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死闘の終わり

 ユーリ・アルブレイド。歴代最強の勇者などと言われているようであるが、相対しているレアからしてみればただの平凡な青年にしか感じられなかった。

 特別に剣を振るう才能があるわけでもなく、精霊や信仰の加護を授かったわけでもない。幾人もの勇者と対峙してきたレアにとってユーリは、歴代で最も平凡な勇者であった。

 しかし、しかしそれでも、ユーリは倒れない。


「……はぁ、はぁ、はぁ、くっ、ぁ」

「どうしたユーリよ、休んでいる暇などないぞ? これが第七八四の魔法──〈雷霆〉(ゼウス)

「くっ、〈万象斬断(オール・ブレイド)!」


 レアの頭上から射出される、大木ほどもある大きさの超高密度の雷の槍。大気すらも焼き焦がす死と破壊の一撃を、ユーリは一振りで両断せしめる。


 二つに分かれた槍は亜音速を維持したまま飛翔し、一つは大陸の端に位置する巨大な山脈に着弾し周囲を蒸発させ、もう一つは大陸から離れどこかの海底へと刺さり、十年間に渡って近辺の海域が沸騰し続けた。


「カッカ、まだ生きておるようじゃなユーリ! 喜ぶがよいぞ、先ほどの魔法でわしが今まで勇者一行を屠ってきた魔法の数を超えた! 貴様は間違いなく歴代最強と呼ぶに相応しい勇者じゃ!」

「そ、れは……嬉しいね」


 満身創痍で、今にも倒れてしまいそうなユーリとは真逆で、埃一つ付ける事なくレアは愉快に笑っていた。

 今までここまで己に迫ってくる者などいなかった。

 それがとても新鮮な事で、とても楽しくて、レアは笑いが止まらなかった。


 星を降らせてみた。真空の弾丸を放った。山を叩きつけてみた。津波で空を覆った。地獄の業火を呼び出した。太陽の複製をしてみた。

 その全てを、ユーリはたったの一振りで斬り伏せた。


 過去、これほどまでレアの思い通りにならなかった事などあっただろうか。

 彼女が魔法を操れば、その全てが彼女の望む結果となる。全ては彼女の思うまま。

 だというのに、この有り様はどうだ?

 彼女の放つ魔法は全ては斬り伏せられ、敵は眼前にていまだ立っている。


 なんと思い通りにいかない事だろうか。

 自らが下した絶対の決定に抗う輩に苛立つと同時に、そんな稀有な存在がとても面白かった。

 今まで他の生物など有象無象に過ぎないものであったが、目の前の男に初めて興味というものが湧いてきた。


「実に惜しいのう。あと少しで、この戯れにも終わりが訪れる。貴様が敵でなければと、そう思ってしまうわしがおる」

「じゃあ、この戦いをやめて、お茶にでもするかい?」

「阿呆を抜かすな。此度の闘争はわしが下した決定故、違えはなしじゃ。そも、魔王と勇者はどちらかが倒れるまで殺し合うのが運命(さだめ)。この闘争の結末は、片方の死によってもたらされる。さあ、もうお喋りは終わりじゃ」


 再び放たれる、死と破壊を撒き散らす魔法。

 既にレアに加減という感情はなく、より殺意に富んだ、辺りの被害などお構いなしの魔法を連発する。

 それは山を消し、海を焦がし、大地を抉り、空を墜とす。

 たった一つでも放たれれば魔族の勝利となる魔法を、人間を根絶やしにするに足る魔法を、何十、何百と放つ。

 だが、ユーリはいまだ健在。

 肌が裂け、肉を焦がしながらも、決して倒れず、剣を振り続ける。


 なんと愚かしいほどに、そしていて輝かしいほどに真っ直ぐなのだろうか。

 決して特別な力を持って生まれたわけでも、強力な加護を授かったわけでもない。ただの一人の青年が、たった一人の人間が、天上天下に比類なき己に迫ってくるなんて。

 ユーリ自身が言う通り、彼には才能というものがない。ただ愚直なまでに、何度も何度も剣を振り続けてきた。

 その行いが、生き方が、精神が、心が、全てが一つになり昇華する事で、彼の剣は万象に及ぼす奇跡に届いた。


 それだけではない。

 今尚レアからの滾る殺意に身を晒されながらも、彼は今も人間と魔族と、魔王レアと手を取り合えると信じていた。

 実際に何度もレアを斬る機会など多くあったのに、決してユーリはレアに剣を振る事はしなかった。

 人間と魔族の共存。それはきっと素晴らしい願いなのだろうが、それに良い感情を持つ者は少ない。

 きっと罵声を浴びせられた事だろう。物を投げつけられた事もあったろう。裏切り者と蔑まれた事だろう。仲間も連れずたった一人で魔王のもとへ来たのが、彼の壮絶な旅を物語る。

 数々の怒りと失望を向けられようとも、彼の心は決して折れる事はなかった。

 現に今、彼はこうして立っている。強靭な肉体によってではなく、希望を宿した精神によって彼の体は不撓不屈の化身となっていた。


 愚かだと一笑できよう。しかしレアは、彼がとても眩しいものに見えていた。

 今まで会った事ない人間であり、とても面白く、珍妙な存在。人の善性を信じ続ける、まるで善性のお化けみたいな奴。

 己とはまるで正反対なのに、レアの心はどこか彼に惹かれていた。


 思い返せば、この時からレアはユーリという人間に敗北していたのだろう。

 彼の陰る事のない善性を見て彼女は、勝ちを譲ってもいいと思ってしまった。

 決して手を抜いた訳ではない。全身全霊を込めて千の魔法の最後を放ち、それを斬ってみせたユーリに不思議と悔しいという感情が湧かず、敵なのに我が事のように嬉しいという感情しか浮かばなかった。



「──見事、見事じゃユーリ。よくぞ千の魔法その全てを耐えきった。約束通り、わしへの不敬の罰を放免し、其方の勝利とする」


 壮絶な死闘の幕引きは、レアの言葉によって行われた。

 両者が繰り広げてきた死闘は言語を絶する規模であり、周囲には無数のクレーターや炎が燻り続け、溶けた地面から煙が上がり巨大な氷山が作られたりと周囲の生態系を丸ごと変えてしまった。

 それ以外にも、大陸に外へ飛んでいった魔法はどこかの小島を地図から消してしまったり、本人たちは知らないだろうが国のいくつかが地面から消え失せていた。


 両者の姿はまるっきり逆で、敗者であるはずのレアには衣服の乱れ一つなく、魔力も些かの衰えすら見せず、再び千の魔法を操る事ができるだろう。

 たいして勝者のユーリはと言うと、体には無数の裂傷に火傷や凍傷、あちこちから流れる血で全身を汚し、風が吹けば倒れてしまいそうだ。

 戦いが終わった事で緊張感がなくなり今にも倒れて眠ってしまいそうなユーリに苦笑を一つこぼし、レアは彼のもとへ歩み寄る。


「こらこら、まだ終わらせるにはちと早いぞユーリよ。お主にはまだ、前人未到の大偉業が残っているではないか」

「ちょ、ちょっとレア!?」


 満身創痍で膝をついていたユーリの頭を、まるで子を褒める母のように優しく撫でたあと、レアはユーリの剣を素手で掴み自らの喉元へ鋒を当てた。

 ユーリが突然の事で慌てて手を引いてしまった事で剣を掴んでいたレアの白い手から真っ赤な血が流れるが、痛みに顔を歪める事なくレアは更に剣を強く握りしめる。


「何を驚いておる? ここに勝者と敗者は定まった。そして我々は魔王と勇者。であれば、敗者は勝者の手によって討たれるのが道理。お主はただ、その理に従いわしの首を落とせばいいのじゃ」

「だ、だめだよ! そんな事はできない! 僕は、君を倒すために戦ったわけじゃない! 僕は皆が──」

「平和に暮らせるため、じゃろ? その願いはわしを討つ事で為されるぞ。歴代最強と恐れられた魔王が負けたのじゃ、皆が其方を恐れ、永く続いた戦争はこれで終わる」


 レアは歴代最強の魔王と魔族からも恐れられ、長い間頂点に君臨していた。その恐怖の象徴にして切り札を失ってしまえば、魔族の戦意を挫くも容易。勢いをそのままに終戦にまで持ち込めるだろう。

 そうすれば、互いの傷が増すばかりのこの戦争も終わり。命を奪い合う事もない。


「でもそうなったら、負けた魔族の人たちは……」

「負けたのじゃ。良い扱いはされぬだろうが、それが平和というものじゃ。なあに、そこはお主の頑張りどころで、わしを倒した力を示せばお主の言葉に従おう。これで世はお主の思うままに平和となり、お主の願いは果たされる。どこに躊躇うところがあるのじゃ?」

「それじゃあ結局、力で従わせるだけで何も変わらないじゃないか。僕はそんな世の中を変えるために戦ってきたんだ。それに、きみのような女の子を犠牲にして成り立つ平和なんて、僕は嫌だ!」


 ああ、なんと思い通りにいかない勇者だろうか。

 この全身全霊を賭した戦いでレアは己の敗北を受け入れたし、死も当然なものと決めていた。そこに微塵の後悔などないし、自らの誇りとユーリの覚悟を汚すためあってはならない。あったとしたら、きっと彼女は自害でもしていただろう。

 だというのに、まるで自分が傷付いたかのように悲しみで涙を滲ませて、ユーリは手に持っていた剣を離し血が流れているレアの手をそっと優しく握った。


「な、なにをしているのじゃユーリ、離さぬか」

「離さないよ。僕はねレア、僕が目指している平和っていうのは、皆が笑って暮らしていけるものなんだ。力で抑えつけるんじゃなく、恐怖で縛るんじゃなく、ましてやきみのような女の子が血を流していいものなんかじゃない。世界はもっと、優しくあるべきなんだ」


 優しくゆっくりと、一本ずつレアの指を掴んでいる剣から離す。

 やがてレアの手から剣が離れて地面に落ち、続いてレアの手の平からも血が流れ落ちて地面を汚す。


 平和とは、片方に不和を押し付け、もう片方が平和を享受するものだとレアはいった。この世に平和の総量は決まっていて、片方が独占する事で平和になれると。

 しかしユーリは、それは違うと断じる。

 双方が分かり合い、歩み寄り、手を取り合っていけば、いつしか世界の全てを包み込める。誰かに負債を押し付けるのではない、悲しみを背負わせるのではないと。この世界はもっと優しくなれると、ユーリは信じていた。


「もう、誰にも血を流してほしくないんだ。悲しませたくも、涙を流させたくもない。レア、きみもそうなんだよ」

「人間にとって恐怖と憎悪の象徴であるわしすら、救うと言うのかお主は。まったくとんだ欲深な奴じゃな」

「人を救うなら、僕は誰よりも欲張りだよ。昔から諦めるのだけは下手でね」

「そうであろうな。お主のその不屈の精神性に、わしは敗北したのだから」


 魔法は魔力を操るものだが、その魔力は術者の精神に大きく左右される。レアは他と隔絶した無限に近い魔力を保有しているが、それを支えているのは自身を絶対強者と憚らない傲岸にして不遜なる精神である。

 彼女との戦いは、つまりは精神の優劣を競うこと。そしてユーリは、その不屈な精神を以ってレアに打ち勝ってみせた。

 故に、レアはユーリに惹かれ、完膚なきまでに敗北を認めたのだ。


「で、わしを殺さぬのであれば、どうするつもりじゃ? お主であれば、わしの身も心も好きにしてよい。お主にはその権利があるし、わしも受けれるつもりではあるぞ?」


 その美しくもガラスのように儚く、数百年の大木のように強いユーリの精神に、その在り方にレアは既に見惚れていた。有り体に言ってしまえば、惚れてしまった。

 もしユーリが求める(・・・・)のであれば、レアは快く応じるつもりであった。

 自分の手を握りしめるユーリの手を、胸元へと押し付ける。


「な、なにをバカな事を言ってるんだい!? 女の子がそんな冗談を言っては駄目だよ!」

「むぅ、わしは本気なのじゃが、まあいずれはお主を振り向かせてみせよう」


 しかし、ユーリは顔を真っ赤にしてレアの胸から手を離す。

 レア本人としてはいたって真面目で言ったのだが、相手にされなかった事に不満で頬を膨らませるが、明晰な頭脳でゆっくりと時間をかけてユーリを虜にようと思考を切り替えた。


「それで、お主はこれからどうするつもりじゃ? わしを討ってないとしたら人間どもは納得せぬし、現状は何も変わっておらぬぞ」

「変わったさ、それも大きく。今まで僕一人だったけど、今はきみがいる。もう一度聞くけど、一緒にこの世界を平和にしないかい?」


 もう一度差し伸べられる手。一度目は戯言と切り捨てて拒絶した。

 しかし今は違う。己に打ち勝つ程の精神性を見せつけられれば、戯言と言ったのは撤回しなければいけない。

 それに何より、敗者が勝者に従うのは当然の事。元より断る理由などなく、寧ろ彼が抱く願いがどのような結末を迎えるのか知りたかった。


「……よかろう。お主の祈り、お主の希望、それがどこに行き着いてみせるのか、その果てを共に見届けようではないか。其方の終わりまで、わしは常にお主と共にあろう、ユーリ・アルブレイド」


 ユーリの大きな手に、小さな手が重ねられた。それは彼と共に歩き、苦楽を分かち合う誓い。

 一方は人々の善性を信じてやまない希望の象徴たる勇者。

 もう片方は自らを悪性と評し絶望の権化たる魔王。

 決して互いに交わる事のなかった相反する二人。白と黒。それが果たしてどのような変化を世界にもたらすのか、それは誰にも知らない。

 ただ、この停滞した世界は小さく、だがたしかにゆっくりと動き出した。

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