第56話 夢を見る権利
お待たせしました。
活動報告で簡単に報告だけはしましたが、パソコンの故障・修理のため、2週間ほど更新が止まってしまいました。
無事に修理から戻ってきましたので、本日より更新を再開します。
(書き溜めた分が消えてしまわなくて、ほっとしてます)
今週は木・金・土の3日連続更新を予定しています。
それでは、久しぶりの更新です。
引き続きよろしくお願いいたします。
それでは、久しぶりの更新です。
引き続きよろしくお願いいたします。
土曜日の午後。
わたしと亜紀さんは、翔吾くんの家の前に立っていた。
「大丈夫?」
隣で亜紀さんが小声で聞く。
「……たぶん」
そう答えたけれど、実のところまったく大丈夫じゃない。
前世で何百人もの相手と商談をしてきた。
会社の社長。
政治家。
裏社会の人間。
どんな相手を前にしても、ここまで緊張したことはなかった。
なのに。
今日、一番緊張している。
深呼吸を一つ。
覚悟を決めよう。
脳内であらゆるシミュレーションはしてきた。
台本は完璧のはず。
翔吾くんが玄関を開けた。
「来たよ」
その声に奥から返事が聞こえる。
「どうぞー」
居間へ案内される。
翔吾くんのお父さんとお母さんが並んで座っていた。
「こんにちは」
頭を下げる。
「こんにちは」
お母さんが優しく笑う。
お父さんも軽く会釈した。
「今日は改まってどうしたんだい?」
来た。
心臓が速い。
何度も頭の中で練習した。
落ち着いて。
そう思った、その瞬間だった。
「紹介するね」
翔吾くんが立ち上がる。
「ボクのお嫁さんになる紗里ちゃん」
「…………え?」
頭の中が真っ白になった。
違う。
違う違う違う。
今日の予定にそんな台本はない。
必死に考えてきた挨拶。
全部吹き飛んだ。
気がつくと。
ぽろり。
一粒。
涙が落ちた。
止まらない。
次々と涙があふれてくる。
「紗里ちゃん!?」
翔吾くんのお母さんが慌てて声をかける。
「どうしたの?」
心配そうな声。
わたしは慌てて涙を拭いた。
「ご、ごめんなさい」
鼻をすすって笑う。
「人間って……」
もう一度涙を拭く。
「嬉しすぎても涙が出るものなんですね」
一瞬の静寂。
そして。
ふっと部屋の空気が和らいだ。
「そういうことだったの」
翔吾くんのお母さんが安心したように笑う。
「びっくりしたわ」
「すみません」
笑いながら頭を下げる。
さっきまでの緊張が少しだけ消えていた。
ありがとう。
翔吾くん。
たぶん本人は何も考えていなかったんだろうけど。
結果的には助かった。
「今日はお願いがあります」
改めて姿勢を正す。
「少し長くなりますが、お時間をいただけますでしょうか」
二人が静かに頷いた。
わたしは鞄から一通の封筒を取り出す。
「以前、イタリアのサッカークラブへ手紙を送りました」
そこから順番に説明する。
翔吾くんの才能。
日本では学べる環境が少ないこと。
イタリアへ手紙を送ったこと。
そして。
返事が届いたこと。
「こちらです」
手紙を差し出す。
二人はイタリア語の文字を不思議そうに見つめている。
もちろんイタリア語だから読めないだろう。
だから一文ずつ日本語で説明していく。
「来年度九月から十二歳から十五歳を対象としたジュニアユースチームを新設予定です」
「三月末に選抜試験を実施します」
「そして……」
一呼吸置く。
「わたしたち二人を特別に招待してくださいました」
部屋が静まり返る。
海外。
イタリア。
プロクラブ。
どれも現実味がない。
二人とも言葉を失っていた。
全部初耳なのだから当然だ。
「もちろん」
わたしは続ける。
「合格できる保証はありません」
「でも」
深く頭を下げる。
「夢を見る権利は、子どもの特権です」
畳に額が付きそうなくらい頭を下げる。
「どうかお願いします」
静寂。
時計の音だけが聞こえる。
しばらくして。
翔吾くんのお父さんが口を開いた。
「お願いしなくちゃいけないのは」
ゆっくりと。
「こちらのほうだ」
顔を上げる。
お父さんは真っすぐわたしを見ていた。
お父さんはゆっくり息を吐いた。
「どうか翔吾の夢を手伝ってやってくれ」
横で翔吾くんのお母さんも静かにうなづく。
胸の奥が熱くなる。
「ありがとうございます」
自然と声が震えた。
そこでお父さんが少し笑う。
「ただ、現実の話もしよう」
「はい」
「旅費は?」
予想していた質問だった。
「わたしにも考えがあります」
「どういうことかな」
「貯金があります」
亜紀さんが静かに頷く。
「足りない分も何とかします」
「それは駄目だ」
お父さんは首を横に振った。
「旅費は、それぞれの家で負担しよう」
「でも」
「翔吾はうちの息子だ」
その一言で、わたしは何も言えなくなった。
「……分かりました」
「ただし」
わたしも譲れない。
「亜紀さんは、わたしの保護者として同行してくださる方ですから、わたしが負担します」
「理由は?」
「今回は保護者というより、一緒に旅行していただく形になりますから」
お父さんは少し考えたあと、小さく頷いた。
「それなら納得だ」
もう一つ質問が飛ぶ。
「もし合格したら?」
「……まだ分かりません」
正直に答える。
「それも含めて現地で話を聞く必要があります」
また静かになる。
でも。
さっきまでの沈黙とは違う。
夢物語ではなく。
本当に夢へ向かって歩き始めた人たちだけが持つ、静かな時間だった。
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