会いたい
「レン」
「……」
「レン伍長――」
「……」
「レン!!」
ルークさん達の命を糧にして、何とかわたしたちは包囲を突破し、近くに会った森の中で隠れていた。その森の中は、外とは違って憎たらしいほど穏やかであり、虫や鳥が戦場なんて存在しないかのように鳴いていた。
その中で、グレン小隊長の怒鳴り声が響き、辺りの鳥が一斉に飛び立つ。その光景は、本当に壮観で世界のことが嫌いになる。なんで、ルークさんやシス伍長たちが死んだのに、 世界はこんなにも平然としていられるの?
鳥は歌い、風は木々を揺らし、陽の光さえも優しい。まるで、わたしたちの苦しみなんて存在しないかのように。
「レン!! 返事をしろ!」
「は、はい!」
「部隊の損害について、しっかり報告しろ!! シスがいない今、その役目はお前の役目なんだから!」
「はい!」
「えっと……け、怪我人は……」
レン伍長の声は震えていた。報告しようとしても、言葉が喉でつかえて出てこない。
それでも、グレン小隊長は容赦しなかった。
「ふざけるな! お前は今、部下の命を背負っているんだ! お前の行動一つ一つで、全てが決まるんだぞ!」
「……は、い。け、軽症者は三名。重傷者は無し。死者は……囮になった人たちだけで、五人です」
「そうか。それなら、進むぞ」
グレン小隊長は、部隊の損傷を聞いて、足を止める必要が無いと判断したのか、迷わず前へと進んでいった。死んでしまった人たちに意識を割くことは無く、まるで、それが当然だと言わんばかりに、グレン小隊長は歩みを止めなかった。
でも、それが正解なんだ。ルークさん達の死を無駄にしないためには、死者に思いをはせる必要はなく、今を生きるために進まなければならない。
グレン小隊長の判断は、徹底的に効率化されていて、感情というものを最初から持ち合わせていないかのようだった。
死者を悼む時間はない。
立ち止まる余裕もない。
振り返れば、追いつかれて全滅するだけだ。
それは、頭では分かっている。分かっているのに――胸がついてこなかった。
「グレン小隊長……ここからは、どのように撤退を……」
「森の中で隠れながら直進する。人数が減った状態で、敵兵と相対したくねェからな」
グレン小隊長の声は、いつも以上に低く、鋭かった。その言葉には、迷いも、ためらいも、悲しみもなかった。
ただ、状況を生き延びるための最適解だけが並んでいた。
「……了解です」
レン伍長が震える声で答える。
その声は、さっきよりもさらに弱々しく、今にも折れてしまいそうだった。
でも、グレン小隊長は振り返らない。レン伍長の状態を気遣う素振りすら見せない。
それが、逆に怖かった。
(どうして……どうしてこんなに冷静でいられるの……?)
ルークさんも、シス伍長も、ギルさん、ゴアさん、ノーシスさんも、わたしよりもずっと前からこの隊に所属していた、立派な人だったはずなのに、グレン小隊長には、彼らの死すら、どうでもいいことなのだろうか?
でも、それを聞くことは出来ない。ルークさんたちの死を無駄にしないためには、これ以上グレン小隊長の足を止めるわけにはいかず、不満や怒りを胸の中にぐっとため込むしかない。
それを爆発させることが出来るのは、みんなで安全な所に辿り着けたときだけなんだから。
あれから、一日が経った。
「はぁ……はぁ……」
森の中は、戦場とはまた違う歩きにくさがあった。
地面には無数の凹凸があり、少しでも注意を逸らしてしまうと、木の根や岩に躓いてしまう。かといって、足元だけを中止してしまうと、木の枝などに顔をぶつけてしまう。十四歳の少女であるわたしでさえ、歩くのに苦労しているんだ。他の成人した男性たちは、もっと歩きづらいに決まっている。
けれど、撤退には、それ以外にも、悩みがたくさんあったのだ。
「セラさん、水を飲みますか?」
「え……それなら……レン伍長のは……」
「私はまだ耐えれますので、遠慮せずに飲んでください」
差し出された水筒は、ほんの少ししか重さがなかった。おそらく、中に残っている水は、ほんの数口分だろう。
(こんな……貴重なものを……)
速さを重視したせいで、水分や食料は、最低限のモノしか持ち出すことが出来なかった。そのため、今のわたしたちは、深刻な水分不足に陥ってしまっていた。
きっと、運が悪かったのだろう。森に入ってから、一度も水源を見つけられなかった。川の音も、湧き水の気配もない。ただ、湿った土と、重たい空気だけがまとわりついてくる。
(喉が……痛い……)
唇はひび割れ、舌が張りつき、息を吸うたびに喉が焼けるように痛む。頭の奥がじんじんと熱を持ち、視界の端が揺れている。
森の中の撤退は、戦場よりも過酷だ。湿度が高く、汗が蒸発しない。そのせいで体温が上がりやすく、喉の渇きは戦場よりも早く訪れる。
さらに、休息もほとんど取れていない。森の中では、どうしても進行速度が遅くなる。だから、昼も、夜も、朝も、わたしたちは歩き続けていた。仮眠すら許されず、立ち止まれば敵に追いつかれる。
疲労と睡眠不足と水分不足。その三つが重なれば、兵士は簡単に倒れる。
「グレン小隊長……ここらで、休息をとるべきでは……」
誰かが弱々しく提案した。その声には、全員の願いが滲んでいた。
「ダメだ。」
グレン小隊長は、振り返りもせずに言い放った。
「こんな所で休息をとって何になる? せめて、水源を見つけた時に言え」
その判断は、正しい。今、休息をとったとしても、体内から水分が抜け続けるだけだ。だから、少しでも遠くへと歩いて、水源を見つけることに賭けたほうがずっといい。
けれど、感情は違う。グレン小隊長の判断が正しいと頭が理解できていたとしても、胸の奥では、何かがきしむように痛んでいた。
(戦場に……もどりたい)
今の状況に比べたら、塹壕の中にいた時の方が、ずっと楽だった。
塹壕の中にいる時は、最低限の補給があり、常に終わりがあると分かっていたのだが、この撤退行動では、補給も無く、終わりすらも見えてこない。ましてや、敵が追い付いてくるかもしれないという恐怖が、常に付きまとっているため、どれだけ心を強く保とうとしても、限度という物がある。
「……」
「……」
「……」
誰も口を開くことはなく、鳥の呑気な泣き声だけが、鼓膜を振るわせる。
もう、ルークさんの優しい声も、シス伍長の場を和ませる声も、聴くことが出来ない。 彼らのおかげで、今までの戦闘がどれほど楽だったのか――今になって、ようやく思い知らされる。
塹壕の中では、怖くても、痛くても、誰かが声をかけてくれた。冗談を言ってくれる人がいて、励ましてくれる人がいて、大丈夫だ、まだやれると言ってくれる人がいた。
でも今は違う。
誰も喋らない。喋る余裕がない。喋ったところで、状況が良くなるわけでもない。死の恐怖に押しつぶされそうになりながら、この歩みを続けていかないといけない。
だから、弱音を吐くことすら、許されないんだ。ルークさん達に守られた、この命を繋ぐためには。
苦しい
喉が、渇いた
あたまが、いたい
じめんが……ゆれる
……
……
……
「――らさん! セラさん!」
「な、ん……」
「これ、飲んでください!」
意識が飛びそうになった時、誰かがわたしの肩を揺さぶっていた。
口元に何かが押し当てられ、温かい液体が流し込まれた。
「れ、ん伍長……?」
「そんなことより、早く!」
レン伍長の声は震えていた。焦っている。泣きそうなほど必死だった。
喉に触れた水は、ぬるくて、ほんの少しだけ。それでも、砂漠に落ちた雨粒みたいに、体の奥に染み込んでいく。
(……あ……)
喉が勝手に動いて、水を飲み込んだ。痛いはずなのに、涙が出るほど美味しかった。
「水……?」
「はい。偶然、水源を見つけたんですよ。セラさんは、倒れてしまったんですけど、グレン小隊長に運ばれたおかげで、何とか間に合いました」
「グレン小隊長、に……?」
頭がうまく動かない。さっきまで意識がなかったせいで、言われたことが理解できない。
(……運ばれた? わたしが? グレン小隊長に……?)
そんなはずがない。そんな恐ろしいこと、わたしがするはずがない。
でも、レン伍長は嘘をつく人じゃない。その顔は真剣で、必死で、そして――どこか申し訳なさそうだった。
「すみません。子供の方が、体内に水分が多くて脱水症状になりやすいと知っていたはずなのに、そこまで気が回らなくて」
「い、いえ……レン伍長が謝ることじゃ……」
「そう、ですかね……。あっ、今から仮眠をとっていいということなので、安心して休養してください。私たちが、交代で周囲を警戒しますので」
本当なら、ここでわたしがやりますと言うべきだったんだろう。
でも、身体が言うことを聞かなくて、口を開こうとしても、声が喉の奥でつかえて出てこなかった。
「……ごめ……なさ……」
「謝らなくていいですよ。……おやすみなさい」
そうして、わたしは一度、死の淵から引き戻された身体を、そっと地面に預けた。
今回は、運が良かった。けれど、これがあと何回続くのだろうか。
そう思ってしまうと、胸の奥深くが、ひどく冷たくなってしまった。
……ルークさんに、会いたいよ。




