ルシフェナ
人通りの少ない、薄暗いジメジメとした路地裏。袋小路に吹く風が砂と埃を運ぶカビ臭い空間に、黒い線が走る。
線の縁の景色が押し潰されながら大きな孔が開けられると、そこから出てきたのは純白の鎧に身を包んだ騎士と、人形のように整った顔立ちの可愛らしい少女。ユーリとレアであった。
「ここが人間側の旗印を務める国、聖都レヴァナントか。ユーリも見覚えはあろう?」
「うん。まあここに住んでいたからね。あの白い塔は忘れないよ」
家屋がが乱雑に建てられ光も届かぬ薄暗い場所だが、それでも空を見上げれば天高くにそびえる白亜の塔が厳かに存在を主張している。
その下にいる全ての者を見守るようにそびえる塔の名は聖塔ロゴドミア。
人間側の勢力を束ね、数々の勇者を選定してきた聖都レヴァナント。それを守護する絶対の守りがこの白亜の聖塔である。
聖塔から発せられる守護の魔法により聖都はいかなる攻撃をも退け、転移による侵入も弾く。
のだが、レアは普通に聖都へ転移してきた。
聖塔の守護は大司教十二人と枢機卿三人からなる大規模詠唱による、聖域にすら位置するクラスの大魔法だが、相手が悪すぎた。
現代では最高と呼ぶに相応しい守りだが、レアからしたら半歩遠回りした程度の障害でしかない。寧ろ煩わしいという理由で聖塔の魔法を強引に解除しないだけまだマシであった。
「ふむ、何やら通りが騒がしいようじゃな。様子を見ていくぞ」
何事もなく人目のない場所へ転移できたが、通りでざざわざわと人の動きが騒がしかった。
その正体を突き止めようとレアとユーリは路地裏から出ると、道行く人々は一斉にある一箇所を目指して行進していた。
「ほらレア、はぐれたら大変だから僕の手を離さないで」
「う、うむ」
はぐれないようにと、ユーリから差し伸べられた手をレアは少し恥じらいながらも掴む。
自分からは積極的にアプローチしてるレアであったが、相手からそれをされるのは慣れておらず少し恥ずかしかった。
全身が鎧の人物と幼い少女という奇妙な組み合わせは、しかしこの人混みの中では大きな注目を浴びる事なく、人々の行列と一緒に進む。
やがて人々の行進は止まり、そこは半月状の巨大な聖堂が建っている広場。
人々は一様に両手を胸の前で握り、目の前の聖堂の高台にある空席の椅子に祈りを捧げている。
目立たぬようにユーリも他の者と同じような行動をするが、背丈の違いによりレアは憮然とした様子で空席の椅子を見ていると、魔力の流れから魔法の発動を感じ取った。
「──迷える子羊には魂の救済を、苦難の旅人には安寧の揺り籠を、過つ者には正しき標榜を。我が手はこの世の全てを救い上げる杯なり」
聖句を紡ぐその声は、聞く者の心を安らぎに誘うようなものであった。
まるで太陽が顕現したかのように眩い光が一瞬輝くと、そこに立っていたのは心を奪うほどに美しい一人の女性。
一切の穢れを許さぬ純白のドレスローブを纏い、己が太陽の代わりだと示すような眩い砂金の如き金の髪。そして何より目を惹くのが、その背に生えた三対六翼の白い翼。
「神聖女皇ルシフェナ・サタナキエル。ルエメナ聖教の頂点に立ち、お前たち人間を導く天翼族の長か。これはまた……」
言葉を区切り、レアは面白いのを見つけたと言わんばかりに口元に嗜虐をたたえる笑みをこぼした。
天翼族とはその名の通りその背に純白の羽を持ち、聖なる力をもつ浄化と癒しの種族であり、有史以来から人間族の側に立ち彼等を導いてきた。
同時にルエメナ聖教という一大宗教の開祖でもあり、先ほど現れたルシフェナという女性がその頂点に位置している。
ルエメナ聖教の教えは人間たちの心の支えであり、今や殆んどの人間がその信徒である。
善行を良しとし悪行を諌めるなど数々の素晴らしい教えがあるが、その中の一つに人間は良い種族でありそれ以外は魔に連なる悪の種族であるというものがある。この有り難い教えによって今日まで人間と魔族の戦争は繰り広げられており、この戦争の原因の一端である。
レアはルシフェナという女の在り方そのものを見て、酷く面白いモノを見たと耳まで届きそうな程に笑みを深める。もしここが衆目が集まる場所でなければ、大声をあげて笑い転げていただろう。
それをなんとか必死に堪えながら、二人はルシフェナの言葉に注視する。
「皆様もご存知でしょうが、昨日の天変地異に恐れを抱いた者が多くいたと思います。ですがどうかご安心を。我等が勇者、ユーリ・アルブレイドが命を賭けた死闘によって悪しき魔族の長、髑髏の魔王がついに討たれたのです」
少しの沈黙。そして次にはこの都の全てを覆い尽くさん程の大歓声が湧き上がった。
数多の勇者を屠ってきた、恐怖と絶望の象徴として永らく君臨していた魔王が倒れた事を知り、人々は涙を流し喜びと感動に震えていた。
ちなみに髑髏の魔王というのは勝手に付けられた呼称であり、レアが自らの体を動かすのが面倒くさいのと、少しカッコいいからという理由で骸骨の人形を用いた事で、その特徴が勇者たちの生き残りによって伝えられて名付けられた。
「しかし、我々にもまた尊い犠牲が出てしまいました。髑髏の魔王との壮絶な戦いの中、勇者ユーリ・アルブレイドも相討ちとなりその命を散らしてしまいました。皆様どうか祈りましょう。かの偉大な勇者の魂に安らぎと救いがもたらされる事を。そしてより一層願いましょう。犠牲になった数多の勇者の死を無駄にせず、魔族を討ち滅ぼしこの地に安寧秩序を築き上げる事を」
聖母のように微笑むルシフェナの言葉に従い、人々は命を賭して巨悪を討ったユーリに祈りを捧げ、沈黙が続く。
「ユーリ、早くここから離れるぞ」
「ちょ、ちょっとレア!?」
その中、レアはユーリの手を引いて、人混みの中から連れ出した。
その顔に表情はなく、手を引く力の強さからも何やら逼迫している様子が感じられた。
ユーリの言葉も無視してレアは歩幅を広くして人混みをかき分けて進み、人がいない道で立ち止まった。
「レア、いきなり走ってどうしたのさ。何かあったの?」
「……っ、…………っ」
ユーリが話しかけても、レアは何も喋らず、俯いて肩を震わしている。
辛そうに腹部を抑え、壁に背を預けて呼吸も辛そうだ。
そして、遂に感情は爆発した。
「クッ、カッカ……クッカッカッカ!! アレが、アレが神聖女皇か! 平和と慈愛を口から吐き出し、清廉と潔白の象徴とされた女か! 愉快……いや痛快じゃ! おかしくておかして、腹が捩れて死ぬところじゃった!」
嗤う。それは面白くて醜いものを見たように嘲笑う。
背中を何度もぶつけ、頭も何度も壁に打ち付けて、なんとか嗤いを治めようとするが、一向に嗤いの波が引くことはなく、半ば酸欠状態に陥る事でようやく嗤いが落ち着いた。
狂ったように嗤い続けた一部始終を見て、さすがのユーリも引いた。
「レ、レア、大丈夫かい? 急に笑いだしてどうしたのさ?」
「クッ、カッカ……ユーリ、お主はあの女を見て何も気づかなかったのか?」
「気づく? ルシフェナさまがどうしたの?」
「今まで数多くの輩を見てきたが、あの女は飛びっきりじゃ。外面や言葉の表面だけ見ればたしかに人を導き救うに相応しい女じゃが、その内面は目を覆うほどに醜く悍ましい。まるで一つの果実に無数の蟲が巣食っておるような有り様じゃ。ユーリ、お主も覚えておいたほうがよい。悪行を以って悪に用いる連中は数多くいるが、世には実は善行を用いて悪を行う輩も少なからずいるのじゃ。しかもそれを悪と認識すらしておらぬとは、筋金入りの愚かしさじゃ。クッカッカ……思い出したらまた嗤いが込み上げてきた」
「──何が、そんなに面白いのでしょうか?」
また腹を抱えて肩を震わすレアであったが、それを遮る声と眩い光が二人の目を覆った。
そこに立っていたのは、先ほどまで信徒に語りかけ、レアが醜いと嘲り嗤っていたルシフェナであった。
おそらくレアが嗤っていた事も知っているのだろうが、その包み込むような母性の笑みは一切の歪みがなかった。
「広場で見た時から異様な魔力を感じ取っていましたが、こうして直に見るとますます異様ですね。一人は規格外の魔力量を内包して、もう一人は……ミスリルの鎧とは大変珍しい品をお持ちですね」
「ルシフェナさま……」
ルエメナ聖教の教えには反対しているし信徒ではないとはいえ、ユーリもルシフェナには一定の敬意を持っている。
まるで雲の上の存在であったルシフェナとここまで近くに接して、そして隣にいるレアと対峙すればどのような事態になってしまうのかが不安で、ユーリは緊張で言葉を詰まらせる。
案の定、レアから感じるのは物騒な雰囲気。
「死体に集る蛆が、わしらに何用じゃ? わしの眼前で汚物を晒したのじゃ、相応のものであろうな?」
「ちょっとレア、ルシフェナさまに……」
侮蔑の言葉と敵意も殺意も隠さずに睨みつけるレアに慌てるユーリであったが、ルシフェナの慈しむような笑顔が変わる事はなかった。
「あらあら、随分と嫌われてしまったものですね。ご両人ともかなりの実力者とお見受けしたので、ご挨拶にまいっただけなのですが」
「いらぬ。おおかた丁度良い操り人形を見かけたから、勇者に仕立てようと勧誘しにきたのじゃろう?」
「いけませんか? 勇者とは人々の希望の象徴、大変に名誉な事ではないですか。たしかに辛い旅の途中で志半ばで倒れ、強大な敵を前に朽ちる事もありますが、それは仕方のないこと。しかし己こそは平和を築き上げると信じて力ある者は勇者を目指し、その得難い精神を持つ者に少しでも救いを願い、私は慈しむのです」
まるでそれが真理であるかのように、ルシフェナは語る。自らの考えに一切の疑念も抱かず、正当であるかのように。
しかしそれこそが歪んでいるのだと、レアは嘲笑う。
「よくもまあここまで破綻しながら、一見して正気のように見えるものじゃな。貴様には徹底して『死』という概念が軒並み欠如しておる。たしかに貴様は人を慈しんでいるのじゃろう、愛しているのじゃろう。じゃがそれは『まだ生きている人間』にたいしてであり、『死んだ人間』には欠片の感情も持っておらん。死を嘆く事も、忌避する事すらしない。表面では死を悼みこそしておるが、それは死を嘆く他者を慈しむため。例え人間の全てが死に絶えようとも、それが慈しみ愛する行為であれば迷わず行う。今はまだ、人を愛するだけが目的化した破綻者じゃな」
飢える者を救おうとした者がいた。涙を流す者と共に涙を流す者がいた。悩める者の苦悩を取り除こうとした者がいた。
この世の歴史において数々の善人や聖人が語り継がれているが、彼等の善行と救済の根幹にあるのはどれも『死』に対する感情があった。
如何にして辛い死から逃れられるか。如何にして悲しい死を乗り越えられるか。如何にして死の恐怖に打ち勝つのか。
いつか必ず訪れる終わりを少しでも良いものにしようと、その為に人を救い、どのように生きていくかを導いてきた善人は数多くあれど、ルシフェナが持つ魔性の善性はレアとて全くの未知であった。
たしかに彼女が人に向ける愛情は過去の聖人の誰よりも深いだろう。海のように広い慈悲はあらゆる苦悩を取り払ってくれるだろう。
しかしそれだけなのだ。
人を愛そう、人を慈しもう。ただそれだけで彼女の行動は完結しており、結果などという項目が存在しない。
人を救うために慈愛を注いだのではなく、慈愛を注いだ結果がたまたま人々の救いになっただけ。いや、慈愛という感情こそが彼女の終着点であり、目的なのだ。
それで人がどうなろうが彼女にとっては欠片も興味はない。
レアの言う通り、慈愛の行き着く先が破滅だったとしても、彼女は迷う事なく慈愛を注ぎ込むだろう。何故なら彼女は『死』に対してあまりに無感情なのだから。
「お主もよく見ておくといい。これが、人を救済するに足る善性を獲得しながら他者を食い潰す、善性の一種の成れの果てじゃ。これほど悍ましい化生はそうそう見れるモノではないぞ」
本人はとても面白そうなものを見るかのように言っているが、その言葉は侮蔑と嘲りに満ちていた。
それを隣で聞いているユーリは気が気でなく、何やら胃の辺りがキリキリしてきた。
しかしユーリの心配は杞憂なようで、あれだけ暴言を言われてもルシフェナは変わらず聖母のような笑みを浮かべていた。
「まあまあ、酷い言われようですね。私はただ、皆々様が安寧の中で過ごせるように祈っているだけ。貴方たちにも、この祈りに協力していただきたいのです」
「悍ましい事を口走るな。貴様のソレは、集る虫を殺す毒の蜜じゃ。最終的に待っているのは身の破滅だけよ。それにこのわしを勇者の仕立てるなど、見当違いも甚だしい」
レアが頭に手をかざすと、彼女がかけていた幻覚魔法が解かれる。
すると彼女の頭に生えている捩れた角が顕となる。人間の宿敵であり、天翼族の憎むべき怨敵であり魔人族の証が。
突然の魔人族の出現に、流石のルシフェナも浮かべていた笑みを消した。
「何やら強力な魔法で姿を隠しているのは知っていましたが、まさか魔人族だったとは。敵地の中心で姿を現すなんて、よほど豪胆なのか、或いは愚かなのですね」
「侮りもしよう。わしは魔王、レア・ジュエルベル。貴様ら凡百の有象無象とは位置を異にする絶対者じゃ。貴様らには、髑髏の魔王という呼び名のほうがしっくりくるか?」
すぐ目の前に怨敵たる魔人族がいる。
敵を滅ぼそうと白い翼を輝かせ戦闘態勢に移行しようとしたルシフェナを、レアの言葉が止めた。
このような幼い少女が、数多の勇者を屠ってきた髑髏の魔王? 同時にレアから吹き荒ぶ、己に匹敵するか或いはそれ以上の魔力の波動。
両者の魔力がぶつかり周囲の建物に亀裂が走り、このままでは周囲が更地になる事を嫌ってルシフェナは魔力を鎮めた。
「……なるほど、貴方が髑髏の魔王でしたか。にわかに信じ難いですが、この聖都の守りを突破する力に、その魔力を見ては信じるしかないでしょう。まさか数多の勇者を葬ってきた髑髏の魔王の正体が、こんな幼い少女だったなんて。で、お連れの方はもしや……」
「先ほど貴様が死んだ事にした、ユーリ・アルブレイドじゃ。ほれユーリ、顔を現してみよ」
「う、うん……」
レアに言われた通りに、ユーリは兜を取る。
その面貌は見間違いようもない。
勇者として選定した際に出会い、その比類なき力に希望を見出した純朴な青年。
ユーリが無事だった事を知り、ルシフェナは花が咲いたような笑みを浮かべた。
「ユーリさん、生きていらしたんですね」
「お久し振りです、ルシフェナさま」
「ああ、生きていると知れて嬉しいですユーリさん。何故敵であるレアさんと一緒にいるかはわかりませんが、貴方は私と一緒に来てくれますよね?」
「寄るな毒婦めが。ユーリはもうわしのものじゃ。誰にも渡さん」
「僕は誰のものでもないんだけど……」
満面の笑みでユーリに歩み寄ろうとするルシフェナを、レアが遮る。それは今までの表情とは違い、ユーリを誘惑しようとしたルシフェナに怒りと敵意の感情をぶつけている。
二人が壮絶な火花を散らしている後ろでユーリはボソッと言葉をもらすが、やはり誰にも聞いてもらえない。
少し悲しい。
「ルシフェナさま、申し訳ありません。僕は貴女のように人間だけが平和になるんじゃなく、人間も魔族も皆が平和に暮らせる世界にしたいんです。だから、貴女と一緒にはいけません」
ルシフェナが掲げる理想は、ルエメナ聖教の教えはたしかに素晴らしい。
人々に善行を勧め、悪を嗜める教えがいくつもある。皆がその教えに従えば、たしかにこの世界は平和になれるだろう。
だが、その一方で切り捨てられ、零れ落ちる者たちがいる。
それが魔族と呼ばれる非人間族たちであり、彼等はいわば人間たちが平和を享受するための生贄だ。
だが、それは間違いだとユーリは断言する。
誰かの犠牲の上に立つ平和など偽りであり、彼が目指すのは全ての種族が分け隔てなく暮らしていける世界。断じて、ルシフェナのような犠牲を強いるものではない。
「もし、ルシフェナさまが真に平和を願う方なら、どうか僕たちと一緒に協力していただけませんか? この長きに渡る戦争を止め、共に皆が笑って過ごせる世界をつくりましょう」
逆にユーリは、こちらと協力できないかと申し出る。
別にルシフェナの想いを否定しているわけではない。ただそれよりももっと良い結果があるならば、ルシフェナの慈愛が本物であるならば、双方との和解をするべきだと。
ルシフェナと協力するために手を差し出すが、しかしルシフェナは残念そうに首を横に振った。
「残念ですユーリさん。貴方のお考えはたしかに素晴らしいものですが、それは決して叶う事のない幻想です。仮に可能だとして私が協力したとしても、積み重ねてきた憎しみで信徒たちは決して納得してくれないでしょう。彼等が望むのは最早魔族の根絶のみ。ならば彼等を導く者として、ユーリさんのお考えに協力する事はできません」
ユーリが目指すものはあまりに荒唐無稽で、それは泡沫の夢のように脆い幻想。決して届く事のできない夢に手を貸す事はできず、ルシフェナは断った。
断られる事もある程度は予想していたのか、ユーリはあまり残念そうな表情も浮かべず、差し出した手を下ろした。
「まあ、夢物語だと言われるのは分かっていました。ですけど僕の想いは本物です。レアだって協力してくれるし、必ず成し遂げてみせます」
「そうですか。もしユーリさんの願いが叶えられるならば、それは私の祈りよりもはるかに素晴らしいもの。協力はできませんが、応援していますよユーリさん」
「ありがとうございます。ルシフェナさま」
一番の不安は、教えに反する異教徒として大陸中で指名手配される事だったが、どうやらその心配もなかったようでユーリは安堵の息をこぼした。
気難しいレアも、今も険しい顔をしているがいきなり魔法を放つ事もなかったし、話し合いは穏便に終わりそうだった。
「──待つのじゃ毒婦」
しかしルシフェナの去り際に、レアが呼び止める。
相変わらず魔人族には良い感情を持っていないのか、ルシフェナの表情は硬い。
「……まだなにか?」
「貴様自身も己の本質を理解しておらぬようだから教えてやろう。一見してユーリと貴様の想いは似通っておるが、決して相容れる事はない」
「何を言っているのです? 私とユーリさんの願いは同じ。ただ救いの範囲が広いか狭いかの違いだけです」
「自らの願望も知らぬとは救いようのない。今はまだ人を愛し慈しむだけが目的となっておるが、その破綻した行動の本質は別じゃ。わしが貴様の悍ましい本質を暴いてやる故、一つだけ貴様に問うてやる」
レアの赤い瞳に、嗜虐の色が混じる。
「──人間どもから向けられる祈りや信仰は、さぞ気持ち良かろう?」
「っ!?」
はじめて、ルシフェナの顔に驚愕の表情が走る。
自分自身ですら知らなかった、己の本質。魂の根幹。心の最奥。
それを自覚してしまった途端に己がとても悍ましいモノであると認識してしまい、それを必死で否定しようとも頭の中で湧き上がるの肯定の文字だけ。
いや、寧ろ歓喜にも似た感情が湧き上がってきたのを感じていた。
今まで誰も、己ですら知らなかった己の本質。心の微かに巣食っていた虚無感の正体。生まれてこのかた僅かに空いていた心の隙間が、ピッタリとはまった感覚。そして己の本性を暴いてくれたただ一人の理解者の出現。
レアの言葉は寧ろすんなりと心に落ち着き、喜悦すら見出してしまっていた。
自分ですら理解していなかった、己の心の奥深くに巣食っていた本性。それを拒みたくても拒めず、寧ろ受け入れてしまいたいルシフェナ。
だからといって素直に己の本性を認める事ができず、まだ残った理性を総動員して必死にレアの言葉を否定し、しかし直面した事実にまるで頭をハンマーで叩かれたかのようにルシフェナは覚束ない足取り一歩二歩と後ずさる。
「な、なにを言っているのですかレアさん。私は、私はただ……」
「この場でわしらに認めずともよい。これは貴様自身の内側で知るべき事じゃ。精々己と向き合い、悩み苦しむがよい。行くぞユーリ」
「う、うん」
いまだ驚愕の表情が抜けきらないルシフェナを放置し、もう興味はないとレアはユーリと一緒にこの場から離れる。
しかしレアの顔は一向に嗜虐の色に染まっており、まるで面白いオモチャが現れたようにニタァっと笑みを深めていた。
「ねえレア、ルシフェナさまに何かしたの?」
「何も。ただアレ自身が気付いておらんかった本質を、少し強引じゃが暴きたてたまで。心しておけよユーリ、あの女と次に会う時は、きっとお主でも吐き気を催す程の悪性を引っさげてくるはずじゃ」
「ええ! なんでそんな事するの!?」
「わしが言わずとも、アレはいつか己の本質に気付いておった。それを少しだけ、わしが早めただけじゃ。それに前にも言ったが、わしの本質もまたとびっきりの悪性じゃ。故にわしは他の悪性を否定せず許容し、悪を以って我が前に立つならば更なる巨悪で押し潰す。お主が仲間にしたのは、そのような類のモノじゃ。まあお主の場合は呆れる程の善性で、関係ないかもしれぬがの」
彼女の本質もまた、純粋なる悪性。故にレアはどのような悍ましく醜い悪性であれ、それを否定はせずに見定め、時には愛でさえする。悪を否定するのは善であり、悪が悪を否定するのは理に反するからだ。
しかし同じ悪でもレアの邪魔をするならば、いや同じ悪であるからこそ、レアは自身の悪性を以って小さな悪を潰す。
しかし邪魔さえせず怒りを買わなければ、それが悪であれ善であれ彼女は気にしない。奔放な言動で引っ掻き回しはするだろうが。
今までの物騒な笑みから一転して、ユーリに向けるのは年相応の悪戯好きな少女が浮かべる笑みであった。
それに毒気でも抜かれてしまったのか、ユーリはため息を一つ、レアと一緒に歩き出すのだった。




