第15話 「内通」
「もはや一刻を争う。わしらの決起が遅れたらそれだけ餓死者を増やすことになる」
平八郎に心酔する塾生たちは、この檄に目を輝かせた。
そしてその内容は版木によって大量に印刷され、大坂近郊の農村などに施行札とともに配られた。
施行札とは、現代で言うクーポン券である。
この札を持って来れば平八郎が一朱銀と交換する。
いわば決起への参加料ということか。
しかし、農民からはこんな不満も上がった。
「お侍様。ありがたい施しなんやが、今欲しいんは金や紙切れちゃいまんね。今日の腹を満たす米や。米がほしいんですわ」
金があっても米が手に入らない現実は、塾生たちも百も承知だ。
「確かに札や金ではすぐには米は買えんかもしれん。よいか。いずれ大坂天満で火の手が上がる。それが決起の合図だ。家族のために米を取りに参れ。それまではヒエや粟で凌いでくれ」
施行札を受け取れば、厄介事に巻き込まれるかもしれない。
それを嫌って無視する者も少なくなかった。
さりとてお上が何かをしてくれるわけではない。
この時点では、農民たちの心は大きく揺れていた。
決行は、新任の西町奉行・堀利堅が東町奉行の跡部に挨拶に来る二月十九日(西暦三月二十五日)夕方と決まった。
大塩邸の作業場では、塾生たちが火薬を丸い器に流し込んでいる。
炮烙玉と呼ばれる爆弾である。
また樽にも火薬が詰められ車に積み込まれていく。
跡部と堀が浅岡の屋敷に立ち寄った際、大塩一党は大筒を使って家屋に焙烙を撃ち込み火薬樽で跡部らを爆死させる計画だった。
だがその前々夜、洗心洞の寄宿舎から三人が脱走した。
そのうちひとりは実家に、ふたりは跡部の屋敷へと向かった。
ふたりとは、いつぞやの講義中平八郎に罵倒された吉見と河合だった。
寄宿舎をこっそり抜け出したふたりは夜の道を一目散に駆けた後、曲がり角で一息ついた。
吉見が懐から檄文を出して、河合に言う。
「俺は、これを動かぬ証拠として奉行所に届ける。お主はどうする?」
「拙者も参ります」
家格が吉見家より下位にある河合家の息子は、簡単に同調した。
「奉行所の者が叛乱を起こすなど、後にも先にも聞いたことがないわ。大塩平八郎、乱心の極み」
「われらは、不埒者を懲らしめようとしているわけですね?」
「そうだ。大義はわれらの方にこそあるのだ」
ふたりは町奉行の門前で門番に取次ぎを願い出、奉行部屋に通された。
跡部が提出された檄文を読み終えて、内通者に問い質す。
「これを実行に移す、というのか?」
「は。明後日の夕刻、堀様のご着任挨拶の折、浅岡様のお屋敷を数十名で襲撃し、焙烙にておふたりを……」
「暗殺すると申すか」
計画を知った跡部の顔はみるみる蒼褪めていった。
河合が聞く。
「跡部様。我々は今後どのように?」
それには答えず、跡部は控えている同心に焦燥感をあらわに命じた。
「予定は全て取り止めよ。そ、それと堀を明日ここに呼べ。なにか対策を立てねば」
自分たちの存在を忘れられている、と感じた吉見がしびれを切らす。
「あのう、お奉行。跡部様」
「何だ。まだ何かあるのか?」
「……いえその、昇進のお約束ですが……」
跡部は鴻池屋から「大塩侮るべからず」と聞いて以来この吉見に洗心洞の内偵をさせ、もうひとりの河合の父・郷左衛門には田沼意義の尾行をさせていた。
結局郷左衛門は行方不明のままだが、その報酬がそれぞれの家格を上げての昇進だったのだ。
「追って沙汰する!」
翌日、跡部は堀利堅を呼び出し額をつき合わせる。
堀も跡部同様、檄文に目を通して驚愕した。
まさか、今のこの泰平の世に謀反の狼煙を上げようなどという者がいるのか?
しかも聞けば首謀者はわれらの仲間、幕府方の役人だった人物ではないか。
「青天の霹靂とはこのことですな。それがしは大塩なる者と一面識もござらぬ。跡部殿は浅からぬ因縁ありと聞いておりますが、さて一体その者は何故このような謀を……」
「貴公は、それがしに落ち度があったと勘繰っておられるのか?」
後ろ暗い跡部は、言われてもいない非難に勝手に逆ギレした。
「いえ、そのような……」
「やつの動機なぞ、どうでもよろしい。それより、やつらが何をどう動くつもりか探らねばなりませぬぞ」
「確かに。もし暗殺以上のことを図っておるのなら……」
「あ、暗殺以上?」
「さよう。例えば、幕府転覆とか」
跡部は首をすくめた。
俺は老中・水野忠邦の弟だぞ。
その俺様の管轄でそのような重大事が発生すれば、俺はもとより跡部家ならびに水野家自体がお取り潰しに……冷汗が首を伝った。
「無論万にひとつの話ですが、国家の一大事になりうるとして大坂城代の土井殿のお耳に入れてみてはいかがでしょう? あの方は豪傑との評判ゆえ、手立てをお持ちでしょう」
そうだった。
役人たるもの責任は分散せねば。
跡部の官僚脳がようやく回り始めた。
「うむ。貴公を呼び出したのは、まさにそのことなのです。御城代のご助力を仰ごうとは考えておったのだが、いかんせん私は土井殿をよく存じ上げぬ。御城代には貴殿から宜しく頼んでもらえまいか?」
つづく




