手伝い
「手伝い……ですか?」
「そうだよ。セラちゃんは、訓練がしたいかもしれないけど、衛生兵の手伝いをするのも、軍のためになるんだから」
確かに、その提案なら、わたしたちの折衷案となるだろう。わたしは、訓練をして軍にためになりたくて、リナはわたしに無理をしてほしくない。ただし、衛生兵の手伝いをするならば、無理をせず軍のためになることが出来る。
頭ではそう理解できてしまい、何も言い返すことが出来ない。
(でも、それでいいのかな?)
確かに、手伝いをすれば、軍のために何かをしたと言えるだろう。しかし、今は二日間の大雨のせいで、戦闘が起きておらず、野戦病院には、わたしのような雨によって、身体に支障をきたした人しかやってこない。
だから、わたしが手助けせずとも、今いる衛生兵だけである程度はうまく回っており、手伝うより訓練をした方が、軍のためになると思ってしまう。
「それは……」
「セラちゃん、訓練をしたいって思ってるでしょ」
「はい……」
ただ、そんな内心なんて、衛生兵のお姉さんにはバレてしまっており、わたしは思わず息を呑んだ。
「確かに、今日は怪我人がとっても少ないよ。それこそ、一年でも数回しかないくらい。でもね、今日だからこそ、出来ることがあるんだよ」
「出来ること、ですか?」
出来ることと言われても、心当たりが少しも無い。わたしは戦うために訓練してきたのであって、人を治すための知識なんて持っていない。
お姉さんは、そんなわたしの戸惑いを見透かしたように、穏やかな声で続けた。
「包帯を運んだり、器具を洗ったりするのは、今しなくても大丈夫。でも、これからもセラちゃんが軍のために何かをしたいと思い続けるのなら、忙しい時に備えて、出来ることを増やしてもいいと思わない?」
「出来ることを、増やす……?」
「そう。今は怪我人が少ないから、ゆっくり教えられる。戦闘が続いている時は、そんな余裕ないからね」
それは、わたしには無い視点だった。わたしは、前線にいたということもあってか、未来に見据えて何かをするという視点を持っていない。訓練なども、未来に向けて準備をする行為と思われるのかもしれないが、わたしは明日明後日の戦闘を見据えて訓練をしており、一週間以上の未来を見据えることなんて、ほとんどない。
わたしが未来を見据える時は、せいぜい戦争が終わったという理想を、思い浮かべる時だけだ。
「それなら、手伝いをしたいです」
「ほんと? もう無理をしない?」
「う、うん」
わたしが手伝いをすると言った瞬間、リナが満面の笑みで顔を輝かせた。本当に、彼女はわたしに無理をしてほしくなかったらしい。
ここまでわたしのことを思ってくれる人がいると想像してなくて、すこしだけ戸惑ってしまう。ルークさんやシス伍長も、わたしのことを思ってはいるけれど、それはわたしが後輩だからだと思ってしまい、どこか申し訳なさを感じていた。
でも、リナの笑顔には、そういう上下関係の影がまったくない。
ただ、わたしが生きていてほしいという気持ちだけが、まっすぐに向けられている。そのせいで、そのおかげで、どこかがむず痒い。
「そっか。それなら、私について来て」
衛生兵のお姉さんは、私の返事を聞くと、迷っている時間はもう終わりだよとでも言うように、軽く手招きをした。
その仕草は強引ではなく、でも、後戻りを許さないほどの確かさがあった。
リナが、わたしの背中をそっと押す。
「大丈夫だよ、セラちゃん。わたしも一緒に行くから」
その声に、胸の奥がまた少しだけ揺れた。訓練への焦りも、罪悪感も、全部消えてはいない。けれど――こんなにも私のことを思っている友人の前で、やっぱりやめますと言うことは出来なかった。
「何をするんですか?」
「うーん、包帯や器具の移動ならいつでもいいし、記録を付けるのは知識がいるから……縫合に挑戦してみない?」
「え……縫合ですか?」
「そうよ、やってみない?」
最初に聞いた時、わたしは聞き間違えだと思って、一度聞き直してしまった。だって、縫合は立派な医療行為だ。だから、医療資格の無いわたしでは、絶対に出来ないことだと――そう思っていた。
「で、でも……わたし、医療資格なんて……」
お姉さんは、わたしの言葉を遮らず、静かに首を振った。
「本番で縫うわけじゃないよ。練習用のパッドで、器具の扱い方や糸の結び方を覚えるだけ。資格がない子に患者を縫わせるなんて、いくら人手不足でもしないわ」
「練習、だけ……?」
「そう。いくら人手がない時でも、資格の無い子には、医療行為をさせないよ。でもね、応急処置くらいなら、出来る子がいてほしいって思ううの。激しい戦闘があった時は、死にかけの人が大量に来て、手が回らず死んでしまう人が出てしまう……でも、そこに応急処置が出来る子がいたら、死ぬまでの時間をぐっと伸ばして、たくさんの人を救えると思わない? ……まぁ、本来は兵士に教えるような内容じゃないんだけどね。衛生兵も兵士も減ってきた今だからこそ、許されている穴みたいなものなんだよね」
そう言われて、やっとわたしは、お姉さんの言葉の意味を理解した。
わたしは、従軍してからの二か月間の間で、応急処置をすることが出来れば、生き残ることが出来そうな人は、何度か見たことがある。もちろん、アインやルカは即死だったし、レオンは応急処置をすること自体が許されないだろう。
でも、わたしが応急処置をすることが出来れば、これから誰かの命を助けることが出来るかもしない。
これが、罪悪感を減らすためだけの傲慢だと言うことは分かってはいるけれど、その結果として誰かが生き延びられるのなら、わたしの動機なんてどうでもいい。
わたしは、ぎゅっと拳を握った。
「……お願いします。練習、させてください」
衛生兵のお姉さんは、わたしの目を見て、ゆっくりと頷いた。
「よし、それならやってみよっか。ただ、仮縫いまでしか教えないから、そこのところは注意してね」
「分かってます」
わたしは衛生兵ではない。だから、わたしが出来ることは仮縫いまでなのだろう。むしろ、その仮縫いですら、グレーゾーンでは無いかと思ってしまうのだが、兵士が少なくなってきた現状では、そのくらいのことは許されているのだろう。
そうでなきゃ、わざわざこんなことを、わたしに教えるはずが無いのだから。
「まずは、銃で撃たれた傷の仮縫いについて説明するね」
お姉さんは、練習用パッドを机に置きながら続けた。
「射創って言うのは、傷口と違って弾が通った道が不規則で、周りの肉も裂けていることが多い。だから、本来の縫合みたいにきれいに閉じることは出来ないし、完全に閉じちゃうと感染が起きやすいの」
でも、少し前にリナに縫ってもらった左腕の銃創は、綺麗に縫われている。リナも衛生兵だから、間違ってはいないんだろうけど、それはなんでなんだろうか。
「なら、この傷は何でしっかりと縫ったんですか?」
「ああ、そこは綺麗な傷跡だったし、いろんな条件を満たしてたら、しっかりと縫っていいと判断したの。でも、それはリナちゃんが衛生兵だから。セラちゃんは仮縫いまでしか出来ないんだし、気にしないでいいよ」
「そういうことだったんですね」
わたしは、お姉さんの言葉に納得し、頷いた。左腕の傷は、決して治ったというわけではない。けれど、銃に撃たれた箇所にしては、綺麗になっており、あの二日間の雨があっても、痛んだり、膿が出たりすることは無かった。
それは、リナも衛生兵として、しっかりとした技量を持っており、わたしの傷に真剣に向き合った証ともいえる。
「リナ、あの時はありがとうね」
「ううん、気にしないで。当然のことをしただけだから」
リナは、わたしの言葉に胸を張って答えた。前に会った時は、弱さが残る少女だったというのに、少し見ない間にここまで強くなってるなんて……きっと、彼女もわたしと同じように、辛い現実に直面し、それを乗り越えて成長したのだろう。
「じゃあ、次は実際に糸を触ってみよっか」
そうして、わたしはお姉さんに仮縫いの仕方を教わっていった。孤児院で、針を触ったことは何度かある。でも、それは布を縫うための針であり、人の皮膚を縫うための針とは、まったく別物だった。
しかし、わたしは何度か身体を縫ってもらったことがあり、衛生兵がどのようにして傷口を縫っていたのかは見ていたから、少しだけ苦労したものの、何とか針を通すことが出来ていた。
それは、布とは全く違う感触であり、戸惑いこそあったものの、側にはリナやお姉さんがいて、わたしが手を止めないように、 静かに、けれど確かに支えてくれていた。
「これで……どうですか……?」
そうして、ある程度針を進め、わたしはお姉さんに問いかけた。
これは練習であり、誰かの身体を縫っているわけではない。そんなことは分かっているはずなのに、塹壕の中にいる時とはまた違った緊張が、ある程度針を進めたところで、わたしはお姉さんに問いかけた。
これは練習であり、誰かの身体を縫っているわけではない。
そんなことは分かっているはずなのに、塹壕の中にいる時とはまた違った緊張が、胸の奥をじわりと締めつけていた。
お姉さんは、わたしの縫った部分を覗き込み、少しだけ目を細めた。
「うん、悪くないよ。最初にしては十分すぎるくらい。針の角度も、糸の引き方も丁寧だし……何より、雑に扱っていないのがいいね」
「……ほんとですか?」
「ほんと、これなら、いざという時に応急処置を任せてもいいかな」
お姉さんに認められて、胸がそっと温かくなっていく。わたしは、何があっても自分のことを褒められないから、他者から褒められることは、どうしても胸の奥がざわついてしまう。
嬉しいのに、どこか落ち着かなくて。でも、その落ち着かなさすら、今は悪くなかった。
……たぶん、これは自分で何かを成し遂げたと実感したからなのだろう。ルークさん達に褒められた時は、何故褒められているのか上手く時間できてなかったから、素直に受け取れていなかったんだと思う。
「セラちゃん、お疲れ様」
「リナもありがとね、ここまで付き合ってくれて」
「友達だから、当然だよ」
リナは胸を張ってそう言った。その笑顔は、前に会った時よりずっと強くて、でも、どこか優しさが滲んでいた。
(……ほんと、良い友達を持ったな)
そう思った瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。緊張で張り詰めていた肩の力が、ふっと抜けていく。
「今日はここまでにしよっか。無理に続けるより、少しずつ慣れていく方がいいからね」
お姉さんがそう言って器具を片づけ始める。わたしも針をそっと置き、深く息を吐いた。
体力的な疲れではない。でも、心の奥がじんわりと重く、そして軽くなるような――そんな不思議な疲労感だった。
(……でも、やってよかった)
いざという時、誰かの命をつなげるかもしれない。その可能性を手に入れたことが、わたしの胸に小さな灯りをともしていた。
「セラちゃん、また一緒に練習しよ?」
リナが、少し照れたように笑いながら言った。
「うん。よろしくね、リナ」
そう返すと、リナは嬉しそうに頷いた。その仕草があまりにも自然で、わたしは思わず笑ってしまった。
テントの外は、未だ雨が降っている。でも、今のわたしには、その雨がとても心地よく感じられた。




