挟み撃ち
「はぁ……はぁ……少し、休憩しよう」
森の中をしばらく走り抜けた後、わたしは少しだけ息を整えようとした。
このままずっと走り続けても良かったのだが、ある程度の体力は確保しておかないと、敵兵と出会った時に抵抗することが出来なくなってしまう。もちろん、体力が無くなるまで走り続けて、敵兵と出会わないようにする手段もあるのだが、足の速さを考えれば、体力を確保していたほうが生存率が高いと思ったのだ。
(それにしても、どこまで行けばいいのかな?)
どの方向に逃げればいいのかは、分かっている。けれど、レン伍長たちがどこにいるのかは分かっておらず、そこに至るまでにどれだけの距離があるかなんて、想像することも出来なかった。
こんなことになるくらいなら、前もって地図を見とけばよかった。もし、ここから生きて帰ることが出来れば、真っ先に地図を見よう。その癖さえつけていれば、いつかきっと役に立つ。
(……少しだけ、息が戻ってきた)
そう思った瞬間だった。
ゾワリと首筋を冷たいものが撫でる。
濃密な死の気配。兵士になってから、何度も何度も感じて来たソレが、確かに迫って来たのだ。
(まずい、逃げきゃ……。でも、間に合わない。――そうだっ)
わたしは手を伸ばし、頭上の枝に指をかけた。全身の力を使って身体を引き上げ、木の幹にしがみつく。
呼吸を殺し、葉の影に身を潜めた瞬間――
――カサッ。
すぐ下を、誰かの足が踏みしめる音がした。
「なぁ、本当に敵がいるのか?」
見慣れた敵兵の軍服が、わたしの下を通り過ぎた。
「まあ、あの人の命令なんだから、従うしかないよ。あの人のおかげで、混乱してた軍が少し落ち着いてくれたんだからな」
「それもそうだな。若いのに、あれだけ肝が据わっているんだ。きっとこの判断は正しいんだろうな」
スレブルク訛りの言葉が、わたしの下で交わされていた。
敵兵は二人。足取りは慎重で、周囲を警戒しながら進んでいる。
(もう敵兵が来た? あんなことが起きたのに!?)
グレン小隊長が、たった一人で指揮官を殺した。
あれだけの惨劇が起きた直後だというのに、敵兵はもう軍を立て直し、わたしを探しにここまで来ている。
そんなこと、普通ならあり得ない。
(もし、わたしたちの軍で同じことが起きたら……)
想像するだけで、背筋が冷たくなる。総大将が殺され、軍が崩壊し、兵士たちが逃げ惑う。
そんな状況で、散開して敵を探せなんて命令が出るはずがない。
なのに、敵兵はここにいる。それはすなわち――
(まさか、まだ敵には、優れた指揮官がいるの? そうだとしたら……)
胸の奥が冷たくなる。
グレン小隊長がやったことは、敵の指揮官を殺し、今後の戦争をより有利な方へ運ぶためだ。なのに、まだ優れた指揮官が敵にいるのなら、グレン小隊長と死の意味が、小さくなってしまう。
そんなの、許容できない。グレン小隊長は、その命一つで、戦況を大きく変えるほどの戦果を挙げたんだ。だから、彼の死が無駄になるなんて、あってはいけないこと。
けれど――
(駄目だ。わたし一人で、どうにか出来る問題じゃない。軍に伝えて、策を練らないと……)
グレン小隊長と違い、わたし一人の力はあまりにも小さい。
一人では、戦況を変えるどころか、数人殺すことが出来れば御の字と言えるほどであり、今の状況で出来ることなんて何もない。
だから、わたしがこれからすることは、撤退の一つしかなかった。
「よし……敵兵は、もう何処かに行ったかな? でも、ここからどうやって逃げるべきなのかな?」
下にいた敵兵がどこかへ行ったことを確認して、わたしは地面に降りた。
このまま、木の上を渡っていくのもありだったのだが、その方法は体力の消費が激しすぎる上に、敵兵に見つかった時に恰好の的になってしまう。
だから、敵に見つかってしまう危険性も受け入れて、地面を走っていく方がマシだと判断したのだ。
(まずは……敵が来た方向とは逆へ。あの二人が歩いていった方は、絶対に避けないと)
わたしは深呼吸を一つして、森の奥へと足を踏み出した。
走りたい。全力で駆け出したい。でも、そうしてしまうと音が出てしまう。
だから、わたしは音をたてないように、歩いてその場所から離れないようにしたのだ。
「だ、誰もいませんでした!」
「……」
「ゾフィア、実際に敵兵なんて見つかってないんだし、探す必要なんてないんじゃないか?」
森の中、シンは妹のゾフィアに、半ば泣きつくように言った。息は荒く、額には汗が浮かんでいる。
今、シンは五十人くらいの兵士を従えている。今までのシンには、部下が十名近くしかいなかったのだが、ルイの死によって、軍が混乱している今、落ち着いている者に指揮権が回ってきたのだ。
だが、シンはゾフィアのおかげで、真面な指揮が出来ているだけだった。
そのせいで、身の丈に合わない部下の人数に、ずっと胃が痛くなるような緊張を抱えていた。
「兄さん」
けれど、ゾフィアは兄の気持ちなんて、一切考えていなかった。
「いなかったら、それでいいの。でも、もし敵兵が隠れていて、それを生還させてしまったら、それこそ致命的な失敗になるかもしれない。だから、探す必要はあるに決まってる」
「そ、そうだな」
「後、部下をわたしたちの方へと帰って来させて。今の時点で、追いつけない位置にいるのなら、どれだけ頑張っても追いつけない。けれど、もし隠れてやり過ごしていたのなら、前後で挟むことが出来る」
あくまで指揮権を持っているのは、伍長のシンだけ。
そのため、ゾフィアはシンに指示を出し、シンがそれを聞いて部下に命令を出すという、奇妙な構図が出来上がっていた。
本来なら、こんなやり方は上手くいくはずがない。けれど、ゾフィアはスレブルクの軍の中で誰よりも冷静であり、正しい命令を出し続けていたため、兄のシンは異論を挟むことなく付き従っていて、そして兵士たちもまた、ゾフィアの判断を疑わなかった。
(……俺は、ただ命令を伝えてるだけじゃないか)
シンは胸の奥が少し痛くなった。
だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「兄さん、早く」
ゾフィアが振り返る。
その目は、今までに見たことが無いほど澄んでいて、昨日まで妹のはずだったモノが、とんでもない化け物のように見えてしまう。
「わ、悪い。今すぐ、無線で連絡する」
そうして、シンは震える指で無線機を握った。汗で滑りそうになるのを、必死に押さえ込む。
妹の傀儡になっている自覚はあった。ゾフィアがいなければ、五十人もの部下を動かすなんて到底無理だ。
それでも――
(俺が命令を出さなきゃ、この部隊は動けないんだ)
その一点だけは、シン自身がやらなければならない役目だった。
こうして、セラの前を通り過ぎたはずの兵士たちが、引き返してきた。
前方には、通り過ぎたはずの敵兵が、後方には、ゾフィアたちが迫ってくる。
そのことに、彼女はまだ気付かない。
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