祝福
「おまえらぁ! よくやったなぁ!!」
「――ぅぅ!」
オーランド軍曹の元に行くと、彼はわたしたちを見るとすぐに駆け寄ってきて、その大柄な身体を使って、わたしたちを抱きしめた。
大きな胴体が、わたしたちの顔を覆い、呼吸することが出来なくなるが、オーランド軍曹はそんなことを気にするそぶりもなく、わたしたちを抱きしめ続けた。
「ぐ、軍曹‼ 呼吸が出来てません!」
「落ち着いてください!」
先輩たちは、オーランド軍曹の腕を慌てて引きはがそうとした。腕を掴む者、背中を押す者、声だけで止めようとする者。
けれど、軍曹の腕はびくともしない。
「軍曹! 離してくださいってば!」
「窒息しますよ、ほんとに!」
「うぅぅうううぅ!!」
そうして、しばらく時間が経った時、オーランド軍曹はようやく腕の力を緩めた。
解放された瞬間、私は大きく息を吸い込んだ。肺が痛いほど空気が入ってくる。
グレン小隊長は、部下を褒めることはあまりしなかったため、そこを不満に思ったこともあったのだが、部下を褒めるタイプは、それはそれで迷惑な上司なんだと実感してしまった。
……仕方ないでしょ、もう少しで窒息死してしまうかと思たんだから。
「悪い悪い、つい、な」
オーランド軍曹は頭をかきながら笑った。
その笑い方は豪快なのに、どこか照れ隠しのようにも見えた。
「つい、じゃないですよ……ほんとに死ぬかと思いました」
ジグが胸を押さえながら言う。
肩が上下していて、まだ呼吸が整っていない。
「生きてるんだから問題ねぇだろ!」
オーランド軍曹は胸を張った。
その声に、周りの先輩たちが苦笑する。
「軍曹、もう少し優しくしてやってくださいよ」
「そうですよ。帰ってきたばかりなんですから」
先輩たちは口では文句を言いながらも、どこか安心したような顔をしていた。
そのおかげで、すこしだけ空気が軽くなる。
「セラも、ジグも、もっと自分のことを誇れ。この勝利は、おまえたちのおかげで手に入れたんだからな」
今度こそ、オーランド軍曹が優しく頭を撫でてくる。それは温かくて、どこか心が安らいでしまう。
でも、その温かさを心の底から受け入れることは出来なかった。何故なら、この勝利がわたしのおかげのモノだとは、到底思うことが出来なかったからだ。
確かに、わたしはこの戦いで活躍しただろう。
けれど、それだけだ。ジグやオーランド軍曹、それに先輩たちだって、それぞれ活躍し、勝利に貢献してきた。
だからこそ、わたしたちのおかげという表現には、違和感を覚えてしまうのだ。
それに……
(わたしが、それほど凄い兵士だったのなら、みんなは死ななかった)
その考えが胸の奥に沈んだ瞬間、視界が少しだけ揺れた。風が吹いたのか、ただ疲れているだけなのかはわからない。
「セラ?」
ジグが覗き込んでくる。
その顔は、さっきまでの笑いが消えていて、眉がわずかに寄っていた。
「……大丈夫ですよ」
そう言って前を向くと、オーランド軍曹がこちらを見ていた。
腕を組んだまま、何かを言いかけて、やめたような顔。
「無理すんなよ」
オーランド軍曹はそれだけ言って、視線を外した。
その横顔は、いつもより少しだけ静かだった。
「よし、撤退を再開する。背後に気を付けながら撤退しろ。魔力に余裕が無い者は、今のうちに薬剤を飲んでおけ」
「はい!」
全員の返事が重なり、部隊の空気が一気に引き締まった。さっきまでの笑い声が嘘のように消え、足音と装備の擦れる音だけが残る。
そして、わたしたちは、また殿としての位置に戻った。
この戦いのせいで、他の部隊とは少し距離が出来てしまっていたため、駆け足で進んでいく。
「セラ、魔力は?」
ジグが横に並びながら聞いてきた。
息は整っているのに、声だけが少し低い。
「薬剤を飲むレベルじゃないよ。あれって、出来るだけ飲まないほうが良いんでしょ」
「そうだな。まだ魔力が残っているなら、飲まないほうが良い」
ジグは前を向いたまま頷いた。その横顔には、さっきまでの疲れがまだ残っている。
後方の森から、風が低く鳴った。
枝が揺れ、葉が擦れ合う音が、妙に近く聞こえる。
「後方、異常なし」
先輩の一人が振り返りながら報告した。
その声は静かで、無駄がなかった。
「油断すんなよ。あいつら、しつこいからな」
オーランド軍曹が前方から声を飛ばす。
その声は大きいのに、どこか落ち着いていた。
わたしは深く息を吸った。
肺の奥に残っていた苦しさが、まだ少しだけ残っている。
けれど、足は止まらない。止める理由もない。
わたしは、生き残った者として、最大限働かないといけないのだから。
こうして、わたしたちは都市を次々と撤退していた。
まずは民間人を逃がし、その後に補給部隊や魔導隊を逃がしていく。そんなサイクル。
実際、これが一番死者を少なく出来る方法だった。
ダズ少将だけでなく、他の戦線にいた指揮官たちも、同じように都市を捨てて撤退し、出来るだけ死者を少なくしようとしている。
けれど、そうしたところで、何の意味があるのだろうか?
国土は、永遠に続いているわけではない。
都市を一つ捨てれば、その分だけ後ろに下がる場所は減っていく。 そして、後ろに下がる場所がなくなれば、そこで終わりだ。
ダズ少将の戦線だけではない。
北部でも南部でも、同じように都市が放棄され、部隊が後退していた。
敵は広範囲に散開し、各地で浸透を繰り返している。どの戦線も、押し返す余力を失っていた。
撤退は、ただの時間稼ぎに過ぎない。
時間を稼いでいる間に、どれだけの民間人を逃がせるか。
どれだけの兵を再編できるか。どれだけの物資を後方へ運べるか。
それだけが、今の戦争の目的になっていた。
もちろん、政治家の人たちは、この現状に対して何もしなかったわけではない。
他国に助けを求め、支援物資や義勇兵の派遣を要請し、外交官たちは昼夜を問わず動き続けていた。
だが、現状は甘くない。
事が起きたのは、バリエーヌやスレブルクよりと北で接している国――オゼアリム。
この国は、バリエーヌやスレブルクほど武器が発達しているわけではないが、兵士の数という観点から見れば、常に戦争を続けていたせいで、兵士不足になっている二国よりかは遥かに多かった。
それに加え、バリエーヌとスレブルクの両方に接している。
そのため、この国がバリエーヌの味方をしてくれるのなら、戦況が大きく変わる可能性があったのだ。
しかし、たった一つだけ、誤算があった。
それは、この国が臆病すぎたのだ。
必ず味方にするために、オゼアリムにはバリエーヌの大統領が、直接交渉に行ったのだ。
だが、十年に渡る戦争が一瞬で終わらせかけたスレブルクを恐れ、オゼアリムはバリエーヌの大統領を殺し、その首をスレブルクの皇帝に送ることで、自国のことを守ろうとした。
それは、歴史の転換点だった。
その事態を受け、バリエーヌの大臣たちは、無条件降伏をしようと準備を進めた。
もはや戦争を続けるだけの国力は残っておらず、これ以上の犠牲を出さないためには、それしか選択肢がなかった。
なのに、後世の歴史では、バリエーヌが無条件克服をしたと一言も書かれていない。
その理由は、新大統領が就任してからの動きにあった。
大統領の死を受けて、急遽選出された新大統領は、降伏文書の作成を中断し、各戦線の司令部に首都決戦を命じたのだ。
彼の名は、ヴァルター・グロズニイ。後に人類史最悪の狂人と呼ばれる人物。
後世の歴史家たちは試算している。
ヴァルター・グロズニイがいなければ、少なくとも二百万人は死なずに済んだだろう、と。
ただ、一つだけ言うのなら、彼は悪人と見なすには、少しばかり語弊があると言うことだけ。
彼がどういう人物なのかは、自分の目で確かめてほしい。
――第二章「撤退偏」完




