第23話 「鼠たちの敗走」
「そうや、そうや」
「大塩様の言う通りや」
「あほんだら。ボケ、カス」
などとあちこちから品のない歓声が上がる。
土井のもとには一仕事を終えた坂本絃之助が駆けつけていたが、思わぬディベート合戦の場に立ち会う羽目となった。
(ほらな。やっぱり大塩センセは、教壇で一席ブチ上げたいだけやねん)
坂本は苦笑いを浮かべる。
「謀反などではない。わしらの目的は、この旗印じゃ」
平八郎は地面に倒れている「救民」の旗を取り上げ振り回した。
また「そうや、そうや。救民や」「天誅じゃい。ボケ、カス」などの声。
土井は平八郎の方は見ずに、洗心洞の塾生らの背後に固まっている農民や町人たちを睨みながら言った。
「片腹痛し。民を煽動して事を起こしたところで、その民は末代までも罪人として扱われるのだぞ。それの何が救民か!」
土井の言葉に、途中から合流した者たちは急に夢から覚めた表情になった。
え? そうなのか?
わしらは「米をやるから付いてこい」と言われて従っただけ。
それが、それほどの罰を受けることなのか?
今さら自分たちの立場を思い知らされ、波打つように動揺が広がっていく。
「天に背く前に足元を見よ。お主らは罪人なのだ。おとなしく縄を頂戴すればよし。抵抗すれば、殲滅あるのみ」
五十丁から並べられた銃口が、一斉に一党に向けられる。
できるはずがない、官僚が民衆を傷つけることなど今の時代に……。
「やれるもんなら、やってみい!」
平八郎の言葉を遮るように、土井が軍配を下ろした。
「射!」
坂本の号令とともに一斉射撃が始まった。
バリバリッと布でも裂くような音がした。
平八郎の周りにいた塾生や農民たちが、悲鳴を上げながら次々と倒れていく。
(やりよった)
静寂と弾煙が広場を包む。
数刻にも思える時間。
耳には残響、鼻には残臭。
霞のような弾幕が晴れると、平八郎の目の前にはあのペッパーボックスを構えて盾になるカイがいた。
「騙されんな。今のは火薬だけの空撃ちだ!」
少年が叫ぶ。
訓練の時実弾がもったいないからと、何度も弾を込めずに射撃姿勢を習練した。
だから、空撃ち(空砲)の音は布を裂く音と知っている。
第一、血が全く飛び散っていない。
みな、恐怖におののいて身を伏せただけだ。
「あかん、カイ。やめえ」
平八郎が背中に声をかける。
「オイラは先生の用心棒だ。これが仕事だ」
「そやない。向こうの射程距離は五十間以上。短筒では届かん」
「くそ。肝心な時に、役に立たねえのかよ!」
このカクメイの最中、これを使ったのは蔵や金庫の鍵を壊す時だけだったぞ。
「武器を過信すな。ただの道具や。退がれ、カイ」
だがそれでもどこうとしない少年の背中を見て、平八郎は切なくなった。
こんな爺を守ろうとするんやない。
逆や。
わしが、お主ら若者の未来を守りとうて事を起こしたんや。
「遅く、なり申した」
土井の背後からあの跡部良弼の声がした。
さらにそのうしろには、カルバリン砲を曳く本多と堀らの姿も。
「奉行の面々か。遅きに失す!」
今や侍大将のような風格の土井の叱咤が飛んで、跡部と堀は震えあがった。
「そのう。身どもは市中の大火を見て、そのう……」
「後で聞く。砲を前に出せ!」
これ以上の失点は御免だ。
本多が奉行二人をどかして、架車を最前線に押し出す。
「大筒や。しかも木ぃとちゃうぞ。鋼や。伴天連の大砲いうやつや」
「あかん。敵うわけがないで」
方々から弱音が洩れる。
土井は一同の顔がこわばるのを確認してから本多に命じた。
「座興はここまでじゃ。逆賊どものど真ん中に撃ち込め!」
大砲が不気味な軋み音を上げながら、砲身を群衆に向けた。
「本多殿。名誉挽回でっせ」
坂本がにやにやしながら、本多にささやきかける。
カルバリン砲は前装式である。
14キロもの鉄の砲弾が、これ見よがしに装填されていく。
「さあ。二百年前、大権現・家康公に天下を取らしめたカルバリン砲や。お主らもこの砲弾を浴びて、あの世で真田幸村に会うてこいや」
坂本が講釈師のように叛乱一党を見据えて脅迫する。
「ただ、こいつが破裂したらここにおる全員が木っ端微塵で、真田丸も誰が誰やらわからへんやろけどな」
鉄の弾が砲身を滑り砲の底に落ち着く。
ゴーンという音が、固唾を飲む静寂の中に除夜の鐘のごとく響き渡った。
それが合図だった。
「逃げろ!」
さっきの空砲で十分過ぎる恐怖を味わった農民や町人たちが、蜂の子を散らすように走り始めた。
「総員! 退け!」
塾生たちも細筒を構えたまま背走する。
平八郎もまた、カイの後ろ襟をつかんで走り出す。
百人に及ぶ群衆が、沈む船から逃げ出すネズミのように一の門に殺到した。
つづく




