魔王と勇者、動く
今日はここまで。
「ん、ぅ……頭が……」
窓から射し込む光がまぶたを貫き、ユーリはおぼろげながら意識が覚醒する。
次に走る感覚は、ハンマーで叩かれたような鈍い痛み。頭の中で鐘が何度も鳴り響いている。
判然としない記憶を整理していくと、どうやら昨日の夕食時に飲んだワインで潰れてしまったようだ。あまりに美味しくてお代わりしすぎたのが駄目だったらしい。寝起きに襲ってくるのがアルコールの怖いところである。
頭の痛み以外にも全身が重く……重く?
段々と意識がはっきりしていくと、何故かシーツが異様にふっくらしている事に気付いた。
お腹の辺りもじんわりと温かく、耳をすませば自分以外の呼吸音も聞こえる。
恐る恐る、シーツをめくってみた。
「──んっ、すぅ、すぅ」
「レ、レア!?」
そこにいたのは、穏やかな寝息を立てて眠っているレアだった。
シーツがなくなった事で射し込む光に一度眉根をひそめて、光から逃げるように猫みたく丸まって再び夢の世界へと埋没していく。
寝巻きなのか、淡い緑色のネグリジェは異様に生地が薄く、よく見れば身体が透けて見えてしまう。それなのに何故か一切の下着を身につけておらず、ネグリジェ越しにレアの生まれたままの姿が晒されている。
「な、なんで、レアが一緒に、寝て……」
「ん、んぅ、ユー、リィ」
「ちょ、っとぉ!?」
一緒のベッドに、女の子が、しかもほぼ全裸と言ってもいい過激的な恰好にユーリの体温は一気に沸騰する。顔を真っ赤にしながらもなんとか離そうとするが、猫なで声のように甘えた寝言を呟きながらレアの細い指がユーリの首にかかる。
そのまま腕を絡めてユーリの肩を枕がわりにして頭を置き、ユーリは再びベッドに体を固定されてしまう。
すると安心したようにレアは微笑みをこぼし、ユーリの体により密着する。
未熟な胸をユーリの腕に押し付け、足が絡みつく事で無理に動かす事が出来なくなり、このどこか背徳的な甘美さにユーリの脳はどんどんと沸騰していく。
レアの甘い匂いになんとか耐えながら誰かが助けに来てくれる事を祈るが、それはある意味で裏切られる事になった。
「レア陛下、起床のお時間ですので、お目覚めのモーニングティー、を……」
扉を開き入ってくるのは、レアの身の回りの世話を担当しているメイド長のエアル。主を起床させるために入ってきたが、目の前の光景には流石にエアルも表情が凍りついた。
ここで想像してみてほしい。
主のベッドに一緒に寝ている年頃の男性。隣では敬愛すべき主が裸も同然の姿で眠っている。
誰がどう見ても、完全に事後である。ナニがとは言わないが、既に事が終わっている光景を連想してしまうのは仕方のない事。
このような光景を前に、手に乗せた紅茶を落とさない冷静さは流石である。
相変わらず鉄仮面のエアルは一度、主のレアを見て完全に寝ている事を確認する。
そして、下手人であるユーリを見て……。
コ ロ ス
今まで取り繕っていた仮面が、木っ端微塵に砕け散った。
大人の男でも失禁してしまうほどの殺意がこもった視線を突き刺し、額には何本も青筋が浮かんでいて綺麗に整った面貌がメチャクチャに歪む。間違っても、女性がしていい顔をしていなかった。
──主が寝ている今なら、客人はもう帰ったと言い訳もできる。
幽鬼のようにエアルの美しい銀髪はユラユラと蠢き、陽光に照らされて周囲に何条もの銀の閃光が舞う。
誰にも気付かれず人を一人消すのなんて容易い。後片付けも迅速に済ませれば問題ない。
尋常ではない殺意を漲らせて、一歩、また一歩と歩いてくる。
「ちょ、ちょっと待って待って! これは誤解で、僕は何も……」
「うぅ、煩いのう……」
命の危機を感じ取りユーリは慌てて上体を起こすと、それに引っ張られたレアも遂に目を覚ました。
大きなアクビを一つ、瞳に涙を溜めながら目をこすり、まだ夢の世界に半分浸かっていた。
「ん、どうしたんじゃ? ユーリお主、顔を赤くしながら真っ青なんて器用な事しおって。エアルお前も、何故そんなに怒っておる?」
「お尋ねしたいのはこちらです陛下。何故ユーリ様と、男性と一緒に寝所を共にしておられるのですか? まさか襲われて無理矢理……お任せください、盛った犬は即刻去勢させますので」
「待って待って誤解だよ! 僕はレアに何もしていないって!!」
「そうじゃぞエアル、こやつは昨晩、わしに手をつける事もなくずっと寝ておったぞ」
主が目を覚ました事ですぐに理想の従者としての仮面をつけ、しかし怒りは鎮まる事なく内包したエアルはユーリを切り落とそうとするが、レアは何事もなく、というよりも少し不服そうにユーリを擁護した。
「昨日の戦闘による疲労と、浴びるように飲んだ酒が効いたのじゃろう。酔った勢いでこやつも獣のようになるかと期待して部屋に連れ込んだのじゃが、まさか部屋につくなり倒れて眠ってしまうとは思わんかった。折角わしも準備をしたというのに……いや、いっそここでしてしまったと言った方が既成事実を作るのに都合が……」
「何を言っているのさレア!? いい加減僕からも離れて!」
「おおっ」
ユーリの精神的に何やら物騒な事を言っているレアを取り敢えず引き剥がして、ヒョイと脇を持ち上げてベッドの脇に置く。
本人は必死だというのに、持ち上げられたレアは面白そうに楽しんでいた。
「やれやれ、お主の初心な反応を見てるのは楽しいが、少し奥手が過ぎるのではないか? 男ならば無防備な女を見て襲うくらいの気概を見せぬかバカ者」
「痛い痛い、お願いだから足を踏まないでレア」
何故だろう。
なぜ人として正しい事をしたはずなのに、相手に怒られてしかも足を踏まれなければならないのだろう。ひどく理不尽である。
「陛下、お戯れは程々になさってください。その恰好ではお体によくありませんので早く着替えませんと」
「おお、それもそうじゃな。これからの予定もあるし、早く準備を済まさねば」
やはり自分の恰好に恥じらいはないのか、レアはエアルに背を向けて服を脱がせるように言外に命じる。
しかし今まで主の命に逡巡する素振りすら見せなかったアエルはレアの命令に動きはせず、相変わらずユーリを厳しく睨みつける。
「先程のは万が一にも貴方様の潔白を信じるにして、陛下の着替えを眺めるのはどういう言い訳を取り繕うおつもりですか? その両の目を潰すか、いっそ女性にして差し上げましょうか?」
「ご、ごめん! すぐに部屋から出るね!」
エアルの言おうとした事を理解したのか、ユーリは気まずそうにしながら慌てて部屋から出て行った。
ようやく男性がいなくなったところで、エアルは主の命令に従い、レアの衣服を脱がしていく。
首に結んである紐を解くとレアが身にまとっていたネグリジェは床に落ち、何も遮るものがなくレアの白い素肌が晒される。
まずは寝起きの体を清めるために、水で濡らした布でレアの体を拭く。
その肌は汚れを知らぬ純白無垢で、幼い肢体は柔らかくエアルの指が沈み込む。加えて人形のように整った顔立ちで、ユーリでなくとも男性であれば動揺するのは無理はない。
「陛下、あまり男性に素肌を晒すものではありません。しかも相手は勇者で、お体を許すなどとご冗談まで、お戯れが過ぎます」
しかしエアルは、昨日から訪れている客人にあまり良い感情は持っていない様子。本来であれば主と敵対する筈の勇者であり、それが主と仲良くしているものだから面白くない。
主の身の安全を守る者として、そして主である幼い少女を敬愛する一人の女として、ユーリという存在は快いものではなかった。
「珍しいのう、いつも冷静なお前が怒りを表すとはな。そんなにもユーリが気に入らぬか?」
「……陛下からお怒りを受けるのを承知で申しますと、あれをすぐにでも城から追い出したい気持ちです。陛下に近過ぎるのもそうですが、あれは勇者であり人間です。いつ陛下の身に危険が及ぶか、私はそれが心配でなりません」
「安心せい。彼奴は、わしが殺せと命じてもわしに傷一つ付けぬよ。それ程までの理解し難く、お人好しなのじゃ彼奴は。その頑固なまでの甘さに、わしは負けたのじゃから」
レアは笑みをこぼしながら、自らの右手を見つめる。
その手の平には真っ白な肌に似つかわしくない、痛々しい傷痕が刻まれていた。
この傷は昨日の死闘が終わった際に、ユーリの剣を握った時に刻まれたもので、レアはあえてこの傷を完治させる事をしなかった。
この傷は、甘い理想を誇示した大馬鹿者に敗北した証。そして絆であり、彼が対等の存在と証明するもの。
他者から見たら痛々しいこの傷痕も、レアからしたらただ愛おしく、大切な宝物を扱うように指先で傷痕をなぞる。
「……その話も、私には到底信じられません。陛下が他者に敗北を許すなど、それこそ天地が逆となっても有り得ません。陛下ならば、あの勇者を倒す千の手段を有している筈です」
エアルの言葉はあながち間違ってはいなかった。
たしかにレアは加減なく全力の殺意を以ってユーリを滅ぼそうとした結果に敗北したが、それは全て真正面からで、ユーリが戦える土俵の中での事に過ぎなかった。
致死が蔓延る毒の瘴気を生み出す事で体を蝕む事や、大地を裂いて深淵の最奥へ閉ざす事もできたが、レアはそれを使わずあくまでユーリがまだ戦える次元にまで自身を制限して戦っていた。
それで敗北したと言っている事が既に戯れにも思えてしまうが、しかしレアはエアルの言葉を否定した。
「たしかにお前の言う通り、彼奴の肉体を滅ぼすだけならば一つ二つの魔法で事足りるが、それでは奴の心までは砕く事はできぬ。わしはなエアル、彼奴の武威ではなく不屈の精神によって敗北したのじゃ。この世の魔法全てを操るわしが、なんの才能も持ち合わせていないただの人間の子供の、世を平和にしたいという夢物語な願いにな。魔法を操る者にとって、これ以上の敗北は有り得ぬよ」
他の者が聞けば手加減と言うかもしれないが、レアにとってはあの戦いは間違いなく本気であった。本気で、千の暴力と絶望によってユーリの甘い希望を砕くつもりでいた。
だが結果は見ての通り、ユーリの心は折れる事はなかった。数多の絶望を前にして、彼の心は陰る事なく輝きを増していた。
その眩しく輝いている彼の心に見惚れてしまい、そして敗北を受け入れてしまった。
まさに完膚なきまで、これ以上ないくらいの余地なき完全敗北であった。
故にレアは、彼が自身と対等の存在であると認めたのだ。
「それにわしと彼奴は、共に願いを共有した仲じゃ。わしの身を案じるお前の忠心は有難いが、ここは不満を飲み込め。お前にはこれからも働いてもらわねばならん」
「……かしこまりました。これからも変わる事なく、陛下のご期待に十二分に応えれる働きをいたします」
主の言葉は絶対である。例え死を命じられたとしても、是と言い迷いなく己の首を刎ねれるエアルは、レアの言葉に頭を下げる事で頷いた。
まだ全て納得したわけではないが、それで職務を怠る程度ではメイド長などとは名乗れない。
エアルは次々と別の衣服を別空間から呼び出し、それをレアに着せていく。
急なレアの指示により一晩で仕上げた物だが、採寸に狂いはなくどこもおかしな所はなかった。
「ふむ、相変わらず良い仕事をこなすの。ユーリ、入ってくるがよい」
「着替えはもう終わったのかい? できれば僕も服を変え……なんだか随分と印象が違うね」
「ふふん、そうじゃろう? これからに必要じゃからの」
ユーリの驚いたような感心したような顔を見て、レアはえっへんと胸を張る。
いつもは高貴なドレスやマントといった豪華な装飾品を身につけていたが、今回の身なりは今までとは随分と方向性が違っていた。
極上のシルク生地を贅沢に使ったドレスではなく、黒という地味な色合いの裾が膝まである布製の厚いジャケット。同じく茶色という地味な色の膝まであるハーフパンツに、丈夫そうな革製のぶ厚いロングブーツ。床までつくほどに長かった髪は、腰あたりで折り返して頭のほうに括り付けていた。
今までの豪華な衣服とはまるきり真逆なその服装は、ある意味ユーリにとっては見慣れているものだった。
「まるで冒険者みたいな恰好だけど、どうしたの?」
「これからはお主と一緒に外で動かねばならぬからの。今までの服では人目についてしまうから、このような平々凡々の出で立ちで動く事にする。どうじゃ、似合っとるか?」
「う、うん、凄くね」
「うむうむ、であるか」
ユーリの周りを回り、まるで年相応の子供のようにはしゃぐレアは、ユーリから似合っていると言われて満足そうに何度も頷いた。
「先の戦いで、おそらくわしらは互いに相打ちとなって果てた事になっているであろう。両者の長が空席となった今、両陣営はまず空席を埋めるためにしばらくは大きな争いはせぬはずじゃ。その間に各種族への説得を試みるとするぞ」
子供のようにはしゃいでいるレアであるが、別に酔狂でこのような服を誂えたわけではない。
あれ程の大規模な戦闘をすれば両陣営も気付いている筈だし、互いの姿が確認されなければ死んだ事にされているだろう。
今は、二人が生きている事より死んだ事にしていた方が都合が良い。
それぞれ歴代最強と呼ばれた両者が死んだとなれば、両陣営に少なくない動揺が走るだろう。
新たな魔王と勇者が選定されるまで、散発的な小競り合いはあるだろうが、大きな戦争が起こる事はないだろう。
逆に言えば、新たな魔王と勇者が決まった時こそ、手遅れと言えよう。
レアが魔王として君臨していた時は戦争に何も手を出さず、時折やってくる勇者を葬っていただけだったが、次に選ばれる魔王はもっと直接的に動いてくるだろう。
そうなれば両陣営との全面戦争となり、止めるのは不可能に近くなる。
「なるほど、今がチャンスというわけだね。それじゃ早速、この戦いを止めに行こうか」
「待て待て落ち着かぬか。わしは魔族にも人間にもこの姿は知られておらぬが、お主の顔は双方に知られておるじゃろうが。我等が生きていると露見せぬために、その顔は隠さねばならぬ」
レアが指を振ると、ユーリの周りに光が漂い、着ている衣服が変わった。
ひどく不恰好だと思っていた貴族の礼服は消え、代わりに身にまとっているのは一点の穢れもない純白の鎧。重厚ながらも重さなど一切感じさせない羽毛のような軽やかさで、朝日の光が反射して眩く神々しく光輝いている。
それが全身、頭までもユーリを覆っていた。
「レア、この鎧は……」
「中々の一品じゃろ? わしには無用の品じゃが、蔵に飾るには相応しい一品故にしまい込んでいたが、うむ、良く似合っておるぞ。これならばお主の顔も隠せるし、ミスリルの加護でお主の弱点である呪いなども弾くじゃろう」
「ミ、ミスリル!? これが……」
ユーリが驚くのも無理はない。
その鎧に使われているミスリルは超希少鉱物と呼ばれ、鉱物の王と呼ばれる三大鉱物の一つである。
その特性は強力な魔力と加護を帯びている事で、魔法の触媒としてはもちろん、呪いなどといったものに強い耐性を持っている。
その強力な特性から伝説上には聖剣の素材として用いられており、現在のような加護を後付けして聖剣化したものとは根本から違う。
希少性にも加え芸術的にも底知れぬ価値があり、同質量の金よりもはるかに高価で、ユーリは知らないがもしこの鎧を売れば国の一つや二つを買ってもお釣りがくるほどである。
「こ、これがミスリルなんだ。鎧としてしっかりしているのに羽のように軽いや。でもこんなに貴重な鎧を着てたら、逆に目立たない?」
「安心せい。今やミスリルといった三大鉱物は枯れ、その製法を知る者は少ない。言わなければそれがミスリルだと判別できる者などおらぬよ。まあ、鎧で顔を隠す変わり者には違いないが、そこは言い訳でなんとでも誤魔化せるじゃろ」
ユーリの最大の弱点でもある肉体への呪いなどといった脅威からも守れ、顔を隠す事もできてレアは満足そうだ。
この城には、集めたはいいが使う事もなく死蔵された品々が数多く埃をかぶって蔵に眠っているが、どうやらこれからはその品々も日の目を浴びられそうだ。
「さて、わしの角も幻覚で隠すとして……まずはお主、人間側の勢力から見てみるとしようかの」
レアがスッと指を動かすと、指先に触れた空間が石を投げ入れた水面のように波打ち、空間が裂け黒い孔が広がった。レアが初めてユーリと邂逅した際に使ったものと同じだ。
ここを通れば、その先は二人の新たな冒険の始まり。
苦難と障害が果てなく広がる、茨の荒野。
もう、後戻りはできない。
「準備はよいかユーリ? ここを通ってしまえば、今まで以上に多くの敵意と悪意がお主の身に降りかかる事になる。常にわしに不屈の精神を示してみよ」
「任せてレア、諦める事に関しては僕は誰よりも下手だから。そっちこそ、僕より先に諦めちゃダメだよ?」
「ふん、言うではないか。わしを凡百の輩と一緒にするな。ではなエアル、少しばかり出かけるが、留守は任せるぞ」
「かしこまりました。お気をつけていってらっしゃいませ」
エアルに見送られながら、二人は黒い孔の中へと消えていく。
一人は、決して折れぬ不屈の理想を胸に宿した勇者。
一人は、無限の魔力と深淵の如き智慧を持つ魔王。
どちもその力は最強と呼ぶに相応しく、一人で歴史を変えうる程の傑物。
今、その両者が共通の目的を持って動き出す。
不変を保ってきた世界よ、心するがいい。
空から降る雨が地面に落ちるように……。
石が坂から転がり落ちるように……。
炎が灰燼を巻き上げるように……。
この世の万物は流れるべくして流れていき、停滞不変などはないのだ。
なれば、強大な力を持つ二人によって新たな流れが生じるのは必定。その流れのままに流れていくのが道理。
世界を堰き止めていたものに綻びが生じる。
二人は、停滞した世界をかき乱す。
あるべき形など、定まった形などないのだから。
明日も17時ごろに投稿します。
紳士の読者さまも全裸正座待機して待ってってね!




