二人の軍曹
「ああ、忘れていた。これはお前に預ける」
臨時指令所から出ようとした時、わたしは背後からダズ少将に呼び止められた。
振り返ると、ダズ少将は、グレン小隊長の軍剣をわたしに対して差し出しており、その手つきは、まるで壊れ物を扱うように慎重だった。
「え……? でも、それは、……」
「このような老人が持っていても、何の役に立たないものだ。儂が持っておくより、前線で戦う兵士が持っていたほうが良い」
「でも、わたしでは使えこなせなくて」
そうだ、あの森の中で戦っていた時、わたしはその剣を使いこなせなかった。
剣を振ろうとしても、その重さに負けて、満足に振ることが出来ず、出来たことと言えば、盾が割に使うだけ。だから、わたしよりもオーランドさんやレン伍長に渡したほうが良いだろう。
わたしはそう思って、断ろうと口を開きかけた。
けれど――
「それに、今すぐ使いこなせと言っているわけではない。何年か先、使いこなせるようになれば、きっと役に立つはずだ。……その頃まで、戦争が続いていないのが、一番だがな」
「そう、ですね……。ありがとうございます」
わたしは、ダズ少将から、グレン小隊長の軍剣を、正式に受け取った。
その剣は、わたしにとっては、まだ重く、使いこなすことは出来ないだろう。けれど、いずれこの剣を使いこなせれたら、その時はきっと、グレン小隊長の部下として、胸を張れるような自分になっているはずだ。
「では、わたしはここで失礼します」
「ああ、何かあったら、儂のところに来い。ある程度のことは、してやれるからな」
そうして、わたしは深く頭を下げ、臨時指令所を後にした。
扉を開けた瞬間、外の空気がひんやりと肌を撫でた。さっきまで胸の奥に渦巻いていた熱が、少しだけ和らぐ。
けれど、腕に抱えた軍剣の重さだけは、まったく変わらなかった。
廊下を歩くたび、鞘がわずかに揺れて、金具が小さく音を立てる。
そのたびに、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「よし、それじゃあ、さっそく訓練しにいくか」
「はい」
オーランドがわたしに話しかける。
「改めて自己紹介をするぜ。俺は、オーランド・ヴォルク。階級は軍曹だ」
オーランドは腕を組んだまま、にやりと笑った。
挑発的で、乱暴で、でもどこか頼もしさを感じさせる笑みだった。
わたしは軍剣を抱え直し、軽く頭を下げる。
「わたしは……えっと、セラといいます。よろしくお願いします」
「よろしくな、セラ。アリサの奴のところから出ていきたくなったら、いつでも俺のところに来い」
「ははは……」
オーランド軍曹の冗談(?)を受け流して、わたしは苦笑いを浮かべた。
その軽口が本気なのかどうかは分からない。けれど、さっきまでの張り詰めた空気とは違い、どこか安心できる温度があった。
「ストップ、何勝手なことを言ってんの?」
「あ、アリサさん。喧嘩はやめてください……」
すると、背後からレン伍長とアリサの声が飛んできた。
振り返ると、アリサは頬をぷくっと膨らませ、レン伍長は半泣きのような顔でアリサの袖を引っ張っている。
「セラは私の隊に来るんだからね! 勝手に勧誘しないでよ!」
「お前が死んだ場合、またセラが浮くからな。その時のことを考えて言ったまでだ」
「あぁ? 私が死ぬって? どう考えても、アンタの方が先でしょうに!」
「言ったなコイツ。なら、今度こそ魔法か盾、どっちの方が強いのかためそうじゃねぇか!」
けれど、レン伍長の静止の声は、彼女たちに届かず、やっぱり喧嘩が始まってしまった。
こうなってしまった以上、どうすることも出来ない。だから、私たちはこの喧嘩を傍から見ることしか出来なかったのだ。
「レン伍長……」
「ごめんなさい、私にはどうにも……」
「ですよねー」
わたしたちは同時にため息をついた。
目の前ではアリサとオーランドが、まだ喧嘩を続けている。はぁ、何でこんなことになったのだろうか。
「はぁ、今のところはこれでいいや。勘弁してあげる」
しばらく時間が経った後、やっとアリサが腕を組み、ふんっと鼻を鳴らして喧嘩を終わらせた。
「あげるってなんだよ、あげるって」
「何でもないですー。それで、これからよろしくね、セラちゃん。私は、アリサ・イェルト。階級は、グレンと同じ軍曹ね」
「あ、よろしくお願い致します」
アリサはさっきまでの怒りが嘘のように、ぱっと明るい笑顔を向けてくる。
その切り替えの早さに、わたしは思わず瞬きをした。
「セラちゃんは可愛いねー。グレンと同じくらい可愛い」
「え……」
「目、腐ってんのか? お前……」
意味が分からないことを言われたわたしは、思わず瞬きをした。
アリサは本気で褒めているような顔をしているし、オーランド軍曹は本気で呆れている。
「ちょっとオーランド、何その反応。セラちゃん可愛いでしょ?」
「いや、可愛いとかじゃなくてだな……グレンと同じって何だよ。あいつは可愛い枠じゃねぇだろ」
「可愛いよ? あの無愛想で不器用なところとか、すっごく可愛いじゃん」
「お前の可愛いの基準どうなってんだ……」
アリサは胸を張って堂々と主張し、オーランド軍曹は頭を抱えている。
レン伍長はというと、完全に巻き込まれたくないという顔で距離を取っていた。
「え、いや……その……」
どう返せばいいのか分からず、わたしは軍剣を抱えたまま視線を彷徨わせる。
アリサはそんなわたしの反応すら嬉しそうに見つめてきた。
「ね、セラちゃんもそう思うよね」
「……セラ、嫌になったら、俺のところに来い。……本当に」
(癖が強すぎるよ、二人とも……。レン伍長のところに行きたいな)
けれど、ダズ少将が決めてしまったんだ。もう、どうすることも出来やしない。
わたしはただ諦めて、この流れに身を任せた。
「アリサさん、オーランドさん、時間は大丈夫なんですか……?」
すると、レン伍長が助け舟を出すように口を開いた。
その一声で、アリサがハッとして、わたしから視線を外す。
「そっか、そうだった。私の隊に、新型の銃のことを伝えなきゃいけないんだ。じゃ、セラちゃんまたね!」
嵐のように、アリサ軍曹は、くるりと踵を返して走り去っていった。
その背中は、さっきまで喧嘩していた人とは思えないほど軽やかだった。
「……行ったな」
オーランド軍曹がぽつりと呟く。
「行きましたね……」
レン伍長は胸を撫で下ろし、わたしも思わず同じ動作をしてしまった。
道には、アリサ軍曹が残していった熱気だけがふわりと漂っている。まるで本当に小さな嵐が通り過ぎた後のようだった。
「……あの人、いつもあんな感じなんですか?」
恐る恐る尋ねると、レン伍長は遠い目をした。
「はい……。あれでも、まだ落ち着いてる方です」
「落ち着いてる方……」
わたしは軍剣を抱えたまま、思わず空を見上げた。
オーランド軍曹は肩をすくめる。
「気にすんな。あいつはああいう生き物だ。慣れろ」
「生き物って……」
「事実だろ」
レン伍長は苦笑しながらも否定しなかった。
わたしはそっと息を吸い、軍剣を抱え直す。
(……癖が強い人たちばかりだけど)
不思議と、嫌では無かった。
ルークさんやシス伍長、それにグレン小隊長の死のせいで作られてしまった、心の空白を埋めようとしているだけなのかもしれない。
けれど、彼らの存在は、救いになりつつあった。
胸の奥にぽっかりと空いたままの穴を、無理に埋めようとするのではなく、ただそばにいて、騒がしくて、勝手で、でも温かい空気で包んでくれるような――そんな救い。
わたしは軍剣を抱え直し、そっと歩き出した。オーランド軍曹は前を歩きながら、ちらりとこちらを振り返る。
「じゃあ行くぞ、セラ。訓練場はこっちだ」
「はい、オーランド軍曹」
アリサ軍曹の嵐が去った廊下は、少しだけ静かで、少しだけ温かかった。
握り直した軍剣はまだ重い。
でも――その重さを、わたしは嫌だとは思わなかった。




