駒得
「何を……言っているんですか……?」
わたしは、グレン小隊長の言葉を聞いた時、腕を切り落とした痛みで狂ってしまったのかと思ってしまった。
けれど、グレン小隊長の目には、確かな理性が宿っており、今の状況を完全に理解したうえで、わたしたちだけで敵の指揮官を殺すと言ったと察することが出来た。
けれど、理性が宿っているからなんだ?
そんなの、出来るわけがない。たった二人で戦況を変えることが出来るのなら、ルークさんやシス伍長が囮になる必要なんて無かった!
個人では、数に対してどうすることも出来ないから、わたしたちは囮を作ってまで逃げ、生き延びたんじゃないか!
「アレを殺すって言ったんだよ。文句あんのか?」
文句なんて、百個以上あるに決まっている。
いや、今この瞬間にも、新しい文句が湧き水のように湧いてくる。
けれど、グレン小隊長は、そんなわたしの内心を気に掛けずに、軍剣を抜いた。
「ま、待ってください! あの軍に突撃するんですよね!? 無理に決まってるじゃないですか!」
「どこが無理なんだ? どこからどう見ても、行けるに決まってんだろ」
「目、ちゃんとついていますか!? それとも、頭に銃弾でも撃たれましたか!?」
なんか、とんでもなく失礼なことを言っている気がする。
でも、そんなことはどうでもいい。何とかして、この無茶苦茶な突撃を止めないと。
けれど――どうやって?
グレン小隊長はいつも正しい。
どれだけ無茶でも、どれだけ理不尽でも、結果だけは必ず正しい方向へ転がしてきた。
シス伍長でさえ、滅多に止められなかった。わたしなんかが止められるわけがない。
「小隊長、本当に無理です! あれだけの兵がいるんですよ!? わたしたち二人でどうにかなるわけ――」
「だからこそ、だ」
意味が分からなかった。
何が、だからこそなのだろか? 軍と強弱は、練度や武器の差などもあるが、最終的には数の差がものを言う。
そんなの、訓練を受けた兵士なら誰だって知っている。なのに、誰よりも長く兵士として戦っているはずグレン小隊長が、その常識とは反対のことを言ってる。
「グレン小隊長、理由を説明してください。わたしは極めて冷静なので、ちゃんとした判断が出来ます」
動揺を噛み殺し、混乱を整えて、わたしはグレン小隊長に質問した。
自分でも分かるほど声が震えていたけれど、それでも必死に冷静を装った。
グレン小隊長は、わたしの言葉に一度だけ瞬きをした。
その目は、痛みで狂った人間のものではなく、むしろ――いつもより澄んでいた。
「いいか、セラ」
軍剣の切っ先が、敵軍の中央――総大将のいる一点を示す。
「おまえも、あの指揮官も、レンの奴も、全員――戦争ってものを全く分かってねェ。昔の兵は、銃の精度が悪く、しょっちゅう暴発する時代を経験しているから、戦争という物をよく理解していたが、最近の奴らは武器に甘えて、何も分かっちゃいねェんだよ」
その声は、決して大きな声と言うわけでなかった。
なのに、重厚な怒りが染み込んでいて、聞いているだけで身が縮こまってくるような錯覚を覚えてしまう。
「セラやレンだけじゃねェ、ルークやシスだってそうだ。何にも、何一つも、個の強さという物を理解していねェ。レンはダズのクソじじいを見て、個の強さって物を理解していると思っていたが、あのクソじじいも甘くなったせいで、何も知らねェまま戦場に来やがった」
(……個の、強さ……?)
わたしは思わず息を呑んだ。
グレン小隊長は、わたしの反応を確認することもなく、続けた。
「いいか、セラ。戦争ってのは、数で殴り合う遊びじゃねぇ。確かに、戦術は大事だ。数も大事だ。武器の強さも、練度も、士気だって大事だ。でもな、稀にたった一人で、すべてを覆す奴がいる。それを知らねェ奴は、どれだけ強くても、どれだけ天才だったとしても、軍人としては、未熟でしかない」
そんなの、物語の中だけの話だ。
英雄譚か、昔の伝説か、あるいは酔っぱらいの武勇伝。現実の戦争で、そんなことが起こるはずがない。
そう思った瞬間、グレン小隊長はわたしの心を見透かしたように言った。
「おまえ、信じてねぇだろ。だがな――オレは実際に見てきた」
わたしは息を呑んだ。
「昔の戦場には、いたんだよ。たった一人で、戦線をひっくり返す化け物が。だが、歳で引退したり、戦死したり、その域まで成長する前に死んでしまったり……十年の戦争だ、今では圧倒的なこの力を持つ奴は数えるほどしか残っていない。だが、そのうちの一人として、魅せてやるよ。すべてを壊す、この力って物をな」
心が震えた。
実際に、それを実感したわけじゃない。でも、グレン小隊長の言葉の節々から滲み出る重さが、わたしの心を震えさせたのだ。
理屈では、全く理解していない。心の底から、グレン小隊長の言葉を信用したわけではない。なのに、わたしの感情が、グレン小隊長にすべてを賭けろと訴えてくるのだ。
「はぁ、分かりましたよ」
気づけば、口が勝手に言葉を紡いでいた。
「わたしがサポートしますから、グレン小隊長はアレを殺してください」
言ってから、自分の言葉の重さに気づいた。
でも、後悔はなかった。
そんな偉業のために死ぬのなら、それは本望だ。
レン伍長たちの命を守るだけじゃなくて、グレン小隊長の異形の助けになることが出来るのなら、わたしが生まれてきた意味があったのだと、より強く実感できる。
(それに、意味が出来るのは、わたしだけじゃない)
わたしを庇ったアインの人生も、友人として支えてくれたリナの人生も、囮になってくれたルークさんやシス伍長たちの人生も――グレン小隊長の偉業の助けになったと、胸を張って言える。
そう思った瞬間、胸の奥が熱くなった。
恐怖でも絶望でもない。もっと別の、強くて、静かで、揺るぎない感情。
けれど――
「何言ってんだよ、馬鹿」
グレン小隊長は、わたしの言葉を否定した。
「オレの傷を縫った時点で、おまえの役目は終わってる。後はな、オレの何をしたのか、レンの馬鹿とダズのクソじじいに伝えてくれ。後はそうだな……あァ、その剣はおまえにやるよ。せいぜい、有効活用しやがれ」
その言葉は、怒鳴りでも突き放しでもなかった。
むしろ、淡々としていて――だからこそ、胸に刺さった。
(……え?)
頭が真っ白になった。
さっきまで、わたしは覚悟を決めていた。死ぬつもりだった。グレン小隊長の偉業のために、命を投げ出すつもりだった。
なのに――
この人は、わたしを戦わせるつもりがない。
「ちょ、ちょっと待ってください! わたしは……わたしは、小隊長の役に立ちたくて――」
「あのな、兵士は戦争に勝つための部品って何度も言ってんだろ。もし、ここでおまえが死ぬと仮定する。その時、おまえは死ぬことで何を成し遂げた? せいぜい殺して三人くらい。後は、銃弾一つの盾になる程度か。駒損だな」
(駒、損……?)
胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
覚悟を決めたばかりの心が、あっけなく崩れ落ちる。
「こんなところで死ぬより、ここから生き残ったほうが、軍にとっては得になる。だから生きろ、生きて成長し、駒得になって死ね。それが、部品としての人生だ」
その言葉は、あまりにも冷たくて、あまりにも合理的で、あまりにも――正しかった。
けれど、グレン小隊長は……。
「貴方は、死んでしまうんじゃ……」
「だろうな。どれだけ頑張っても、オレはここで死ぬ。オレが生き残る可能性は、万に一つも残っていない」
なんで、そんなことが分かっているのに、こんなにも楽しそうに笑っているのだろうか。
「だがな、オレの死は駒得だろ? オレがアイツを殺し、死ぬだけで、何千何万の命が救われる。軍人として、これ以上の死はねェよ」
その言葉は、あまりにも静かで、あまりにも確信に満ちていて――だからこそ、わたしの胸を深く刺した。
(どうして……どうしてそんなふうに言えるんですか……)
喉がひりつくほど乾いているのに、声が出ない。胸の奥が熱くて、痛くて、苦しくて、息が詰まりそうだった。
わたしは、死ぬ覚悟を決めた。
グレン小隊長のために、命を投げ出す覚悟を。
なのに――この人は、それを受け取らず、たった一人の命で、偉業を成し遂げようとしているのだ。
「セラ」
グレン小隊長は、わたしの方を見ないまま続けた。
「じゃあな、生きろよ」
そして――たった一人で軍の方へと飛び出した。
「突撃ィィィ!」
何度も、何度も聞いた言葉を叫びながら、その叫びを最後に、グレン小隊長の背中は、もう二度と振り返らなかった。
たった一人で、軍勢へ。
たった一人で、死地へ。
たった一人で、指揮官を殺しに行った。
わたしは、ただ立ち尽くすことしかできなかった。追いかけることも、叫ぶことも、もう何もできなかった。
だって――あの背中は、もうわたしの世界には戻ってこないと分かってしまったから。
風が吹いた。
血の匂いと、土の匂いと、遠くの怒号が混ざった風。
その中で、わたしはただ一つの言葉だけを呟いた。
「……小隊長」
届かないと知りながら。
そして、わたしは剣を握りしめた。震える手で、必死に落とさないように。
生きて伝える。それが、わたしに残された唯一の役目だった。




