宿屋にて痴話喧嘩
ちょっと予定を変更して早めに投稿しました。
「レア、聖都の様子は見たけど、これからはどこへ行くの?」
ルシフェナとの邂逅で一触即発の危機を回避した二人は、引き続き聖都レヴァナントの様子を見て回っていた。
といっても二人が想像していた通り、街の雰囲気は物騒なものではなく寧ろ平和なもので、魔王が倒された事を祝ってお祭り状態のようにさえなっていた。
それだけレアという存在が人間に与える影響が大きかったのだろう。しかし当の本人は、魔王が討たれた事を喜んでいる周りに気にする事もなく、オマケで貰ったフランクフルトを頬張って観光気分で練り歩いていた。
「うむ、予想通りというか、戦線から遠ざかっておるし魔王であるわしが討たれた事で平和的な空気じゃな。次は戦線に近い都市を見るとしようかの」
「でももう暗いし、今日はどこかで休んで移動は明日からにしよっか。ほら、口にケチャップがついているよ」
「うむ」
レアの口の端をハンカチで拭い、二人は手を繋いで人通りの中を歩く。
他人から見たら二人の組み合わせは奇妙に映るが、お互いに気心が知れた良いコンビである。
まるで歳の離れた兄妹のように仲良く歩いていた二人は、一軒の宿屋の前で止まった。
「今日はここで休もうか。羽の揺り籠亭。食堂も一緒にあって値段も安いし、聖都で一番の宿屋だよ」
「わしの寝所にしては随分と見すぼらしいのう。ケチ臭い事をせずこの街で一番豪華なのをわしは所望する」
「まあまあそう言わないでさ。いつもの贅沢より、こういったものも悪くないよ」
「うーむ、お主が言うのであれば仕方ないのう」
腕を組み口を『へ』の字にして渋々といった様子だけど、ユーリに勧められて宿屋へと入る。
すぐ目の前には宿をとるための受付台があり、その奥には小さいながらも食堂があって人々の賑わいが聞こえている。だが決して不快な賑やかさではない。
「すみません、宿をとりたいんですけど」
「はい、お連れの方とご一緒のお部屋になさいますか?」
受付の女性が言った言葉に、憮然な様子であったレアの目がキラリと光った。
「えっと、別の部屋に……」
「うむ、良い判断じゃ娘。部屋は一つでよい」
「レア!?」
ユーリが別々の部屋にしようとするのを遮り、レアは一緒の部屋にするように言う。
思い出すのは、レアの城で目が覚めた朝での出来事。
消そうとしても消えてくれないレアの体の感触や匂いの記憶が蘇ってきて、兜で見えないがユーリの顔に朱が差し込む。
ここでも一緒の部屋で寝れば、確実に同じ事が繰り返される。
そうなれば今度こそメイド長のエアルが殺しにやってくるだろうし、もし他の人に見られでもしたら幼い少女に手を出す極悪人として世に知れ渡ってしまうだろう。
社会的にも生命としても危機的な今、ユーリはなんとか状況を回避したかった。
「レア、お願いだから部屋は二つにしよ? また同じ事になったら、今度こそエアルさんに殺されちゃうよ」
「安心せい。初心なお主のために、次からはもっと大人しく誘ってやるからの。一緒に寝るくらいよいではないか」
「良くないよ。レアは女の子なんだから、こういう事はしちゃ駄目だよ」
「お堅い奴じゃのう。お主は禁欲を誓った神官か何かか? まあお主がそこまで言うなら、従ってやるがの」
どうやら引き下がってくれたようで、ユーリは安堵の息をもらす。この一連のやり取りで、鎧の下は嫌な汗でビショビショであった。
「それでは、お部屋は二つという事でよろしいですね。ここにお名前を書いてください」
「あ、えっと……」
受付の女性が出してきた記帳簿。そこに名前を書くわけだが、ユーリの手は止まる。
自分は既に死んだ事になっているし、馬鹿正直に名前を書くと混乱を招きかねない。といっても偽名を考えていたわけでもないし、さてどうしたものかと考えていると、隣にいたレアがヒョイとペンを持ってサラサラと名前を書き入れた。
「えっとお名前は、レア・ジュエール様と、白騎士……様ですか? 随分と変わった名前ですね」
少しも淀みなく、書かれた偽名。レアの生家であるジュエルベルの名は魔人族の中で最も歴史ある名家の一つであり、人間たちにも知られているから本名を明かす事はできない。
それにしてもだ。何かもっとそれらしい偽名をつけるのではなく、白騎士と書くのはいささか捻りがないのではないだろうか。これではもう偽名ですらなく、当然というか受付の女性もユーリを怪しむ。
見えはしないがユーリはこの状況に焦るが、しかしレアはいつも通りの表情をしていた。
「戦争で魔族から呪いを受けての。己の名を明かすか、素顔を見た者を殺してしまう呪いがかけられている故、このような出で立ちで名も明かせぬ。貴様が職務を全うするならば、命を引き換えにするがどうする?」
「い、いえ、このお名前で大丈夫です! これがお部屋の鍵です!」
幼いながらも魂を射抜くほどのレアの眼力に、命の危険とまで言われては引き下がるしかなかった。
女性は怯えた様子で二人に鍵を渡す。
「うむ、賢明な判断じゃな娘よ。休む前に腹を満たさせてもらうぞ」
思惑通りに事が運び、上機嫌なレアは鍵を手に取り奥の食堂へと進む。
席は既に半分以上埋まっており、レアたちは空いていたテーブルへと座った。
「ちょっとレア、さっきの呪いってなんなのさ? 死んじゃうとか凄い物騒なこと言ってるけど」
「その見た目を納得させるためじゃ。それらしい偽名だけでは、納得しない者もいるじゃろう。呪いだと適当に脅かしてやれば追及する者もおるまい。それでもしつこい輩には、わしが死なない程度の呪いでもかけて黙らせてやろう」
ユーリの存在が公になるのは、非常に都合が悪い。そのために咄嗟に思いついた嘘であるが、効果の程は先ほど見た通り良好だ。
もしもの時もレアがそれらしい呪いでもかけて、少し痛い目に合わせてやればいい。
物を立て続けに無くしてしまう呪いや、恋人と別れさせる呪いなど、選り取り見取りである。
その時が来た際にどのような呪いで楽しもうか頭の片隅で考えながら、メニューを選ぶ。
「まずは歩きで疲れた喉を潤すか。ふむ、あまり良いワインがないようじゃが、仕方ないの。お主はどれを選ぶ?」
「レア、ここじゃ子供はお酒を飲んじゃ駄目なんだよ。紅茶かジュースを選ばなきゃ」
いつも通りワインを飲もうとしているレアを、ユーリが止める。
ルエメナ聖教の教えの一つに酒の節制を定めるものがあり、成人していない者は酒の摂取を禁じている。
この成人というのは十六の歳を指し、実際の年齢は違うが見た目ではまだ十にも満たないレアが酒を飲むのはご法度だ。
だがレアは不服そうだ。
「このわしに酒を禁じさせるじゃと? おのれルエメナ聖教め、必ず潰してやらんとな」
魔族との対立を深めているルエメナ聖教とはいずれ決着をつけねばならない対象ではあるが、まさかそれのせいで酒が飲めなくなるとはレアも予想していなかった。
ルエメナ聖教を潰すのは確定事項だが、その際はこの憎しみを込めて丁寧に潰してやろうとレアは内心で誓った。
「たしかにルエメナ聖教とはいつかは対決しないといけないけど、お酒はもう少し大人になってから飲まないと。それで、何を頼むの?」
「……オレンジジュース」
仕方なく、本当に仕方なく別の飲み物を頼むレア。不満で頬を膨らませている姿は、まさに見た目相応の子供らしさであった。
ムスッと少し不貞腐れて、運ばれてきたオレンジジュースをゴポゴポと泡だていた時であった。
「──髑髏の魔王が倒された事を祝って、乾杯!」
別の席で、祝いの言葉と共にグラスのぶつかる音が鳴る。
そこでは髑髏の魔王であるレアが倒された事を祝って、軽い宴会が始まっていた。
よく見ると他の席でも同じような祝いの席が始まっており、その表情は一様に歓喜一色であった。
今までは髑髏の魔王の話題は一種のタブーであり、口にする事すら憚れる恐怖の象徴であった。
それが倒されたとあって人々は恐怖から解放され、中には髑髏の魔王を悪く言う者もいたが、レアの眼中にはないようだ。
レアの事だから暴れるのかと思っていたが、その心配は必要なかったようでユーリは安心した。
「髑髏の魔王が倒されたなら、我々の勝利は近いな。あの異端者だった勇者も、少しは我々の役に立ってくれた」
だが、その話題がユーリに及ぶと、レアの手はピタリと止まった。
「あのユーリとかいう小僧、ガキの頃から知っているが、最初は魔族なんか倒したくないなんてふざけた事を言っていたんだぞ。考えられないよな」
「まったくだよ。俺たち人間の裏切り者め、本当なら異端者として処刑されるのが相応しいが、ルシフェナ様の深い慈悲で助けられたんだよな」
「おまけに勇者にまで選ばれて、こうして一応は祈ってやってるんだから。あいつも本望だろうさ」
それから止まる事のないユーリへの心ない罵倒。
レアの表情は徐々に険しいものへと変わり、手をきつく握り締め、怒りで自制がきかなくなった魔力が漏れ出している。
「あいつら……」
「大丈夫、レア」
ついに抑えきれず席を立とうとしたレアの手を、ユーリが掴んで止める。
「離せユーリ、あいつらには地獄を見せてやらねばならん」
「大丈夫、ああ言われるのは慣れているから。大丈夫、大丈夫だから」
「ユーリ……」
レアの小さな手を、ユーリは強く握る。
その力は強く痛みでつい顔をしかめてしまうが、同時に冷静になれた。
大丈夫などと言っているが、それは言葉だけで決して大丈夫ではないだろう。
手を握る強さから、兜の下が辛そうな表情で歪んでいるのが容易にわかる。
慣れているなどと言って気丈に振舞ってはいるが、だからといって傷つかないわけがない。あのように言葉の悪意を向けられる度に、ユーリの心は傷を負いながら耐えてきたのだろう。
ユーリはレアとは違って、あまりに優しすぎる。
どのような悪意を向けられようがそれを怒りで応える事はせず、憎しみを抱く事もなく、ただ悲しみながら悪意に耐えてきた。
ユーリとの付き合いで想像はしていたが、実際に遭遇してみれば想像を超えるものであった。
よく今までこれだけの悪意に晒されながら、歪まず自分の在り方を固持し続けてきたものだ、人の善性を信じられるものだ。
愚かとも言える程のお人好しを嘲る連中を罰せぬ事が腹立たしく、これが己が認めた相手なのだと誇らしく、悪意の中でも折れぬ彼が愛おしかった。
「ユーリ、ここは其方には良くない。早く離れるぞ」
これ以上ユーリを心ない悪意に晒したくないレアは、テーブルの上に代金だけを置くとユーリの手を引っ張って食堂から出て、そのまま階段を上がって部屋へと入った。
「ごめんねレア、迷惑かけちゃって」
「わしの手を煩わせるなど、お主だけだろうよ。大丈夫だったかユーリ?」
二人だけとなった部屋で、ユーリは落ち着くために兜を脱ぐ。
心配で話しかけてくるレアに笑顔で応えるが、その顔はどこか無理をしているような、痛々しいものであった。
「うん、言われるのは慣れているからね」
「強がるでないユーリ、それは慣れていると自身に言い聞かせているだけじゃ。優しすぎるお主の心では、あのような悪意で容易く傷ついてしまう。まるで沼地に咲く一輪の白百合のようじゃ」
そっと、鎧越しにユーリの胸に手を置く。
強固な鎧で守られたその下は、まるでガラスのように儚く、それでいて美しかった。
こっちが見惚れてしまいそうな微笑みを浮かべて、宝物に触れるように白い指先で鎧の上をなぞるが、次には目をキッと鋭くして、飛び上がってユーリの両頬を掴んで自分の目線へと合わせた。
「しかしな、わしと二人だけの時は強がるな。お主は好きじゃが、強がって無理している姿は嫌いじゃ。わしといる時だけは、その心の重荷を降ろせ。そのためにわしが共にいるのじゃから」
「レア……」
それは、不器用ではあるがレアなりの気遣いであった。
共に歩むと誓った。ならば、その苦楽も共に分かち合う。何よりユーリは、己が認めたただ一人の相手であり、愛している存在。それが苦しんでいる姿を見るのは、とても嫌であった。
それで気持ちが楽になったのか、ユーリは張り詰めていた空気を解き、レアの手の上に手を重ねて笑顔を浮かべた。
「レア、ありがと。少しは楽になったよ」
「ふん、あまりわしの手を煩わせるな。わしと共にいるのならば、あのような路傍の石で躓く事は許さん」
「うん、ありがと」
励まされた事で少し吹っ切れたのか、ユーリの顔に影はなくなっていた。
レアもそれを見て安心したようで、いつもの傲岸な素振りで腕を組み、しかし礼を言われて恥ずかしいのかプイッとユーリから顔を逸らす。
相変わらず素直ではないレアが微笑ましくて、ついユーリは笑みをこぼした。
「うむ、少しは顔つきがマシになったな。いつも通りの、わしの好みの顔じゃ。愛おしいぞユーリ」
その顔こそが、己に勝った唯一の男の顔。幼子のような無垢でありながら強固な意志を秘めている瞳がとても愛おしくて、大事な宝物を触るように指先でユーリの顔を撫でる。
幼い少女のようにあどけなく、それでいて成熟した女性のように色気を漂わせながら笑みを浮かべ、静かに力を込めながらユーリの顔を自分に近付けていく。
二人の顔は髪が触れ合う程にまで接近し、互いの吐息が感じられるほどであり、あと僅かで唇が触れ合おうとしたときであった。
「レア……」
「ん? どうしたユーリ……って、おお?」
とても良い雰囲気が漂う中、ユーリはレアを持ち上げた。
レアはてっきりそのままの雰囲気の流れでユーリと結ばれようとしたのだが、ユーリの行動は予想外であった。
持ち上げられたレアは足をパタパタと揺らしながら不思議そうにしていると、ユーリはそのまま部屋の出口へと運んで、パタンとドアを閉めた。
「……む? お、おいユーリ! どういう事じゃ! あの流れじゃと接吻の一つくらいするじゃろ!」
「そういうのはもっと大人になってからしないと駄目だよレア。それに、もっとそれ以上の事をするつもりだったでしょ?」
「勿論じゃ」
しれっと、それが当然であるかのように答える。
男女が二人で良い雰囲気の中、接吻まで進めばそのまま情事に至るのは当然である。無論、レアもそのつもりでユーリと結ばれるつもりであったのだが、あっさりと目論見は阻止されてしまった。
「良いではないかユーリ! 女がこうして男を求めておるのじゃから、お主もそれに応えるぐらいせぬか!」
「ああもうドアを叩かないでレア! 他の人の迷惑になるから!」
まるで子供の癇癪のように、ユーリがいるドアをドンドンと激しく叩くレア。
その様子だけ見れば欲しいものを買って貰えなくて駄々をこねる子供のようだが、その口から出てくるのはかなり生々しいもので到底良い子には聞かせられない。
かといってドアを開ければ、それこそ社会的な抹殺は逃れられない犯罪的な出来事が起こってしまうので、レアを部屋に入れる事はできない。
しばらく二人の激しい攻防が繰り広げられていたが、先に折れたのはレアのほうであった。
「むむむ、相変わらず貞操のお固いやつめ。よいかユーリ、必ずお主の貞操を奪い取ってみせるからの!」
「大声でそういうこと言わないで!」
しかし、ただで終わらないのがレアである。
ドア越しにビシッと指を差して、周りが聞いてしまったら赤っ恥確定の事を言い放って隣の部屋に戻ってしまった。
幸運な事に誰にも聞かれる事はなかったが、ユーリは顔を真っ赤に染めて悲鳴のような声をあげる。だが、既にその場にレアはおらず、ユーリの悲鳴が虚しく響くだけであった。
次は11日の12時に投稿します。




