惨劇
それは、鬼のようだった。
「オラァァァァァ!」
剣の一振りで、無数の兵が斬り殺される。十を超える死体が、空へと浮かび、敵兵の元へ堕ちる。
死体が隕石のように叩きつけられ、地面が揺れた。
悲鳴が上がる。
混乱が広がる。
軍勢が、たった一人に押し返される。
その中心にいるのは――片腕の男。血を浴び、笑いながら、ただ前へ進む。
「どけェェェェェ!」
剣が唸るたび、兵が砕け、盾が割れ、剣が折れる。新兵であっても、歴戦の兵であっても、狂鬼の前では、区別することが出来ない。数の差など、彼の前では無力になり、歩みを止めることが出来ない。
銃弾の雨を浴びせても、魔力の盾に軌道を逸らされて、致命傷を与えることが出来ない。この戦場で、グレンの存在は、圧倒的な個の力という物を示していた。
けれど――
「くそったれがァァァァ!」
すべての銃弾を、防げているというわけではない。
全方位から浴びせられる銃弾の雨は、魔力の盾が無いところからも撃たれ、圧倒的な物量で鬼の剣を避けながら、その肉体を貫いていていくのだ。
致命傷は無い。だが、全身から血が噴き出していた。
肩も、腹も、脚も、背中も。肉が裂け、骨が軋み、それでも――歩みは止まらない。
「まだだァァァァァ!」
血を撒き散らしながら、狂鬼は前へ進む。
敵兵が怯え、後退し、叫び、逃げ惑う。
けれど、逃げ場はない。鬼は、ただ一直線に頭へ向かっている。
総大将のいる中央へ。
軍勢の心臓部へ。
最高の死に場所へ。
「止めろ! 止めろォォォ!」
「無理だ! あれは……あれは人間じゃない!」
だが、誰も止められない。
片腕の男は、血まみれの笑顔で、ただ前へ進む。
そして、かの天才――ルイ・ミネルヴァも、ソレに気付く。
「なんだ?」
総大将は双眼鏡を下ろした。
視界の端で、味方の陣形が波打つように崩れていく。
だが、彼はこの状況であっても、冷静すぎた。
「一人で突撃か。馬鹿め……前衛、下がれ! 魔導隊、盾を張れ! 狙撃班、剣を最優先で撃ち抜け!」
総大将の声は、混乱の中でもよく通った。
命令は瞬時に伝わり、部隊が動き始める。彼は状況を正確に把握し、最適解を即座に選び取る――まさに天才と呼ばれる所以だった。
鬼の前には、無数の魔力の盾。そして、無数の弾丸が、鬼の剣を弾き飛ばす。
が、
「剣がねェから、人が殺せねェとでも思ったか!?」
狂鬼の片腕が振り抜かれた。
拳が、盾兵ごと魔力の盾を粉砕する。骨が砕ける音が、連鎖する悲鳴に混ざって響いていく。
それと同時に、兵士が三人まとめて吹き飛び、地面に叩きつけられた。
「なっ……拳で……!?」
「前衛、距離を取れ! 魔導隊、再展開――」
「待てよ、馬鹿ども」
鬼が、近くにいた敵兵を掴む。
「まっ、待てっ!」
「オォォォラァァァ!」
狂鬼は、その兵士を、まるで石ころのように投擲した。
その人間砲弾は、ルイ・ミネルヴァの横を通りすぎ、着弾した。煙の代わりに、赤い血液が降り注ぎ、局所的に赤い雨を降らしてしまう。
――化け物
そう表現するしか、誰にも説明がつかなかった。
「魔導隊が……! 隊列が崩れています!」
「逃げるな! アレは、剣すらも持っていない。物量で殺せ!」
スレブルクの兵たちは、狂鬼の並外れた強さに混乱し、まともな隊列すら組めなくなってしまっていた。丸腰の、しかも片腕の兵一人に、軍勢が押し返されている。
普通の戦場ではありえない光景が、今この戦場にて、現実として成立していた。
「ルイ将軍、逃げましょう! アレは、どうにもできません!」
「……いや、出るぞ」
「は?」
「皆を集めろ。私達でアレを殺す」
しかし、ルイ・ミネルヴァは逃げなかった。その行動は、これからの戦争を見据えた正しい判断だった。
狂鬼は、全身を撃たれ、時間を掛ければ出血死するだろう。だが、そこに至るまでに、軍はかなりの被害を受け、これからの士気に関わってくるだろう。
それに対して、自分たちの力で狂鬼を仕留めることが出来れば、逆に士気が跳ね上がるだろう。
あの怪物を倒した軍という事実は、これからの戦争を左右するほどの価値を持つ。
ルイ・ミネルヴァは、それを理解していた。
「全員、私の後ろに集まれ。散開するな。あれは個の怪物だ。ならば――こちらは集団で殺す」
その声は、恐怖に飲まれかけていた兵たちの心を一瞬で引き戻した。
混乱していた隊列が、ルイの命令一つで再び形を取り戻していく。
「ルイ将軍が……前に出るのか……?」
「将軍が戦うなら……俺たちも……!」
士気が、わずかに戻る。
それは、狂鬼の暴力がもたらした恐怖を、ほんの少しだけ押し返す力だった。
だが――
「おせェんだよォォォ!」
狂鬼は、すでに動いていた。地面を砕き、土煙を巻き上げ、血まみれの片腕で、一直線にルイの方へ突っ込んでくる。
致命傷になる弾だけを魔力の盾で逸らし、それ以外を自らの身に受けながら、血が噴き、肉が裂け、骨が軋む。
それでも――歩みは止まらない。
「止まれぇぇぇ!」
「撃て! 撃ち続けろ!」
銃弾が雨のように降り注ぐ。
だが、狂鬼はその雨の中を、まるで嵐を切り裂く獣のように進んでいく。
「ガァァァッァァァァアアァ!!」
全身から血を噴き出しながらも、ルイの目の前で、拳を振り上げる。
血に濡れた片腕が、空気を裂き、轟音とともに振り下ろされる。
刹那――
「馬鹿め」
鬼の、唯一の腕が――消し飛んだ。
とある異世界ではスナイパーライフルと呼ばれる銃が、ルイの遥か後方から、一直線に狂鬼の腕を撃ち抜いたのだ。
乾いた破裂音が、戦場の空気を切り裂く。
狂鬼の腕が、肘から先ごと吹き飛び、血が噴水のように噴き上がる。
「……ッ!?」
狂鬼の身体がわずかに揺らぐ。
その瞬間――
「やれ」
天才の冷たい声と共に、供回りの兵士たちが一斉に動いた。剣、槍、短剣、ありとあらゆる刃が、狂鬼の肉体へ突き刺さる。
狂鬼の巨体が揺れ、血が四方へ飛び散る。兵たちは恐怖に震えながらも、必死に武器を押し込んだ。
「ここまで来たことは褒めてやる。だが、焦りすぎたな」
ルイは、自らの命を囮にしたのだ。
狂鬼の前に、指揮官たる己の命を差し出し、周りから注意を逸らした。そして、意識外から新型の銃を用いて、腕を撃ち抜いた。
バケモンを前にして、冷静な判断を下した天才の勝ちだった。
「感謝する。私は、戦場に出て、まだ日が浅い。個の力のことを過小評価していた。今後の戦いに、この学びを活かすとしよう」
天才はすでに、鬼を見ていなかった。
その双眸が見ているのは、未来の戦場、ただ一つだけ。
――だから。
気付くのが、一瞬だけ遅れた。
「……将軍ッ!」
誰かの叫びが飛ぶ。ルイがわずかに視線を戻した、その刹那。
「……馬鹿だな」
鬼が、嗤った。
「だから、オマエは駄目なんだ。オレを全く理解してねェんだからよォ!」
全身が血で赤く染まり、数えきれない刃物で貫かれてもなお、鬼は進んだ。
両腕を失った――だが、そんなことすら、鬼にとって、何の意味もなさなかった。
歯が光り、天才の首を噛み砕こうと迫った。
「なっ……!」
天才の目が驚愕で染まる。
しかし、天才は武人ではない。良くも悪くも、ただの戦略家だった。
その身体は鍛えられてはいるが、狂鬼のように死を踏み越えるための肉体ではない。
「――ッ、が……!」
鬼の牙が、天才の身体を噛み砕く。肉が裂け、骨が軋み、血が噴き上がる。
ルイ・ミネルヴァの身体が、狂鬼の牙を持って、地に墜ちる。
「な、ぜ……」
その声は、驚愕でも、恐怖でもない。
ただ――理解できないという、純粋な疑問だった。
(……私は……勝っていたはずだ……読みも、布陣も、誘導も、すべて完璧だった……なのに……)
狂鬼は、嗤った。
「戦場ってものを知らねェからだよ、馬鹿野郎」
――バキリ。
嫌な音が、戦場に響いた。
ルイ・ミネルヴァの首が、噛み千切られた。十年の戦争を、たった一人で終わらしかけた男が、今度はたった一人の男のせいで、死に至った。
一対数千、圧倒的な兵力の差がありながら、彼らは負けたのだ。
「はっ、おまえらの命、無駄には……しなかった、ぞ」
鬼の身体も、ゆっくりと地へ崩れ落ちる。その表情には、奇妙な満足が浮かんでいた。
かの鬼は笑いながら、先に逝った仲間たちのことを思い返していた。
十年の戦争。
その中で散っていった無数の部下たち。名も残らず、墓もなく、ただ戦場に消えた者たち。
「……見てたかよ……おまえら……」
鬼は、血に濡れた顔で空を仰ぐ。
「オレは……やったぞ……」
その声は、勝利の雄叫びではなかった。復讐でも、怒りでもない。
ただ、仲間に報いるためだけに戦った男の、静かな最期の言葉だった。
そして――
十年の戦争を終わらせかけた天才も、十年の戦争で仲間を失った鬼も、同じ場所で、同じ時に、倒れた。
この日の惨状は、ごくわずかな記載でしか、歴史に残らなかった。
まずは、天才を有していたスレブルク。
彼らは、たった一人の兵士に、総大将が殺されたという醜聞を歴史に残すことを恐れ、彼に関するすべての記録を国から消し去ろうとした。
その結果、全てとまではいかなかったものの、ルイ・ミネルヴァの名は、ごくわずかな文献でしか残っておらず、後世では一部の歴史学者しか、その名を知らなかった。
そして、狂鬼を有していたバリエーヌ。こちらは、さまざまな事情があり、彼の名前を広めることが出来なかった。
まず、彼の存在を知る者が前線の兵士に限られていた。だが、その兵たちは浸透戦術で多くが戦死し、語り継ぐ者がほとんど残らなかった。さらに当時のバリエーヌは崩壊寸前で、記録を残す余裕すらなかった。新聞も軍報も機能せず、英雄を讃える体制など存在しなかった。
加えて、後に現れる人類史最悪の狂人の影響で、戦争を肯定する物語は避けられるようになり、狂鬼のような存在はむしろ封じられた。
そして何より、あの最終決戦を目撃した者が、実質たった一人しかいなかった。
これらのことから、彼らの名前は広がらなかった。
しかし、その死は決して無駄では無かった。
グレンも死も、ルイの死も……その両方とも、後の英雄たちの誕生に、大きく貢献したのだ。
こうして、話が戻る。
ここからは、一人の目撃者の逃亡劇。
そして、後の花鬼と呼ばれるセラと、スレブルク最高の天才と呼ばれるゾフィアが、初めて邂逅する話でもある。




