盾
無意識で、左手を前に突き出していた。勘に任せて、銃弾が飛んでくると予想していた場所に。
自分でも理由は分からない。考えるより先に、身体が動いていた。
ナニカが身体から抜け出したような感覚に襲われた。
胸の奥に溜まっていた熱が、一気に腕へと流れ込む。
血でも、息でもない。もっと軽くて、もっと鋭くて、もっと外へ出たがっていた何か。
「なっ」
そして、手の平の先に、とても小さな魔力の盾が生成された。ソレは、手の平よりも小さく、グレン小隊長や敵兵の青年の盾よりも薄い。
だが、そのくの字に折れたような形の光は、わたしに向けられていた銃弾の軌道を、わずかに逸らした。
空気が震え、金属が弾かれるような感触が手のひらに伝わる。
魔力の盾は、たった一発の銃弾だけで壊れてしまったが、確かにわたしは銃弾を防いだのだ。
(今だ! グレン小隊長、借ります!)
目の前で、敵兵の青年が目を見開いている。少し前まで、死にかけだったんだ。こんなことをするなんて、予想もしていなかったのだろう。
だからこそ、わたしの成したことに、一瞬だけ動揺してしまう。
「――っ!」
グレン小隊長に与えられた軍剣を鞘から抜いた。手の中に残る重みが、まるで背中を押してくれるようだった。
そして、わたしは――
青年の片目を、斬り裂いた。
「この……!」
(浅い!? でも、それで十分!)
十四歳の少女の身体では、軍剣を上手く扱うことが出来ず、重さに負けて致命傷を与えることが出来なかった。この調子では、一時的に視界を失わせただけで、失明すらしていないだろう。
けれど、わたしが生き残ることだけを考えた場合は、それだけでもおつりがくるほどの価値があった。
「気を緩めるな! 撃て!」
兄の片目が斬られても、ゾフィアという少女は、動揺していなかった。すぐに、自分がやるべきことを見出し、手を止めてしまっていた兵士たちを正気に戻す。
けれど、それでさえ、わたしを止めるのには、遅かった。
(魔力は……ちょっとしか残ってないか。なら――)
撃たれそうなところを、軍剣を使って守る。
わたしは、グレン小隊長のように、銃弾を剣で斬るということは出来ないが、剣の金属部分を使えば、軌道を逸らすことくらいは出来る。
金属が空気を震わせ、わずかな衝撃が腕に伝わる。剣の重みが、わたしの身体を支え、前へ押し出してくれる。
もちろん、ちょっとでも外れれば身体に当たるし、銃弾を逸らすたびに剣が欠けていくから何度も通じる方法ではない。
(でも……今はこれしかない!)
痛む肋骨を押さえながら、わたしは森の奥へと駆け出した。
「兄さん、追える?」
「すまん、片目で森の中は走れない」
「謝らないで。それは、わたしが敵兵の強さを見誤ったせいだから。あと、指揮権は貰うよ」
「……ああ、頼む」
わたしが与えた傷のおかげで、あの青年はドロップアウト。もう拳銃が通じない敵兵はおらず、こちらからの反撃出来る。
だけど、その代わりに、指揮権が妹らしき人物に移り、命令のタイムラグが短くなってしまう。個の脅威度が下がる代わりに、軍の脅威度が上がる。とんとんかもしれないけど、ここは森の中であり、連携がとりにくいため、個の脅威度が下がったほうがありがたかった。
「焦らなくていい! 敵の逃げ道を消すことを優先しろ! 体力や物資には、限界があるんだ。時間を掛ければ、絶対に殺せる!」
「ちっ」
的確に、嫌なことをしてくる。
確かに、わたしの体力は限界に近く、このまま長期間戦い続ければ、いずれ倒れてしまうだろう。
そのため、ここから逃げ立つためには、速攻で逃げ道を切り開く必要があるのだが、敵兵は守りの方を重視していて、突破力の無いわたしでは、ここから逃げ出すことが出来ない。
(どうすれば……)
わたしは、銃弾の雨を木の幹で防ぎながら、どうすれば逃げることが出来るのか、必死に頭を回転させて考え続けた。周りの地形に、敵兵の位置、そのすべてを使って、頭の中で地図を作りあげる。
敵の指揮は完璧なんだ。敵兵の位置には、それぞれ明確な理由があり、わたしの逃げ道をひとつずつ潰すように配置されているはずだ。だが、その前提を覆すことが出来れば――
(あれ? あっちは、敵兵が少ない? ……もしかして)
わたしは、木の裏から飛び出して、敵兵がより少ない方角へと走り出した。
正直、これは賭け。けれど、賭けなきゃ、ここから生きて帰ることは出来ない。
「追え!」
ゾフィアの声が森に響き、兵士たちが一斉に動き出す。
でも、遅い。命令してから動くというタイムラグがある以上、どれだけ頑張っても、わたしに追いつくことは出来ない。
そして――
「あった、川――」
視界の先には、ちょっとした崖と、その下を流れる大きな川があった。
今まで、敵兵に意識を向けすぎていたせいで、水の音に気づけなかったのだ。
でも――
(なるほどね。これだったら、彼女もそう判断するか……)
その川に飛び込んだところで、生きて帰れる保証はどこにもなかった。ちょっとした崖とは言っても、下までの高さは十分ある。しかも、その川の流れは速く、泳ぐことは出来ないだろう。
ルカとレオンが死んだ大雨の二日間から、日にちが経っているとはいえ。その数日程度で川の勢いが弱まるほど、あの雨は甘くなかった。
(くそっ、本当に運が無い)
ちょっとだけ口が悪くなっているけど、それくらいは許してほしい。
だって、こんな時すら、世界はわたしの味方をしないんだ。少しだけ口が悪くなっても、誰も文句を言わないでしょ。天国で、ルークさんも、うんうんと頷いてくれているはずだ。
(でも、仕方がない。これしか方法は無いんだ)
そして、わたしは、崖の下の川へと身を投げた。
風が頬を打ち、川の音が、耳の奥で大きくなる。でも、そんなことすら、今のわたしではどうでもよかった。
けれど、そこまで現実は甘くない。
「撃て」
敵の冷酷な声と共に、無数の銃口が向けられる。
空気が裂ける、 風圧が肌を叩く、金属の唸りが、耳の横をかすめる。
(まだ撃つの……!?)
反射的に、わたしは軍剣を胸の前に引き寄せた。
落下しながら構えるなんて無茶だと分かっている。でも、やらなきゃ死ぬ。
胸の奥に残っていた魔力が、かすかに震えた。
盾を作るほどの力はもうない。それでも、ほんの一瞬だけ、光が手のひらに集まる。
「っ……!」
軍剣の金属が、空中で火花のように光った。衝撃が腕に伝わり、握力が抜けそうになる。
でも、防げ……
「がっ……」
防ぎきれなかった銃弾が、腹部に突き刺さる。そして、同時に身体が川へと落ち、落下の衝撃が重なり、視界が一瞬だけ白く弾ける。
銃弾を受けた腹部の痛みだけじゃない、元々痛めていた肋骨や、川に落下したことによる全身の痛みが重なって、全身から感覚という感覚がすべて抜けていく。
(あ、ま……ず……)
息を吸おうとしても、肺がうまく動かない。いや、そもそも水の中であり、呼吸することが出来ない。
胸の奥が焼けるように熱く、同時に冷たく、どこが痛いのかすら分からないほど、感覚が混ざり合っていく。
(だめ……)
水の音が遠ざかる。風の音も、痛みも、全部が薄れていく。
視界の端で、揺れる光がぼやけた。
そして――意識が、ふっと途切れた。




