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悪女、二周目はサッカー少年の夢に人生を捧げる  作者: 鳴嶋ゆん
第5章

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第59話 初めての旅支度

 一月五日、月曜日。

 世間では仕事始めの日だったけれど、亜紀さんは今日までお正月休みだった。


 朝、翔吾くんのお母さんが車で迎えに来てくれる。

 当然、翔吾くんも後部座席に乗っている。


「おはようございます」

「おはよう。今日はよろしくね」


 区役所までは歩いて行けない距離ではない。

 でも、小学生が必要書類を持って往復するには少し遠い。

 そして寒い。

 車を出してもらえるのは本当にありがたかった。


 仕事始めとあって、窓口は当然のように混んでいた。

 それなりに待たされてから、ようやく順番が回ってくる。

 窓口で戸籍謄本を受け取ることができた。


 旅行代理店の担当者から聞いていたとおり、パスポート申請には必要な書類だった。


「これで必要な書類は全部そろったかな」


 書類を何度も確認する亜紀さん。


「たぶん大丈夫」


 そう答えながらも、わたしも少しだけ緊張していた。


    ◇


 一度、翔吾くんの家へ戻る。

 車を置いて、四人で駅へ向かった。


 わたし。

 翔吾くん。

 亜紀さん。

 そして翔吾くんのお母さん。


「申請するのは三人なのに、お母さんまで来てもらってごめんなさい」

「いいのよ」


 翔吾くんのお母さんは笑った。


「もし同意書に書き間違いがあったら困るでしょ?」


 未成年のパスポート申請には保護者の同意が必要だ。

 翔吾くんの同意書はお母さん。

 わたしの保護者欄には亜紀さんが署名してくれている。

 念には念を。

 それが海外旅行では大切らしい。


 名鉄に乗って金山橋駅へ。

 ここから地下鉄へ乗り換える。


「ちょっと面倒だね。」


 翔吾くんがぼやく。


 金山駅はまだ総合駅になってなく、名鉄・地下鉄・国鉄の駅が離れている。

 乗り換えに重要な駅なのに不便だった。

 計画はきっともうあるんだろう。

 でも、それはまだ少し先の未来の話だった。


 地下鉄で市役所駅へ。

 そういえばこの駅も後には「名古屋城駅」に改称されるんだった。


「市役所で降りるの?」

「うん」


 目的地は駅名のとおりの市役所ではない。

 愛知県庁だ。

 この時代、パスポートの申請は県庁で受け付けていると旅行代理店の担当者から教えてもらっていた。


 県庁の建物に入る。

 そういえば前世含めてここに入るのは初めてかもしれない。

 こういうことがなければ県庁ってあまり来る用がないからね。


 窓口へ書類を提出。

 係の人が一枚一枚確認していく。


 少し長く感じる沈黙。

 やがて顔を上げた職員さんが微笑んだ。


「はい、大丈夫です。受け付けました。」


 思わず胸をなで下ろす。

 これで第一関門突破だ。


「受け取りは今月の終わり頃になります。」

「ありがとうございます。」


 県庁を出るころには、お昼近くになっていた。


    ◇


「せっかくだから、お昼食べて帰ろうか。」


 翔吾くんのお母さんの提案で矢場町へ向かう。

 松坂屋へ。

 名古屋の人にとって一番格式の高い百貨店と言われている。

 本当のお金持ちは外商の担当者が家まで来てくれるから、デパートには来ないらしいけど。


「何食べる?」

「ハンバーグ!」


 翔吾くんが即答する。


「やっぱり」


 思わず笑ってしまう。


 みんなで昼食を楽しみ、お腹を満たしたあと、デパートを見て回る。


「海外旅行なら、それなりのカバンがあったほうがいいですね」


 旅行用品売り場で店員さんが説明してくれる。

 勧められたカバンだが、お母さんはちょっとお気に召さないようだ。


 どうせなら、他のデパートも見て回ろうということになり、徒歩で栄へ。

 冬の澄んだ空気が気持ちいい。


 丸栄。

 そしてオリエンタル中村。

 後の三越だ。

 店名変更だったのか経営が変わったのかまでは知らないけど。

 ここの名前が変わったせいで名鉄を含めて4Mと呼ばれるようになったものだ。

 

 次々とデパートを見て回る。

 翔吾くんは焦げ茶のカバンが気に入ったようで、それを購入することに。


 一方、わたしは何も買わなかった。


「紗里ちゃんはいいの?」


 翔吾くんのお母さんが尋ねる。


「うん」


 わたしは頷く。


「家に、お父さんとお母さんが使っていた旅行カバンがあるの」


 生前、大切に使っていたカバン。

 押し入れの奥にしまわれたままになっている。


「それを使わせてもらおうと思って」


 新品ではない。

 でも。

 お父さんやお母さんと一緒にイタリアへ行くような気持ちになれる。

 きっと、そのほうがいい。


 亜紀さんも静かに頷いた。


「お父さんもお母さんも、喜ぶと思うよ」


 その言葉に、わたしも小さく笑った。

 旅の準備は、少しずつ形になっていく。


 パスポート。

 旅行カバン。


 必要なものが一つずつそろうたびに、イタリアという遠い国が少しだけ近づいてくる。

 夢だったはずの場所が、少しずつ現実へと変わり始めていた。

ここまで読んでいただいてありがとうございます!


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