一触即発
また間が開きました。
夏はやっぱり忙しいです。
高家筆頭吉良家、足利家に連なり古くから続く名家の中の名家である。
その家臣ともなると出自も確かである。
一部の例外を除いて。
その一部の例外に当てはまるのが、清水一学という男だった。
元々は吉良上野介の所領である宮迫村の農家に生まれた農民であったが、吉良家の陣屋にて剣を習っていた。
それが運良く上野介の妻である富子の目に止まった。
富子の目には幼くして亡くなった息子の吉良三郎と瓜二つに見えた。
その事から富子は上野介を説得し、一学は士分に取立てられ、中小性として吉良家に仕えるようになった。
「そんなこんなで武士の端くれとなったわけだが、他の連中にしてみれば面白くない。あれこれと雑用を押し付けられたりするわけだ。領地への往復の用があると決まって回されてくるんだぜ」
「ああ、上の人に目をかけてもらうと同僚の当たりがきつくなるんですよね。わかります」
「そうそう。別にお前らの出世の邪魔してるわけじゃねえってのに」
「そうやって他人をいびりたがる人に限って仕事ができないんですよね」
「それな!」
吉良家の清水一学と、浅野家の中山新三。
不倶戴天の両家に仕える二人は、すっかり意気投合していた。
主君の正室の目に止まり取り立てられた一学と、筆頭家老に目をかけられている新三。
通じるものがあったのか、まるで数年来の友人のように談笑していた。
「それにしても兄さんが赤穂の者だと知った時は驚いたぜ」
「それはこっちも同じですよ。まさか吉良家の人と、こんな所で出会うとは夢にも思いませんでしたから」
「主君同士が衝突したからって、家臣もいがみ合わなくても良いんだよな」
「そうですね。別に命令されてるわけでもありませんし」
「あ、でも斬り合いたいなら大歓迎だぜ」
「勘弁してください」
どうにも一学という男は血の気が多いらしく、酒を飲みに誘うぐらいの感覚で斬り合いたがる所がある。
「江戸に行くのもウチの引っ越しが関係してるんだろう?」
「まあ、そんな感じですね」
隠した所で向かう方向が同じなので、新三は素直に言った。
「主君の仇討ちーって襲撃する為に召集かかったんだろう。楽しみだな!」
「残念ながら逆です。僕は仇討ちを主張してる人達を止めに行くんです」
「なんで! もったいない!」
本気で残念がる一学に新三は呆れた。
「好機だろ。引っ越し先は本所だぜ? 何も無いんだぜ? ご近所さんには迷惑ってだけで、存分にやり合えるんだぜ?」
「嫌ですよ。おっかない」
「若者が何を言ってやがる。命のやり取りこそ生の実感を得られる場じゃねえか。斬り結ぶ太刀の下は地獄だが、踏み越えれば極楽って宮本武蔵も言ってただろ」
剣術において有名な文句であり、宮本武蔵だけでなく多くの名だたる剣豪が説いたと言われている。
誰が最初に説いたのかは不明だが、宮本武蔵の言葉として伝わっている事が多い。
「それって相手の刃の下をくぐって斬れって意味では?」
相手が振るう刃の下をくぐれば、懐に飛び込める上に攻撃後の隙だらけな相手を一方的に攻撃する事が可能になるという極意を説いたもの。
言うは易しだが、実際に行うには度胸と見切りと身体能力が必要となる。
まさに心技体合わせ持って初めて可能となる奥義だと新三は解釈していた。
「間違ってねえだろうけど、即物すぎるだろう」
新三の解釈も間違っているとは言えないが、この言葉の解釈として一般的なのは、恐れず前に踏み出す勇気を持つ事が大切なのだと説いているとするものだ。
一学の死生観を説いたものだとする解釈も一般的ではなく、むしろ少数派だ。
「いやでも、実際に道場でやってみたら簡単に勝てるようになりましたよ」
「ほほう、やっぱり見込んだ通り兄さんは強いんだな」
一学が獰猛な笑みを浮かべるのを見て新三はしまったと思った。
この手の輩は少しでも腕の立つ相手を見つけると戦いたくて堪らなくなるのだと、新三は剣の師が同類なので知っていた。
「なあ、兄さんよ」
一学の左手が腰の物を掴み、鞘尻を上げる。
右手はだらりと脱力しているが、それは力を抜くことで最速の動作を可能とする為だ。
「おおっと、あれは何だろう! ヒラタケかな!」
わざとらしく叫びながら新三は藪をかき分けて樹木の根本へ向かった。
「いや違った! これはサルノコシカケだ。いや~残念残念」
その様子に呆れたのか、一学は左手で握っていた鞘を元の位置に戻して手を放した。
「あー止めだ止め。兄さん乗りが悪いぜ」
「その場の乗りで斬り合いとか嫌ですよ。武州ですらもう少しはマシでしょうに」
「はぁ……戦国の世に生まれたかったぜ」
しみじみと一学は言うが、戦国の世でも好きで戦っていた者は極少数だっただろう。
「俺ぁよ、此度の件で絶対楽しい世の中になると思ってたんだよ。赤穂が動いてくれて、そしたら上杉が動いて、どさくさに紛れて腹に一物ある外様大名が幕府に牙を向けて、そして再び戦国時代へってな!」
あながち妄想と言い切れず、実現しそうな可能性があるのが恐ろしい。
外様の特に西の大名は幕府に仕えていながら内心で何を考えているのか怪しい所がある。
「おっと三つ葉発見。摘んでいこう」
「無視かよ!」
暖簾に腕押しだった。
「そっちがその気なら、こっちも考えがあるぜ。へへへ」
なにやら怪しい笑いを浮かべる一学は無視して新三は三つ葉を懐紙に包み、肩にかけていた振り分け荷物の紐をほどいて中に入れた。
「兄さんはよぉ、うちの殿と内匠頭のどっちが原因だと思うんだい?」
「おっと、そう来ましたか」
非常に危険な発言だ。
それこそ血気盛んな江戸詰の者なら言い切る前に斬りかかっているかもしれない。
浅野家の家臣としては非があるのは吉良上野介の方だと主張したいが、相手は吉良家の家臣なので、当然悪いのは浅野だと言うだろう。
そして言い争いとなり、それが発展して斬り合いへ。
それが一学の狙いだ。
「僕は吉良殿が嫌がらせを、と聞いています」
またはぐらかして煙に巻く事も考えたが、新三はせっかくの機会なので、吉良側の言い分も聞いてみる事にした。
「まあ世間一般だとそう言われてるわな」
数々の嫌がらせに我慢しきれなくなった内匠頭が刃傷におよんだ。
「でもよ、殿は何の理由もなく嫌がらせする人じゃあないぜ」
「嫌がらせをする理由があったと?」
「浅野の殿さんは賄賂を断ったそうだ」
吉良家は高家筆頭という立場から、その家格を保つために大金を使っている。
言ってしまえば見栄の為に金をバラ撒いているのだ。
そのバラ撒く為の金は、公的な収入だけでは足りない。
だから賄賂を要求する。
高家筆頭という立場は何かと融通がきくので、何かあった時は力になると、金をせびる事ができるのだ。
「賄賂なんて断って当然じゃないですか」
「あー、賄賂って言うと言葉悪いな。教授料? そんな感じだ」
「教授ですか。それなら饗応指南の正当な報酬が幕府から出るのでは?」
高家とはその為に幕府に仕えている。
宮中作法を教養の無い武士に教えるのが高家の役割である。
「教えるのは勅使饗応だぜ。高家筆頭である吉良家の奥義みたいなもんだ。幕府からの金とは別に要求するのは、当然の権利だ」
そう言われると賄賂を断ったのは失敗だったと思う。
「それにどんな理由があろうと殿中で刃傷は駄目だろう」
「それは、まあ」
思慮に欠ける行為だと言われ、何も言い返せない。
その為に藩は改易され藩士は浪人となっているのだから。
「その点うちの殿は反撃しなかったんだから偉いぜ。まあしなかったんじゃなくて、できなかったんだろうけどな。殿が刀抜いてる所なんて見た事ねえし」
一人の赤穂藩士として新三は何か言い返しておきたかった。
何かないかと考え、ひとつ思いついた。
「でも嫌がらせってのは、どうなんですかね。殿が失敗すれば、その責任は指南役の吉良殿にいくんですから」
自分で首をしめるようなものだ。
思慮に欠ける行為はお互い様だと含ませた言葉を新三はぶつけた。
それを聞き、一学は初めて困ったような顔をした。
「そいつは殿もわかってた筈なんだよな」
内匠頭が刃傷におよんだのは意地からだ。
そのことで藩士一同を浪人の身に落とす事になろうとも、大名として、また武士としての意地を見せる為に吉良を切ったと推測できる。
では吉良は?
「正直わからねえんだよな。なんで殿が嫌がらせなんてしたのか。そりゃあ賄賂を断った浅野に腹を立てたんだろうけど、失敗する訳にはいかない儀式中にやる必要はねえ」
指南している相手が失敗すれば、それこそ高家筆頭の名折れだ。
「だからよ、俺ぁ殿に聞いたんだよ。なぜ嫌がらせなんてしたんですかってな」
思わず吉良側の深い事情が聞ける事になり、新三は自然と一学の方へ前のめりになっていた。
「吉良殿はなんと?」
「聞くなってよ」
「は?」
「だから聞くなって。あとこの件は忘れろってさ」
「えー」
それは酷い。ここまで聞かせておいて肝心の所はわからず終いなど、生殺しも同然だ。
「聞いた時はやたらと殿も動揺しててよ、ありゃあもしかしたら、本当に何も考えずに嫌がらせしてたかもしれねえな」
「まさか。さすがに……っ!?」
さすがにそんな人が高家筆頭の当主などと言いかけて、新三はある考えが浮かんだ。
高家筆頭の当主が何も考えずに嫌がらせなどする筈がない。
内匠頭が失敗すれば、指南役の自分が責任を負う事のは明白。
だが、失敗する事で得をする人間がいれば?
その相手と吉良が何らかの取引をしていれば?
そうであれば一学に「聞くな」と言い、「忘れろ」と命じた理由にもなる。
勅使饗応という大役を失敗させてもお釣りがくるような取引を持ちかけれる人間など多くはない。
松ノ廊下事件の裏には何かとてつもなく大きな陰謀が隠されていた?
「いや、まさかね」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
浮かんだ考えを捨てて新三は一学と歩く。
赤穂藩士と吉良家臣。
宿敵同士の両者は、意外と平和に東海道を進む。
「ところで兄さん、そろそろやる気になった?」
「いいえ全然」
平和に。
ノベルアップ+でも公開しています。
あちらは加筆修正したversion1.2です。
こっちもそのうち直すと思います。
ノベルアップ+はルビふるのめっちゃ楽なので、ルビもふってます。




