夕食と会談
「エアル、いま帰ったぞ」
「お帰りなさいませ、陛下」
『お帰りなさいませ、レア陛下』
重い音を立てて扉が開かれると、そこで主人を出迎えるのは銀髪のメイド。
その後ろにはエアルが従える七十一人の使用人が列をなして淀みのない礼で主人を迎える。
男女の違いこそあれど、その顔の造形はどこかエアルと似通っていて、遠目に見れば誰が誰だが分からないくらいにソックリであった。
「うむ、戻ったぞ。客人も一緒じゃ、丁重に持て成してやれ」
「かしこまりました……一緒のお方は勇者、ですか」
レアの隣にいるユーリを見て、エアルは僅かにだが視線を鋭くした。
それは当然だ。魔王と勇者は本来殺し合う間柄だし、主人のレアとユーリはつい先程まで殺し合っていた。
それは遠いこの城からでも確認できたし、余波で城の幾つかが崩れていた。事前にレアが防護魔法を重ねがけしていなければ、被害はもっと甚大であっただろう。
それほどの規模での殺し合いをしていたというのに、主人からはまるで旧来からの親友のような、それでいて警戒せねばならない感情が漂っている。
優秀なメイド長は視覚からの情報で全てを察し、ユーリを敵対者から厄介な邪魔者へと格上げした。
「ではまず、お召し物からお取り替えしましょう。それと傷の治療も、城を汚されたらたまりません」
しかし、それを表に出す事はしない。彼女は主人から最も信を置かれる完璧な従者なのだから。
例え主人の心を奪った不届き者であろうとも、客人であれば最上級のお持て成しをするのが彼女の矜持。
言葉の端に僅かな棘がある気がするが、きっと気のせいだろう。気のせいといったら気のせいだ。
「ユーリ様は奥のお部屋にて、他の者が着替えを手伝います。ああ、陛下のお召し物にも、僅かに砂が。丁度ご夕飯のお時間ですので、陛下もお召し物を替えましょう」
「うむ、では夕食にて会おうユーリ」
そしてレアも、元気に手を振りながらエアルに連れられてどこかに行ってしまった。
急な展開について行けず他のメイドにズルズルと引き摺られ、ユーリはされるがままに着せ替えられる。
レアとの激戦で半裸同然の姿であったが、なんとか人前に出られる恰好には整った。
おまけに回復魔法もかけて貰い、体の疲労までは癒せないが傷は完治した。
「こ、これで本当にいいのかな? なんか、首の周りがヒラヒラしているんだけど」
「別に変なとこなんてないですよ。これから陛下とのお食事が控えているのに、低俗な身なりで出るなんて、それこそ大問題です。陛下が怒るととっても怖いんですから」
少し軽い口調のメイドはさも当然かのように言うが、ユーリには慣れない。
金や銀の華美な装飾が施された生地の上着は人を絞め殺す拷問具として作られたかのように腰回りがきつく、綿の詰め物を入れた腿丈のズボンはまるでカボチャのお化けになってしまったかのように不恰好であり、首はまるで病人につけるかのように円錐状の襟が首を覆う。
平民の生まれで貴族の作法など無知も同然のユーリは、由緒ある服と言われてもひどくカッコ悪く見えた。
「それではユーリ様、準備が整ったので早く大食堂へ向かいましょう。陛下を待たせちゃったら大変ですから」
しかし、不満を口にする暇は与えてくれなさそうだ。
ユーリの反応など気にせずメイドは大食堂へと案内する。
余計な会話などは不要。長い廊下を歩いていく中、沈黙だけが支配している空間にユーリは居心地が悪かった。
「えっと、その……ここの使用人さんたちって、皆さん顔がそっくりなのですね」
「やっぱり気付いちゃいます? 私たち七十二の従者は全て、陛下の手によって創造された人造生命なんですよ」
「え、人造生命って……」
歩幅を緩める事なくメイドが口にした言葉に、ユーリは驚いて足を止めた。
驚くのは無理もない。生命の創造というのは、不老不死の探求と同じく様々な歴史上の偉人が挑み、そして最後は身を滅ぼした大禁忌。神への叛逆である。
魔法には疎いユーリだが、生命創造がどれほどの禁忌にして奇跡か知っている。
ここに賢者がいたら、きっと泡を吹いて卒倒していただろう。
それが、いま目の前にいる事にユーリはいまだ信じられなかった。
「陛下の手によって造って頂いた私たち人造生命は全て兄妹。顔が似ているのは当然です。まあ、陛下が作り分けるのが面倒だから似ているというのもあるのですが……じゃなくて、無駄なお喋りはこれぐらいにして、早く向かいますよ。遅れてしまうと私がエアル姉様に叱られちゃうんです」
「ああ、ごめんね、早く行こうか」
メイドに促され、ユーリも歩幅を速めて廊下を進む。
やがて廊下の奥にある扉を開けると、そこにあるのは大きな円卓。既に何十人もの使用人が忙しなく動き回り、食器の配膳などをしていた。
「間に合ったようですね。ユーリ様は座ってお待ちください。すぐに陛下も来られますから」
「う、うん、ありがと」
席に座るユーリであるが、どうも落ち着かなかった。
美しい銀細工が施された椅子を壊してしまったらどうようと内心では恐々として肩を縮ませ、目の前に並べられる銀食器や陶器の高そうなこと。
貴族や王族の作法とは無縁であったユーリには、目の前の光景が異世界にしか見えなかった。
スプーンとフォークを何本も並べて何の意味があるのだろう?
……予備?
「待たせたのうユーリ、わしがいなくて寂しくなかったかの?」
「遅いじゃないかレア、こっちは慣れない事ばかり、で……」
なんだか居心地が悪い空間に、ようやく待ち人が現れた。
鈴が転がるような音に振り向くユーリであったが、目の前にいた少女の姿に思わず言葉を失った。
「なんじゃ? 呆けた顔をしおって。まるで親を見つめる仔犬のような顔じゃな」
普段であれば意地の悪そうな笑みであるが、今ではそれすらも綺麗に見えてしまう。
レアの白磁の肌よりも尚純白のドレス。余計な飾りを付けぬ衣装はレアの魅力を十全に引き出し、まるで稀代の人形師が手がけたお人形。悪戯っ子の笑みも加わり、悪戯好きな天使にも見える。
「い、いや、ごめん、凄く似合っていたから」
「うむ、そうかそうか。当然の事じゃが、お主からの賛辞は受け取ってやろう。相変わらず良い仕事じゃエアル」
「恐悦至極」
ユーリの反応に満足したようで、レアは機嫌良く何度も頷いた。
そして側にエアルを控えさせながら、ユーリの対面へと座る。
それが会食の合図となり、使用人たちは料理を運び始め、ティーカップに紅茶を注ぐ。
淹れた直後で水面から芳しい湯気を楽しみながら、レアはユーリの姿を確認するように眺めてから、再び笑った。
「クッカッカ、それにしてもユーリ、お主のその恰好は面白いくらいに似合っとらんのう。服に着られるとはまさにこの事。お主ほど礼装が似合わぬ者はそういないじゃろう」
「言わないでよ。それは着ている僕が一番よく知っているから。そもそも、こんな豪華な服も、豪華な食事もした事なんてないんだ」
「それは意外じゃな。勇者と呼ばれ、それだけの力を持っているのならば幾らかの富もあるじゃろ?」
勇者は常に魔王討伐という大任を帯びているため、様々な特権が与えられる。
それは最上級の装備であったり、大陸から選りすぐられた優秀な仲間であったり、金銭であったり。小国の王族よりも豊かであったりする。
現に、レアが今まで対峙した勇者はそうであった。
レアの当然な疑問に、ユーリは苦笑をこぼした。
「僕はほら、魔族と仲良くなりたいって言って嫌われちゃっているから。装備も自前のだし、お金もギリギリの生活をしていたんだよ」
何でもないように笑っているが、何でもないわけないだろう。
ユーリの理想は優しく慈愛に満ちたものであるが、誰もがそれに共感するわけではない。寧ろ異端として扱われるだろう。
同じ人間からは裏切り者と罵られ、救おうとしている魔族からも憎しみを向けられる。誰の理解も得られず、たった独りで歩み続けてきた孤立無縁の壮絶な旅路。それが容易に想像できた。
「安心せい。ここでなら金も食事の心配をする事はない。お主なら、わしの全てを使ってもよいぞ」
しかし今は、自分という強大な味方がいる。数だけ揃えた烏合の集などではなく、世界全てを相手取るほどの絶対強者が。
それにこの城には、レアがこれまでに収集してきた財宝が見飽きるほどにまである。それは金や宝石であったり、歴史や英雄譚に語られるような武具であったり。
そして、自分の肉体ですら、ユーリならば好きに扱ってもいい権利がある。寧ろ使ってほしかった。
「そんな、お金をたくさん使うなんて勿体無いよ。美味しい食べ物さえ貰えたら、僕はそれで十分だよ」
熱を込めた視線も、ユーリには全く意味がなかった。
美味しそうに魚を頬張って顔を綻ばせるユーリに、レアは不満そうに頬を膨らませて少し乱暴に肉をフォークで刺して食べる。
見てるこっちの頬が緩みそうな初々しい様子ではあるが、レアの隣に控えていたエアルの機嫌は加速度的に悪くなる。
表面上は鉄仮面を装っているが、右の口角を僅かに上げ眉根を寄せている。
もしこの場に主のレアがいなかったら、体裁も取り繕わず顔を歪ませていただろう。
「……まあよい、本題はここからじゃ。わしはお主の理想に付き合うと決めたが、そもそもお主はどうやってその理想を叶えるつもりだったのじゃ?」
そう、この会食は呑気にお茶を飲んで会話に花を咲かせるためのものではない。
本題はこれから先の事。
二人は、争いが渦巻くこの世界を平和にすると誓いあった仲。であれば、その手段を思案しなければならない。誰もが考えもしなかった、奇跡にも似た祈りのために。
しかしユーリは、まるで意味がわからないといった感じでポカンとしていた。
「え、魔王のきみが戦いをやめるって言ったら、魔族は戦いをやめるんじゃないの?」
「はぁ、お主は揺らがぬ精神を持っておるのに、どこか抜けておるのじゃな。言っておくが、わしが停戦の命を出したからといって、魔族は戦いをやめぬぞ」
レアから告げられた、衝撃の事実。
予想もしていなかった現実に驚き、ユーリは食べようとしていたパンを落とした。
「まずお主には基本的な事を教えねばならぬようじゃな。そもそも魔族という呼称は、お主ら人間がわしらを一括りに呼ぶためにつけた俗称じゃ。お主らが呼ぶ魔族とは獣人族であり、エルフ族であり、ドワーフ族であり、小人族であり、お主ら人間族とは種族を異にする種族全てを表す言葉じゃ。そして、人間族と同じ外見ながら頭部に生えた二本の角が特徴であるわしらは、魔人族というのが正式な呼称じゃ」
たしかに、思い返すと旅の途中で色んな人達を見かけた。レアの言う通り獣人族やエルフ族にドワーフ族、小人族と様々な種族を。
彼等がそういう種族だとは知っていたが、同時に人間に敵対する魔族でもあった。
「魔族が本当は色んな種族をまとめて呼ぶためだってのは分かったけど、きみはそれの王様なんでしょ? なんで戦いをやめさせる事ができないの?」
「さっきも言ったが、魔族とは人間に対抗するための多種族連合じゃ。文化も価値観も違う魔族は、人間を倒すという目的のために行動を共にしているに過ぎぬ。実際、エルフ族は他種族とは仲が悪いしの。人間を倒す事が魔族の唯一の共通目的じゃ、それをやめろと言った所で、奴等は止まりなどせぬよ」
それに、問題はそれだけではない。
「それとわしは魔王ではあるが、厳密には王族というわけではない。我がジュエルベル家は魔人族で最も古い家柄の一つじゃが、それだけで魔王とは名乗れぬ。魔王とは魔族で最も強い者が名乗る事が許される称号であり、お主たち人間の王族のような王権も強制力もない。もし魔族を一つにまとめる者が王となっていたら、とっくに人間は敗北していたであろう。お主ら人間族は数こそ多いが、素体の強さは魔族が上回っておるからの」
本来であれば、この両種族の戦争は魔族の勝利で終わるのが当然であった。
人間族は数が多く文明を築く能力に優れてはいるが、肉体の頑強性は獣人族が上回り、魔力ではエルフ族が優れ、鍛治の腕ではドワーフ族が随一であり、手先の器用さでは小人族が一番である。
魔人族に関しては人間族の全てを上回っており、他にも強力な種族は数多くいる。
それなのにいまだ両種族の争いが続いているという事は、両種族の団結力に起因している。
人間は単一の種族であるが故にその繋がりは強く、数の多さと全てを注ぎ込む事で戦っている。
一方魔族はというと、肉体の強さでは人間族を遥かに上回っておりながら、種族特有の価値観や文化の違いから相違し半目しあっている。
獣人族は獣人族のみで、エルフ族はエルフ族にのみで、ドワーフ族はドワーフ族のみで戦っており、共闘する事は滅多にしない。
この両種族の違いによって、終わりの見えない泥沼の戦争が今まで続いていた。
己の存亡がかかっているというのに、些末な価値観に縛られ足を引っ張り合う魔族の姿は酷く愚かに見え、レアは内心で馬鹿らしいと思っていた。
「下らぬ連中じゃが、魔族の争いを止めるのであれば全ての種族を説得させねばなるまい。ドワーフ族は住みかの坑道さえ荒らさねば穴倉に閉じこもっておるし、小人族の執着は主に金銭のみ。竜人族や他の種族はこの戦争にあまり興味もない。特に人間への憎悪が深いのが、獣人族とエルフ族じゃの。この戦争を終わらせるにはこの二種族、そしてお主ら人間族を加えた三つの種族を止めねばならぬ。口で言うのは容易いが、並大抵の事ではないぞ?」
魔族は、決してその全てが人間と戦っているわけではない。全体から見たら少数でしかないが、その憎しみは深い。
その憎悪は人間も同じで、百年以上積み重なった互いの憎しみは、煮詰まり過ぎて焦げ付いて凝固してしまっている。
それを落とすには、想像もつかない労力を要する。誰も挑もうとすらしなかった難行だ。
「やってみせるさ。僕はもう一人じゃないし、隣にはきみがいてくれる。どんな苦難も、きみと一緒なら大丈夫だろ?」
しかし目の前に立ちはだかる苦難の壁を、果てなく広がり続ける荒野の只中にいても、ユーリの笑みが陰る事はない。どのような苦難も、レアと一緒ならば乗り越えられると信じているのだ。
きっと一人では歩みが止まってしまうけど、二人ならば共に歩いていける。
「ふん、なにを言うかと思えば。わしら二人を前にしては、あらゆる困難など困難足り得ぬ。世界の平和、見事に成してみせよう」
ユーリの言葉に、それは違うと重ねる。
自分がいて、ユーリがいるのであれば、あらゆる物事を容易く成し得てみせる。
凡人が諦めてしまう困難や大偉業も、二人ならば枯れ枝を折るも同じ。戯れにも等しい。
苦難を乗り越えられる?
違う。
二人の前に苦難などは存在しないのだ。
気が付けば、豪華な食事も終わり。
二人の前には、透き通るほどに綺麗なワインが注がれたグラスが置かれている。
まるでこれからの事など、ワインを飲み干すように容易い事だと言うように、二人は赤いワイン喉へ流しこむのであった。
「ところでレア、子供がお酒飲んで大丈夫なの?」
「やかましい!」




