第19話 「紅蓮の炎」
平八郎は、出てきた奉公人たち相手に諭すように話しかけた。
「だが、お主ら奉公人は言われるがままに動いただけ。善右衛門と心中する義理もなかろう。投降してわしらの殿を固めよ」
この言葉に奉公人たちは、顔を見合わせおろおろするばかりだった。
いつまで待っても動こうとしない彼らに業を煮やした格之助は、構わず大筒隊を最前線に引っ張り出す。
「照準、鴻池屋左の門柱!」
格之助もまた、初めての銃撃戦に興奮している。
そして次は大筒を撃ってみたい、という欲求に駆られている。
1615年の大坂夏の陣を最後に、この国では大きな戦は起きていない。
誰も経験したことのない戦争が同じ大坂で始まろうとしている。
歴史は変わるのか、いや繰り返しているだけなのか。
一瞬そんな場違いな想念にとらわれた平八郎だったが、すぐにわれに帰った。
「危ないから退いとけ!」
平八郎の警告に、弾かれたように奉公人たちがその場を逃げ離れていく。
「射!」
号砲が鳴る。
こもったような破裂音とともに百目玉が飛び出し、門を木っ端微塵に破壊していった。
またも歓声が沸き起こる。
いや、さっきの倍ほども歓声は膨れ上がっていた。
「第二発、射!」
二発めは建物の壁をぶち抜いた。
泰平の世の今誰も聞いたことのない、雷のような轟音が市中に鳴り響く。
煙が風に吹き払われると、中庭に備え付けられた蔵が現れた。
「蔵や。あそこに米を貯め込んだるぞ」
平八郎の声にカイが飛び出し、崩れた壁を乗り越えて蔵の前に立った。
そして帯に差した短筒を抜いて、蔵の錠を弾き飛ばした。
扉を開けて中を確認してから、遠巻きに見る一党に向けて叫ぶ。
「みんな来い。ごっそり隠してあるぞ」
カイの手招きに呼応して、ついてきた農民たちがわれ先にと蔵に詰めかける。
そして各々が米俵や金品を手際よく運び出していった。
「ほしいだけ持っていけ。これは盗みやない、取り返しとるだけやさかいな」
平八郎は自分が企図したことながら、彼らの浅ましさにかすかな嫌悪感を抱く。
だが残念ながら農民や町人は施行札や大義では動かない。
目の前に餌を撒く必要がある。
致し方あるまい。
大方が運び出されたあと、火矢が店中に放たれた。
「天誅!」
また声が上がった。
そうだ、これは天の仕業だ。
俺たちは天に代わって悪を成敗しているに過ぎない。
燃え上がる火の手、這い回る黒煙。
とうとう屋敷の中から、善右衛門と番頭たちが飛び出して来た。
「天誅! 天誅!」
燻されて逃げ出した虫を見つけたときのように、一党が善右衛門たちを取り囲んだ。
手には鎌や鍬、包丁を握りしめる者もいる。
「ひいい、お許しを」
額を地につけて助命を請う善右衛門に凶行が及ぼうとした時、先ほどの短筒が警告を鳴らした。
「おい。殺すな。俺たちの的はそいつじゃねえ!」
カイの一喝に、有象無象の衆の動きが止まった。
「皆の者!手出しはならん!」
平八郎も割って入り、善右衛門の前に立ちはだかった。
「町人に手をかけては『救民』の名がすたる。わしらはやくざ者やないんやで」
一応静まりはしたものの、おあずけを食らった野良犬のような目をしている。
カイのおかげで避けられた。
だがこの空気はやはり危うい、と平八郎は危惧した。
東町奉行所の物見台には遠眼鏡を覗く町方の姿があり、馬に跨った跡部が落ち着かない様子で見上げている。
「物見の者。委細報告を!」
「叛乱一党、ただいま北船場に入りました」
町方がお奉行様に漠とした一報を入れる。
「一党、ではわからん。人数は?」
「す、数十名かと」
「数十名とは何だ!二・三十名なのか五十名以上なのか?」
「それが……野次馬と一党の区別がつきかねます」
「ええい。武器は?」
「は。細筒の者が十名ほど。あとは……」
そのとき、大筒の号砲が鳴った。
その音に馬が怯え、跡部が振り落とされた。
「御奉行様!」
落馬は武士の最大の恥である。
同心たちは笑いをこらえながら、地面に叩きつけられた跡部を助け起こした。
この一件は民衆の間でも噂となり「馬と大塩に振り回されたお奉行様」と後世まで語り継がれることになる。
北船場にある鴻池屋本店。建物の壁を農民たちが木槌や鍬などで壊し始めていた。
火矢も次々とあびせかけられ、界隈随一の大店が炎上していく。
大坂の空が紅蓮に染まっていくのを、意義は眉をしかめて睨んだ。
(憎悪の色とは、このようなものか)
憎悪が正義を産めるものなのか?
胸がざわつく。
「天誅! 天誅!」
カイの方は、題目のような歓声にわが身を震わせている。
(すっげえ。これが、これがカクメイか)
平八郎は、手短に今後の行動を格之助らと打ち合わせた。
「皆の者。これより二手に分かれる。格之助は木筒隊を率いて今橋の北風家。本隊はわしとともに高麗橋の三井や」
北風家は例の廻し米を主導した豪商である。
その大坂分店が今橋で商っていた。言わずと知れた三井は鴻池屋と並ぶ財閥だ。
「次は、江戸に米を廻した太鼓持ち商人に天誅や!」
格之助は自分の隊にハッパをかけた。
「おお!」
鬨の声が上がった。
一党が行動を起こして三時間あまり経った午後には、近郷の農民と大坂町民が一党に加わり総勢三百人ほどの勢力となっていた。
中には祭りさながら太鼓や笛を鳴らして練り歩く者もいた。
その様は、あたかも米蔵に押し寄せるネズミたちの大群のようであったという。
つづく




