勇者ユーリ
幼女は好き? 好きじゃない? 尊いよね。
「むぅ、暇じゃのう」
静寂な空間に、気怠げな声が響く。
声の主は髑髏の異形、人外の王である魔王。
己しかいない空間で魔王は深く玉座に腰を下ろし頬杖をついて、空いてもう片方の手を肘掛けに乗せカタカタと指を鳴らす。
この城に住まうは王である魔王とそれに従う使用人たちのみ。無駄に広い城内はただ持て余すばかりで、何よりいつもと変わらぬ日常が退屈で仕方なかった。
「勇者が来れば少しは退屈しのぎになるのじゃが……エアル、前の勇者はいつ来たんじゃったか?」
「およそ七年前です。現在は新たな勇者が選定されたようで、あとしばらくすればこの城に辿り着けるかと」
魔王が呼ぶと、銀髪の美女が空間を歪ませて側に控えていた。
退屈と暇を持て余した魔王の最大の娯楽は、今やたまに攻め込んでくる勇者の襲撃のみ。
最初は魔王を決めるための権力争いでそれなりには忙しい日々であったが、魔王となってからは歯向かってくるのは勇者と呼ばれる者のみ。それを暇潰しとしては、希望の象徴である勇者を何人も屠ってきた。
「そうか。それで少しは暇を潰せるといいのじゃが、今代の勇者はどんな感じじゃ?」
「人間たちの評判では、歴代最強などと持て囃されています」
「歴代最強……過去にもそんな評判だった勇者が何人かいたのう」
「全部で四人です。うち一人は評判通りで魔王さまを最も手こずらせませたが、他は人間たちの指揮を向上させるための欺瞞工作でした」
「そうであったか。此度の勇者は評判通りであると嬉しいのじゃがな。最近は物足りぬ相手ばかりで、このままじゃと人間を滅ぼしてしまうかもしれん」
魔王は、その気になれば久遠に近く重ねてきた魔族と人間との闘争を終わらせる事ができる。しかもおそらく数日の内に。
しかし、魔王はこの長きに渡る闘争を終わらせようとは思わなかった。
歴代最強と怖れられた魔王にとって人間や魔族などは最早ただの有象無象に過ぎず、両者の争いなど犬と猫の縄張り争いと大差ないのだ。
勇者との死闘も、魔王にとっては犬がじゃれついてきた程度。しかし獣同士の小競り合いなど欠片も興味なく、いい加減に煩わしくも思ってきた。
喧しく吠え回る獣は、処分されるのが当然。
まず適当にどこかの国でも滅ぼそうかと、手の平に魔力を溜める。
──が、門の前の気配を感じて魔法の発動を一旦止めた。
「──随分と物騒な出迎えをするんだね、魔王」
門を開けて中に入ってきたのは、一人の青年。
砂金のように煌めく金の頭髪は短く切り揃え、晴れ渡る空のような綺麗な青い瞳。どのような使い方をすればそうなるのか、十字の形をした剣は半ば聖遺物と変質していた。
「勇者か? 随分と速い到着じゃな。あと数瞬来るのが遅れてたら、どこかの国が消し飛んでおったぞ」
「本当かい? それは危機一髪だったね。急いで走ってきた甲斐があった」
芝居掛かったリアクションと一緒に僅かに零す笑みを見て、魔王は一瞬面食らった……ような表情をした。
今まで一度の例外もなく、勇者が魔王へ向けてきた感情は敵意と正義感のこもった殺意のみ。
しかし今回の勇者には、そのような敵意や殺意といった感情は感じられなかった。
魔王は、少しだけ興味が湧いた。
「……変わった奴じゃな。今までの勇者は性別や年齢の違いこそあれ、わしを滅する意思だけは統一されていた。貴様も、わしを滅しに来たのではないか?」
「うん、皆からはきみを倒せってしつこく言われたけど、本当の事を言うと僕には君たちを倒すなんて考えはないんだ」
「ほう……」
今まで、こんな事を宣った勇者など、いや、誰一人として魔王である己を見て倒さないという事を言った大馬鹿者はいなかった。
だってそうだろう。魔族と人間は永い時の間に争い続け、どちらが片方を滅ぼさない限り終わる事のない螺旋の中にいる。
これは生存競争なのだ。
こちらが生き残るために、相手を滅ぼす。
相手を滅ぼさねば、こちらが滅ぼされる。
もはや自然の摂理にも近しい両者の不文律に真っ向から対立している勇者に、魔王は俄然興味が湧いて出た。
「貴様、勇者じゃろ? そのような事を言っていいのか?」
「他の人に聞かれたらマズイね、下手したら教会に異端裁判をかけられちゃう。でも、ここには僕たちしかいないし。それに、僕は信じているんだ。いつかきっと、僕たちときみたちは共に暮らせるって」
「共に暮らす? 魔族と人間かが? ク、カカ、クッカッカッカッカ! これは面白い! 酷く面白いぞ勇者よ!」
魔王は笑う。それはもう酷く笑う。全身の骨をカタカタと鳴らし、地獄の蓋が開いたかのような地の底から響く声が空間を揺らす。この場に心の弱い者がいたならば、それだけで正気を失わせる程の恐ろしさであった。
だがこの場にいるのは、最強を名乗るのに相応しい猛者のみ。両者とも、柳に風とばかりに涼しい顔をしていた。
「クッカッカ! こんなにも笑ったのはいつ振りじゃ? まさか魔族と人間が共存できるなどと宣う輩がいようとはな。しかもそれが、人間どもの希望を束ねる勇者だとは……幾人もの勇者を見てきたが、わしを笑い殺そうとした者は貴様が初めてじゃ」
「酷いな魔王、そこまで笑うことないじゃないか」
「笑うじゃろ。でなければ烈火の如く怒るか、貴様が言葉にしたのはそういうものじゃ。魔族と人間がどれほど憎み合っているか、貴様も知っているじゃろう? わしが産まれるよりも昔から争い、積み重ねた憎しみは最早消えようもない。それを、貴様は消そうというのか?」
人間と魔族の対立は遥か永く続いており、積み重ねた憎しみは決して消えない。
人間の子供は魔族がどれほど憎い種族なのか教えられ、魔族の子供はいかに人間が悪であるかを教わって育てられてきた。
そして戦争によって互いの家族や親しい者たちを殺され、両者の憎しみは更に深まる。それが数百年だ。
時が経とうと両者の傷は癒える事なく、寧ろ増すばかり。
それを消してみせると、勇者は言った。
「消してみせるとも。僕は人間も魔族も、本質は善いものだって信じている。だからきっと、お互いにわかりあって手を取り合える。そのために魔王、僕はきみを倒したくない。一緒にこの世界を平和にしないかい?」
剣を鞘に納め、魔王に手を差し伸べる勇者。その表情は本当に世界を平和にできると確信しているものだった。
「普通、こういうのは魔王が勇者に世界の半分をやるから仲間になれと言うものではないのか? まさか勇者から仲間になれと誘われるとはな」
「協力してくれるかい? きみと一緒なら、僕も嬉しいんだけど」
「戯言はそこまでにしておけよ勇者」
それは明確な拒否。勇者の言葉と信念を、魔王は戯言と称して切り捨てた。
「貴様は二つ思い違いをしているぞ勇者よ。まず一つ、貴様は人の本質が善であると説いたが、わしの本質は悪性そのものじゃ。貴様の善性とは相容れぬ」
ゆらりと、魔王は玉座から腰を上げる。
滲ませた怒気は濃密な殺気となって溢れ、手の平に収束させた魔力は周囲の景色を歪ませるほど膨大で、否が応でも死を想起させる。
「そしてもう一つ。わしを倒したくないじゃと? 貴様の酔狂な口振りには笑わせてもらったが、その不敬は見過ごせぬのう」
魔力はやがて猛々しい嵐となり、暴風を凝縮したそれは翡翠の輝くを放つ槍となった。
触れたものを全て刺し貫く魔槍の穂先は、勇者へと向けられる。
「不敬の対価として、我が魔法を馳走してやる。悔いて逝くがいい。〈暴乱ノ嵐槍〉」
骨の指先をスッと動かすと、暴風の槍は瞬きの疾さで射出された。
音すら置き去りにして空間を裂きながら暴れ進み、勇者の肢体を千切ろうとする。
「──〈万象斬断〉」
暴風を斬り裂く、銀の煌めき。
勇者が抜き放った剣から美しい閃光が煌めき、勇者を引き裂こうとしていた槍を両断した。
内包された風が解放され辺りを突風が襲い勇者の金の髪を激しく揺らすが、勇者は目を閉じる事なく眼前の魔王を見据える。
勇者の斬撃は風の槍を切り裂いて尚も進み魔王の頭上を掠める。その鋭さは些かも衰えず、防御魔法が幾重にも施された堅牢な城の外壁を綺麗に断ち切ってみせた。
「ほほう、わしの魔法を斬ってみせるか。随分と稀有な技を持っているようじゃの」
「僕は他の勇者みたく器用じゃないからね。魔法が使える訳でも多彩な技を持っている訳でもない。僕がたった一つできるのは、この剣を振るだけ。ただそれだけだから」
「愚直なほどに邁進して到達した、究極の一か。わしのように千の魔法を極めたのとは真逆じゃな。その気質もわしとは正反対じゃし、まさに魔王と勇者の在り方そのものじゃ。であるならば、この容れ物を捨て真の姿で相手をするのが礼儀というもの」
立ち上がった魔王は両手を広げると、眼窩で渦巻いていた赤い光が消え、頭蓋が床へと転がり落ちていった。
それから背骨へと続き指や足の骨へと伝わり、次々と魔王の体をつなげていた骨は崩れ落ちていき、床に積み重なった骨の残骸からは魔力も何も感じられなかった。
「──誇りに思うがよいぞ今代の勇者よ。わしの真の姿を見せるのは貴様が初めてじゃ」
勇者の眼前で空間が裂け、やけに高い声が聞こえてくる。
光をも呑み込む漆黒の孔から噴き出してくるのは、先ほどよりも膨大な魔力。
まるで大気が泥にでもなってしまったかのように喉に粘つき肺を重く満たす空気に、流石の勇者も溜息にも似た笑みをこぼして額に一粒の汗を流す。
「覚悟するがよい。この姿になった以上、加減というものを知らぬからな。存分に足掻いてみよ」
「え、そんな、お、女の子!?」
しかしその緊張も、孔から出てきた人物の姿を見て一気に解れた。
まさに恐怖と死が具現化したかのような恐ろしい姿からどのような異形が出てくるかと思えば、勇者の予想を裏切り出てきたのは幼い少女。
夜を押し込めたかのような黒い髪は床に届く程に長く、吸血鬼かのように太陽の光を浴びなかった白磁の肌。卵のように丸い顔に反して妖しく輝く紅玉の瞳を宿す目つきは鋭く、王の気質を携えている。
髪と同じく床に届いている真紅のマントに、魔族の証たる頭部に生えた二本の角。外見とは似合わない大人が着るような華美な黒のドレス服を着用し、まるで子供が無理に背伸びして大人の恰好をしている印象を受け、人形のように整った顔立ちも重なって可愛らしいという言葉がしっくりくる。
緊張の面持ちから一転してポカンとした勇者の顔を見て、魔王はイタズラが成功したかのような笑みを浮かべた。
「むふふ、面白い顔をしておるの。もっと恐ろしい怪物が出てくるかと思ったか?」
「う、うん。まさかこんな可愛らしい女の子が出てくるなんて思ってなかった。きみ本当に魔王かい?」
「失礼な奴じゃのう。わしこそが最強にして真の魔王である、レア・ジュエルベルじゃ。この名を告げるのも貴様が初めてじゃぞ」
「それは嬉しいね。僕はユーリ・アルブレイド。これからよろしくね、レア」
「相変わらず気の抜けた奴じゃな。これから壮絶な死闘が始まるというのに……まあよい、まずは場所を変えるとするぞ」
魔王レアは白く小さな指で空中に四角を描くと、まるでオセロのように引っ繰り返り、別の景色が映し出される。
それが他の空間にも広がっていき、やがて二人がいたのは城ではなく広大に伸びる荒野であった。
「加減ができぬこの身じゃと、わしの城が崩れてしまうからの。片付けるエアルからの小言がうるさくてかなわぬ。この荒野でならば、存分に力を出せよう」
両者が立つ地は、カルナヴァ大荒野。長年に続く戦争の舞台となり草木も枯れ果ててしまったが、これから行われる死闘には御誂え向きだ。
ひび割れた大地が、レアから漏れ出した魔力で更に亀裂が走る。空間が不安定となり景色が歪に捻じ曲がり、転がっている小石が浮き上がる。
「貴様は真っ向から叩き潰すと決めた。故に搦め手も使わぬ。これより貴様に襲いかかるは千の魔法、その全てを耐える事でわしへの不敬の贖罪とし、貴様の勝利とする。まずは第一の魔法──」
大気が震えるのが、感じる。なにかが空気を叩き、ユーリの肌が波打つ。地面が揺れ、足元から伝わり内臓が震える。
これから起こる、今まさに起ころうとしている破壊にユーリは辺りを見渡して警戒する。
が、ソレは地ではなく、空でなく、天から現れた。
「……あ、あはは、これはやり過ぎだよレア」
ユーリから、乾いた笑いが溢れる。
周囲の陽光を遮り、空を覆う雲が千切れ飛び、天より顔を覗かせるのは────巨大な岩。
レアが呼び寄せたのは、着弾すれば周囲の生物を根絶やしにする程の巨大隕石であった。
それは最早、人を一人滅ぼすには過ぎるものであった。
本人であるレアですら無事では済まないはずの破壊の権化を前にしても、レアの耳まで届くような裂けた笑みは変わらない。まるで楽しい演劇でも見るかのように、レアはユーリを見つめる。
「〈星降リ〉。ユーリよ、これくらいで終わってくれるなよ?」
それが、崩壊の合図。絶滅の開始。
天に鎮座する隕石は不気味なほどゆっくりと、しかし確実に、不穏な音を鳴り響かせて降下してきた。




