第11話:追放令嬢は二度寝を邪魔されたくない
「……無理。絶対に、無理」
ガチガチと激しく歯の根を鳴らしながら、私は分厚い毛布の中で芋虫のように丸まっていた。
せっかくあの完璧な40度の熱湯で体の芯まで温まったというのに、自室に戻ってベッドに潜り込んでからわずか数十分。
私の体温は、容赦のない『極寒の室温』によってみるみるうちに奪われていた。
ヒュー……、ガタガタガタッ!
窓枠を揺らす不気味な音と共に、氷のように冷たい北風が容赦なく部屋の中へと吹き込んでくる。
この黒曜辺境伯領の領主の館は、堅牢な石造りではあるものの、いかんせん築年数が古すぎるのだ。
窓の立て付けは悪く、石のブロックの継ぎ目からはスースーと隙間風が入り込み、部屋の中は文字通り『巨大な冷蔵庫』と化している。
毛布にすっぽりと包まってはいるものの、呼吸をするためにどうしても外に出さざるを得ない顔の表面が、痛いほどに冷たかった。
吐く息は真っ白に染まり、鼻の頭はすでに感覚がない。
「うぅ……冷たい……」
お湯で開いた毛穴から、蓄えられた熱が猛烈な勢いで逃げていく。
前世の過酷なブラック労働で削られた私の寿命は、この『最悪の湯冷め』によってさらに縮められようとしていた。
王都の公爵邸では、こんな惨めな思いをしたことは一度もなかった。
隙間風など一切ない分厚い絨毯の敷かれた部屋で、常に暖炉には上質な薪がくべられ、適温が保たれていた。
それが公爵令嬢としての『当たり前の生活』だったのだ。
(ああ、温かいお風呂に入って、ふかふかのベッドで泥のように眠りたい……ただそれだけなのに!)
前世の徹夜明けの夜、そして今世での過酷な書類仕事の夜。
いつだって私が求めていたのは、誰にも邪魔されない『完璧な睡眠環境』だった。
眠気は確実に来ているのだ。
副交感神経は優位になり、脳は休息を求めている。
だが、顔に吹き付けるマイナス以下の冷気と、足先からジワジワと這い上がってくる麻痺の感覚が、脳に『寝たら死ぬぞ』という強烈な警告信号を送り続けている。
「……イライラするわ」
暗闇の中で、私はギリッと奥歯を噛み締めた。
このままでは、風邪を引くどころか本当に凍死してしまう。
かといって、部屋の隅にある古びた暖炉に火を入れる気にはなれなかった。
暖炉の火を燃やせば、確かに顔や体の表面は熱くなるだろう。
しかし、燃焼には空気が必要だ。
暖炉の煙突が空気を吸い上げることで、部屋の隙間からさらに冷たい外気が引き込まれ、『顔は熱いのに背中と足元は氷のように冷たい』という最悪の温度ムラを引き起こす。
おまけに、換気を怠れば一酸化炭素中毒で今度こそ本当のゲームオーバーだ。
「薪をくべ続ける労働も、火の番をする煩わしさも、全部御免よ……!」
毛布の中で震えながら、私の中の『元・土木エンジニア』としての血が、かつてないほどの熱量で沸騰し始めた。
必要なのは、部屋全体を均一に、安全に、そして何より『私が何もしなくても』半永久的に温め続ける恒久的なインフラ。
顔だけが熱くなるような欠陥設備ではなく、足元からじんわりと、部屋全体を春の陽だまりのように変える究極の空調システムだ。
「よし……決めたわ」
私は冷え切った毛布をバサッと蹴り飛ばし、氷のような石の床の上に素足で降り立った。
ジンッ! と足の裏から痛烈な冷たさが突き抜けるが、もはや気にならない。
私の心は、この理不尽な環境への怒りと、次なる建設プロジェクトへの熱狂で完全に支配されていた。
窓の外は、うっすらと白み始めていた。
吹雪の夜が明け、辺境の極寒の朝が訪れようとしている。
「どうせ寒くて眠れないなら……今すぐ、この部屋の構造を根本から叩き直してやる!」
私は分厚い外套を羽織り、部屋の中央に立って、足元の石床を鋭く睨みつけた。
頭の中に展開するのは、古代ローマ人が生み出した究極の全館空調システム――『ハイポカウスト(床暖房)』の緻密な設計図。
床下を丸ごとくり抜き、中空の柱を立て、地下で燃やした熱風を床下に循環させる。
さらに壁の中にも排煙のための素焼きパイプを通し、毒の空気を一切部屋に入れずに熱だけを抽出する完璧なロジック。
「私の安眠を妨害した罪は重いわよ、隙間風」
私は大きく深呼吸をし、両手に魔力を集中させた。
王都の魔術師たちなら『個人で使う魔法の規模ではない』と青ざめるような膨大な魔力。
しかし、公爵家の血を引く私の魔力容量と、前世の構造計算の知識が合わされば、これほどの造作もないことだ。
「私室の完全空調設備、施工開始……《アース・クリエイト》!!」
ズゴゴゴゴォォォ……ッ!!
私の詠唱と共に、領主の館の二階にある私室が、重々しい地鳴りを上げた。
足元の石の床が、まるで生き物のように波打ち、パズルのピースが分解されるように次々と空中に浮かび上がっていく。
ベッド、クローゼット、机。
部屋の中にあるすべての家具が重力を失ったように宙に浮き、床下の基礎部分が完全にむき出しになった。
「まずは床下空間の確保……。熱風が通るための空洞を作り、それを支えるための石柱を等間隔で形成する!」
宙に浮いた石材が魔法の光に包まれ、私の頭の中の図面通りに、高さ数十センチの短い柱へと変形していく。
それらが床下の基礎の上に、幾何学的な美しさを持って整然と並べられていった。
ガガガガッ! ズズンッ!
早朝の静寂を切り裂く、けたたましい破壊音と建設音。
間違いなく、館中に響き渡っているだろう。
しかし、完全に『現場監督』のスイッチが入ってしまった私の耳には、もはや何も届いていなかった。
「完璧よ……。次は壁に排煙パイプを通すわ。絶対に一酸化炭素を漏らさない、完全気密のダクトを……!」
私が目を血走らせながら壁の石材をくり抜き始めた、まさにその時だった。
「お、お嬢様!? 朝食のパンをお持ちし……うわぁぁっ!?」
バタンッ! と勢いよく扉が開き、お盆を持ったルークが部屋に飛び込んできた。
そして、床が完全にひっくり返され、すべての家具が宙に浮き、私が部屋を破壊――もとい、改修している異常な光景を目の当たりにして、彼は悲鳴を上げてその場にへたり込んだのである。




