燃え広がった。

 世間はこれを〝大塩焼け″と呼んだ。

 だがそこには勧善懲悪を目指す平八郎への敬意が込められており「大塩様、どうぞご無事で」と、各所で町人たちが火を見て拝んでいたという。


 SNSがなくても「噂」の伝播は高速である。

 翌日には江戸はおろか、九州や北陸にまで情報が届いていたことを証明する史料も残っている。

 幕府は各藩に「大塩狩指令」を発令し、即座に人相書を全国へ配布した。

 その際大塩一党は「放火騒ぎを起こした不届き者たち」と断じられ、その経緯や意図などは一切封じ込まれた。

 だがそうしたごまかしは侍の世界では功を奏しても、庶民の口に戸は立てられなかった。

 幕府が湯屋や髪結所などに、大塩の噂話を禁じる札を張る。

 だが民衆はその張札の上に、大塩を「世直し大明神」とする風刺画を印刷して貼っていった。




 天満橋の上を町方たちが夜回りしていく。

 淀川には小船が浮いていて、叛乱の残党数名が乗っている。

 その中には、頭を丸め坊主に変装した平八郎と格之助もいる。

 カイと意義は、この一団からはぐれてしまっていた。

 平八郎が、意気消沈した残党を見回して言う。


「顔を上げよ、皆の者。まだ何も終わっておらん。わしは無思慮に事を起こしたわけやないで。まずはわしらの存在を知らしめること。その意味で初手はまずまずやった」


 残党たちの顔が明らんだ。


「すでにわしは江戸の幕閣宛てに建議書を送ってある。これだけの騒ぎを起こした張本人の書状、目を通さんわけにはいかんはずや」


 なるほど、と頷く者が出てくる。


「わしと格之助はこれから某所に潜伏し、その成り行きを陰ながら見届けるつもりや。お主らはまず、ひと月逃げ回れ。ひと月もあれば何がしかの反応があるはずや。そしてもし公儀が正されぬようなら」


 ごくり、という微かな音が川面に落ちる。


「全員、腹を切って果てよう」


 残党たちが大きく頷いた。

 そう、最期は華々しく散ればよいのだ。

 武士道は死ぬことと見つけたり、だ。




 江戸城西の丸にある老中部屋では、水野忠邦と矢部定謙が額を突き合わせていた。

 ふたりの間にあるのは、「国家之儀ニ付申上候」と表書きされた建議書だった。

 田沼意義に渡したものとは別に、決起の前日平八郎が飛脚を使って送ったものだ。

 だがこの建議書も塾内の造反者によって飛脚から取り上げられ、いま忠邦のもとにあるのだった。


 矢部が大塩の建議書を読み終えたようだ。

 矢部は、平八郎が与力だった頃の直接の上司である。

 だがこの書状の中では、その上司さえも違法無尽の容疑者として告発してあった。


「これは建議ではなく、告発状ですな」


 平八郎の元上司はそう言って、書状と苦い顔を忠邦に返した。


「かようなものが、万一にも公方様の目に留まれば」

「厄介至極。改革の芽を摘み取りかねんでしょうな」


 忠邦は書状を封書に戻し、廊下に控えている家臣に差し出した。


「これをどこぞに捨てて参れ」


 家臣が書状を取りかけたところで、忠邦はこう言い直した。


「いや。捨てたことが大塩たちに伝わるように、捨てて参れ」


 後日箱根の関所付近で、この建議書が捨てられているのが発見された。

 現代では「飛脚が金目のものと勘違いして開封したものの、ただの文書だったため道中に放り捨てた」というのが歴史上の定説になっている。

 では、当時の飛脚は常に郵便物を改めていたのか? 

 内容も読めないのに捨てるのか? 

 極めて不自然な定説だ。

 私論だがこれ見よがしに道端に捨てられていたことを考えると、これは忠邦ら幕閣から潜伏中の平八郎たちに向けたメッセージと見た方がいいだろう。

 即ち、聞く耳など持たぬ、という。


 またも余談だが、そもそもこの「大坂騒擾」とも「大塩の乱」とも呼ばれるこの事件そのものが、明治時代から終戦まで歴史の教科書から削除されたという事実がある。

 どの時代の体制にとっても、内部の叛乱という不都合な真実は隠蔽や改ざんの対象だったのだろう。

 民主主義を標榜する現代にあっても私たちは、官僚たちが作成する公式文書が真っ黒に塗られたり、平気で改ざんされていくのを見てきた。

 

 公式な「歴史」というものは、「時代」の真実とはかけ離れたものなのだ、と諦めざるを得ない。




 つづく


  



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