レン伍長
「まだ、時間があるんだ」
あれから、わたしは野戦病院から夜を明かすテントへ向かって歩いていたが、それだけでは時間を潰しきれず、夕食まで少しだけ間が残っていた。一応、昼食は余っていたレーションを食べたから、空腹というわけではない。
でも、身体のどこかが落ち着かず、ただテントに戻る気にもなれなかった。
(うーん、暇だなぁ)
最初は、自主練でもしようかと思っていた。けれど、そんなことをしたら――今度こそリナに泣かれるかもしれない。
そう思い直して、何とか踏みとどまった。
しかし、そのせいで、有り余る時間を使う方法が無くなってしまった。
友人も少なく、碌な趣味も無いわたしでは、この時間を潰す術がない。
(リナはまだ衛生兵の仕事があるし、ルークさんやシス伍長はどこに行ったか分からないからなぁ)
暇すぎて、グレン小隊長に戦術を教わりに行こうかと一瞬思ってしまうくらいだった。
……まぁ、グレン小隊長もどこに行ったか分からないし、そもそも居場所が分かる人なんて、今のわたしには誰もいないのだけれど。
雨は弱まったとはいえ、まだ降り続いている。地面に落ちる水音が、ぽつ、ぽつ、と一定のリズムで耳に残る。
(……どうしようかな)
テントに戻るには早い。かといって、どこかへ行く理由もない。
ただ、ぽっかりと空いた時間だけが、わたしの前に広がっていた。
その時だった。
「セラさん?」
背後から、聞き慣れた声がした。
「あ、レン伍長」
その声が、男性の声だったので、少し身構えてしまったのだが、声の主がレン伍長だと分かると、何とか落ち着かせようと、自分の身体にい言い聞かせた。
まだ、男性恐怖症は治ったわけではない。ルークさんですら、この男性恐怖症のでせいで、無理をしないと触れることさえ出来ないんだ。少ししか関わったことが無いレン伍長では、身構えるのは当然のことだった。
でも、それはこちらの話。男性恐怖症のことを知らない人には、この怯えのことを勘違いさせてしまうようだった。
「す、すみません。驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ……そんなことは……」
わたしは慌てて首を振った。けれど、声がわずかに震えてしまい、自分でも誤魔化しきれていないと分かってしまった。
とは言え、付き合いが短いことが幸いしたのか、レン伍長はわたしの怯えを別の理由だと受け取ってくれたようだった。
「すみません、声をかけるタイミングが悪かったですよね。雨の音で、僕の足音が聞こえなかったのかもしれません」
「あ、いえ……そういうわけじゃ……」
わたしは慌てて否定したが、声がわずかに震んでしまい、説得力がなかった。
(……でも、気づかれてはいない。大丈夫、大丈夫)
自分にそう言い聞かせながら、胸の奥で縮こまっていた緊張を、少しずつほどいていく。
レン伍長は、わたしの反応に気まずさを覚えたのか、そっと視線を逸らしながら、距離を一歩だけ取った。
「本当にすみません。目を覚ましたことを知らなくて、話しかけてしまったんです」
「そ、そうなんですか」
わたしは思わず言葉を詰まらせた。そういえば――わたしは一日近く、意識を失っていたのだ。たとえ関わった期間が短かったとしても、心配をしてておかしくはない。むしろ、気を失った経緯を考えれば、彼が責任を感じてしまっていても、おかしくはない。
もしそうだとすると、余計な心配をかけてしまったことに謝るべきなのかな? でも、気を失った原因は、どちらかというとレオンにあり、レン伍長には責任が無いんだから、謝るのもなんだか違う気がする。
「レン伍長は、今までどこに?」
「あー、その……祖父のところに行っていたんです」
「祖父?」
そう言えば、グレン小隊長と言い合いをしていた時、そんなことを言っていたっけ?
あのグレン小隊長との交渉のカードに使おうとするならば、きっと祖父は偉い人なんだろう。というか、レン伍長は軍学校卒なのだ。この世界の学校は、前世の学校のような、誰でも行ける場所では無く、限られた人しか行けない場所。
つまり、レン伍長は、裕福な家庭で育ったのは、当然のことだった。
「祖父って、どんな人なんですか?」
わたしがそう尋ねると、レン伍長は一瞬だけ目を瞬かせ、それから少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「……私の父親は、グレン小隊長……いや、グレン軍曹の上司に当たる少将なんですよ。私の家庭は、代々軍人になる家系で、幼い頃から軍に入るのが当たり前という環境で育ちました」
その言い方は、誇らしげというより、どこか淡々としていた。
家柄を自慢するでもなく、重荷を語るでもなく、ただ事実を述べているだけのような声音だった。
「正直、私は伍長にしては力不足だと思っていますよね。二日前の突撃で、私は何も出来ず、ルカ二等兵を死なせて……レオン二等兵はああなってしまった。もっと私に力があれば、あんなことが起きなかったかもしれないのに」
レン伍長は、雨の落ちる地面を見つめたまま、握った拳をゆっくりとほどいた。その横顔には、後悔と無力感が静かに滲んでいた。
確かに、彼の立場から見れば、そうなるのも仕方がないことなのかもしれない。レン伍長は新人ではあるものの、軍学校に通っていたのだ。戦争に関わってる時間で言えば、わたしよりもずっと長い。
にもかかわらず、前の戦闘で役に立ったかと聞かれると、兵士としては最低限出来ていたものの、最低限でしかなく、伍長としては何も出来ていなかったと言ってもいいほどだった。
けれど、それは初めての戦闘だったからだ。ここから経験を重ねて行けば、きっとわたしよりも活躍できるはずだ。
「最初の戦闘だったんですよ。そこまで、自分を責めなくても……」
「いえ、そういうわけにはいかないんですよ。私が成長するまでに、敵兵は待ってくれません。だから、こんなことをしている間にも……」
言葉がそこで途切れた。
雨音が、ぽつ、ぽつ、と二人の間に落ちる。
レン伍長は、握りしめた拳を見つめていた。
その指先は白くなるほど力が入っていて、彼がどれほど自分を追い詰めているのかが、痛いほど伝わってきた。
(……あ、危ないな)
わたしは思った。彼は責任感が強いなんて生易しいものじゃない。自分の無力を許せないタイプだ。
わたしが言う権利が無いと思うけど、その在り方は、いずれ駄目な方へと向かわせてしまう。だから、何とかいい方向へと向かわせないといけない。
でも、わたしにそんなことが出来るのだろうか。レオンの時だって、わたしのせいでより悪い方向になってしまったし、わたし自身も、他人にとやかく言えるほど、戦争に適した人間ではない。
だから、ルークさんやシス伍長に任せた方が、きっとより良い方向になるはず。……そんな逃げのような考え方が、どうしても頭の中から離れない。
そんな時……ふいに、声が飛んできた。
「お前ら、こんなところで何をしているんだ?」




