第58話 大吉の約束
新しい年を迎えた。
とはいえ、このお正月は例年とは少し違う。
喪中ということもあって、元日に届く年賀状はほんのわずかだった。
去年、亜紀さんと二人で慌ただしく喪中はがきを出していたので、届くのは会社やお店からのダイレクトメールのようなものばかり。
「静かなお正月だね」
居間でそんなことを呟く。
旅行代理店から送られてきた書類は年内に届いていた。
けれど、役所は当然お正月休み。
パスポートやビザの手続きも三が日が明けてからになる。
焦っても仕方がない。
今できることは少しだけ休むことだった。
そんな元日の午前中。
電話が鳴った。
「もしもし」
「紗里ちゃん?」
翔吾くんだ。
「今日さ、うちのみんなで初詣に行くんだけど、一緒に行かない?」
「いいの?」
「もちろん」
思わず笑顔になる。
「たださ、車の定員があるから亜紀さんは乗れないんだけど」
「わかった」
電話を切って、そのことを伝えると亜紀さんは笑った。
「私は友だちと出掛ける約束してるから気にしなくていいよ」
「ありがとう」
「ちゃんとお願いしてくるんだよ」
「うん」
◇
翔吾くんのお父さんが運転する車で神社へ向かう。
熱田神宮ほどではないけれど、この辺りでは有名な神社だ。
詳しい由緒までは知らない。
ただ、お正月らしく参道にはたくさんの屋台が並び、甘い綿菓子の匂いや焼きそばの香りが漂っていた。
「結構人が多いね」
「熱田神宮よりは全然少ないけどね」
翔吾くんが笑う。
確かにこれでも地元の人たちで賑わっている。
熱田神宮へ行っていたら、参拝だけで何時間待ちになっていたか分からない。
五人で列に並ぶ。
翔吾くんのお父さん、お母さん。
翔吾くん。
弟の真治くん。
そして、わたし。
順番が来て、神前へ進む。
鈴を鳴らし、お賽銭を入れる。
冷たい冬の空気の中、境内には柏手の音が静かに響いていた。
二礼二拍手一礼だっけ?
翔吾くんのお父さんを薄目で見ながら真似する。
静かに目を閉じた。
(ユヴェントスのテストに合格できますように)
(翔吾くんが世界一の選手になりますように)
(その隣で、ずっと笑っていられますように)
目を開ける。
ふと頭をよぎった。
(あれ……)
喪中でも神社って大丈夫だったっけ?
確か忌明けを過ぎていれば問題なかったような記憶があるけど。
正直、日本のそういった風習に自信がない。
まぁ、たいていの小学生はそんな知識ないはずだから、知らなくても問題ないだろう。
たぶん、大丈夫。
……あとで確認しておこう。
日本の神様はきっと寛大だから、そのくらいで怒ったりはしないと思う。
参拝を終えたあと、おみくじ売り場へ向かった。
「おみくじ引こう!」
真治くんが真っ先に駆け寄る。
みんなで一本ずつ引く。
わたしはゆっくり紙を開いた。
「……大吉」
思わず声が漏れる。
「えっ、ボクも大吉!」
翔吾くんも嬉しそうに紙を掲げていた。
「やった!」
二人で顔を見合わせて笑う。
「幸先いいね」
「うん!」
一方で――。
「えー……」
真治くんが唇を尖らせていた。
「末吉だぁ……」
「いいじゃない。これから運が上がるってことよ。」
お母さんが優しく頭をなでる。
「でも、お兄ちゃんたちは大吉なのに……」
少しだけ拗ねた顔。
その様子がおかしくて、みんなで笑ってしまう。
屋台を眺めながら参道を歩く。
甘酒。
たこ焼き。
りんご飴。
射的。
お正月らしい賑わいが続いていた。
でも、わたしの胸の中は、それ以上に晴れやかだった。
大吉だから安心したわけじゃない。
未来は、おみくじが決めるものじゃない。
自分たちで切り開くものだ。
それでも。
今年最初の日にもらった、小さな後押し。
そのくらいは、素直に信じてみてもいい。
春になれば、イタリアへ旅立つ。
夢へ向かう一年が、静かに幕を開けた。
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